Behind Kyoto University's Research
ドキュメンタリー
Vol.6

前頭連合野の機能解明~船橋研究室の船出秘話~

こころの未来研究センター 船橋研究室

ヒトの額のあたりに大脳皮質前頭連合野がある。この部位は時々刻々と変化する周囲の状況に基づいて、最適な判断や意思決定する機能を担っている。この前頭連合野の機能に関する研究で国内外から高い評価を受けている脳研究者が、船橋新太郎教授だ。前頭連合野の機能の解明という夢を叶えるべくアメリカへ飛び立った若き日の船橋教授が、京都大学の吉田キャンパスで脳研究をスタートさせるに至る波瀾万丈のエピソードをご紹介する。

Dream —— 脳の迷宮へ

 いまや「脳科学」は教育系のテレビ番組だけでなく、娯楽番組や雑誌でも取り上げられ、一般の人々にも随分と身近な存在になった感がある。かつては医学系の研究者が行う研究分野だったが、今では、医学や工学のみならず、心理学、数学、物理学など、複数の異なる専門分野の研究者が参加する学際融合的な研究分野として、飛躍的に発展している。本ドキュメンタリーは、時代を四半世紀以上、さかのぼるところからはじまる。

 船橋は、当初から脳の機能に興味をもっていたわけではなかった。もともと生物学に興味があり、大学では生物学に進もうと考えていた。大学受験を準備していた時に、たまたま『卵はどのようにして親になるか——発生と分化のしくみ』(岩波新書)を読み、1個の細胞が様々に分化して個体ができあがる仕組みに魅了され、その著者であった林雄次郎教授が在籍する東京教育大学(現在の筑波大学)理学部動物学科へ進学した。

 ところが、である。当時の東京教育大学は筑波移転問題で大混乱の中にあり、林教授は筑波移転に反対する教員の1人であった。船橋が大学3年になった時、東京教育大学廃校・筑波大学新設が政府によって決定され、同時に林教授はこれに反対し、突然退官してしまった。目標を失い、落胆していた船橋に声をかけたのが渋谷逹明助教授(当時)だった。渋谷助教授は大型のヤモリを用いた生理実験を行っており、その実験の手伝いを船橋に頼んだのだ。船橋は「生理学に特に興味があったわけではなかった」のだが、渋谷助教授と共に実験することで、各種機器の使い方、神経活動の記録のためのガラス微小電極の作り方、動物の麻酔や手術の方法など、電気生理実験に必須のテクニックを習得していった。

 東京教育大学の大学院修士課程に進学後のある日、参加した日本生理学会で、京都大学霊長類研究所の久保田競教授(当時)による、サルの前頭連合野の機能に関する研究発表に引きつけられた。「これは面白い!ヒトの精神機能そのものの仕組みを知ることができる研究だ。これだ」。久保田教授とさっそく連絡をとり、1979年に京都大学大学院理学研究科に進学し、霊長類研究所で久保田教授の指導のもと、サルを使った前頭葉の研究を始めた。久保田教授のもとでの研究は新しい経験ばかりで、サルの扱い方はもちろん、コンピュータの使用法やプログラムの作成、動物の飼育・訓練・手術、実験に必要な機器の作成や修理、データの取得・解析・表示の表現方法など、サルを使った脳研究に必要な様々な経験を積むことができたという。久保田教授の大変厳しかった指導が、今となっては懐かしく思い出されると、船橋は回想する。

エール大学時代の船橋教授(中列の中央)とPatricia Goldman-Rakic教授(前列左から二人目)

 京都大学で理学博士の学位を取得後、奈良県立医科大学の助手になっていた船橋にとって、次の大きな転機は、1983年に米国エール大学医学部のPatricia Goldman-Rakic教授の研究室に留学し、研究を開始したことであろう。Goldman-Rakic教授は、前頭連合野の機能に関する代表的な研究者の一人で、その研究グループではアカゲザルを使って、前頭連合野の先駆的な解剖学的研究や神経心理学的研究、薬理学的研究が精力的に行われていた。船橋は、彼女にとっては新たな研究分野である神経生理学的研究を行う研究員として、研究グループに加わった。

 アメリカでの実験室の立ち上げにかなりの時間を費やした、と船橋は言う。必要な実験機器が全てそろうのに半年以上かかり、それから動物の訓練などを始め、最初の神経活動が前頭連合野から得られたのが1年半後であった。その後、同僚のCharles Bruce博士の協力を得て研究は順調に進んだが、最初の成果が論文として報告される1989年まで論文は全くなかった。

 Goldman-Rakic教授から受けた「励まし」の言葉は、「論文を作ろうと思えばいくらでも作れる。でも、論文の数より、教科書に掲載される論文が10年にひとつあることの方が大事」ということであったという。1987年の「ワーキングメモリの概念を使うことで前頭連合野の機能を説明できる」という彼女の提案と、1989年の船橋、Bruce、Goldman-Rakicの論文により、「ワーキングメモリ」が前頭連合野の重要な機能であることが示され、1990年代以降、前頭連合野に関する研究や報告が爆発的に増大している。

Reality —— 現実

 アメリカでの最初の成果が出版された1989年の冬、京都大学の求人情報が日本から舞い込み、駄目で元々と思って応募したところ、採用されて1990年8月に教養部の助教授として着任した。エール大学では専用の実験室を持ち、大学院生1名と技術職員1名とで研究を継続していた船橋は、帰国後、アメリカでの研究環境とのギャップに面食らうことになる。

 「『ここがあなたの部屋です』と紹介されたスペースはひとつの小部屋で、中には机とキャビネットがふたつ、書棚がふたつほどあるのみで、あとは何もない。専用の実験室はなく、もちろん実験装置は何もない。所属する教室で予算を工面してもらったが、使える金額は80万円くらいでした」

船橋は教養部の保健体育教室の保健担当教員として採用された。教養部の各教員には基本的に居室がひとつ与えられ、理系の教員はこれに加えて実験室をもっていたが、保健体育教室の教員にとっては運動場や体育施設が実験施設とみなされ、追加の部屋はなかった。船橋は生理学の実験研究者。研究スペースがなくては話にならない。さらに追い打ちをかけたのが、研究のために動物、しかもサルを使えないことだった。ラットやマウスを実験に使う教員はいたが、サルを研究に使用したいとする船橋は、教養部では極めて例外的な存在だったのだ。今まで一貫してサルを使った前頭連合野の研究を続けてきた船橋にとっては、サルの使用が可能な実験スペースの確保は死活問題だ。研究の実施が難しいと思われる現実に直面し、エール大学での研究生活が懐かしく思われた。「エール大学にもどらないか?」というGoldman-Rakic教授からの誘いには心が揺れた。しかし、かつての指導教員であった久保田教授の厚意により、京都大学霊長類研究所に実験スペースを確保することができ、授業のない週の半分は犬山での実験に取り組むことになった。

日本帰国直後の船橋教授(右から3人目)

 多くの大学教員にとっての研究資金は、文部科学省による「科学研究費補助金」、いわゆる「科研費」だ。船橋は、自身の研究のため、科研費を獲得しなくてはならない。今までの研究実績が重要な評価ポイントである科研費では、実績のない研究計画では採択される可能性は低い。かといって、サルの実験が確保されていない状況では、サルを使った研究計画の申請はリスクが高い。犬山での実験として科研費を申請し、科研費を獲得することはできたが、京都での研究スペースの問題は解決されず、先送りしただけだった。

 霊長類研究所で研究を始めて5年ほど経った時、久保田教授が定年で退職されることになり、犬山での実験スペースの利用の継続が難しくなった。この間、1991年には教養部が廃止され、大学院人間・環境学研究科および総合人間学部が設立され、新たに研究科棟ができたことにより、京都で実験スペースを確保することができた。しかし、サルを使った研究の了解は依然として得られなかった。船橋は「もう切羽詰まった状態でした」と語る。このような状況の中で応募したのが、「さきがけ研究21」と呼ばれる、若手研究者を支援するために科学技術振興事業団(現、科学技術振興機構)が創設し運営していた事業であった。「幸いにも私の提案が採択され、研究計画についての事前打合せのため、東京に向かいました。そこで領域代表の先生からこう言われたんです。『船橋さんはサルを使う実験を提案しておられますが、サルを使った実験、できますよね?』」

 船橋はこう続ける。

 「そう問われたんですが、こちらとしてはできるかどうか答えようがなくて。それで『なかなか難しそうなので、サル以外の動物でやろうかと思うんですが、どうでしょうか?』と言ったわけです。そうしたら、打ち合わせ時に技術参事の方が『船橋さんにはサルを使っての研究をしてもらわないとダメです。船橋さんのサルの研究ができるように私の方では全面的にバックアップしますので、船橋さんもそのように努力してください』とおっしゃいました。それで『いやぁ、難しいかもしれないですが、とにかく努力してみます』と答えました」

 技術参事の「可能な限り支援する」という言葉が、船橋の危機的な研究状況を打開することになった。

日本に帰国後の船橋教授。Patricia Goldman-Rakic博士と鹿苑寺金閣にて

 根本的な問題解決がなければ自分の思い描く研究が京都大学で展開できないことは、よく分かっていた。サルを使った研究を実施するためには部局長の承認が必要になる。そのためには、船橋が所属する総合人間学部教授会で承認されなければならない。総合人間学部では人文学系の教員が過半数を越え、その中には動物実験の実施を快く思わない教員も多いことは理解していた。また、動物実験についての様々な誤解もあった。特に、船橋が計画しているサルを使った慢性実験は、ラットやマウスを使った急性実験と全く異なるが、そのことを説明し、理解してもらう機会もなかった。もちろん、船橋自身は実験室の設置を認めてもらおうと何年も交渉を試みていたが、立ちはだかる壁は厚く高かった。「さきがけ研究21」を開始するためには時間がなかった。そこで、研究を可能にするか、それとも、研究をあきらめるか、運命を決める時がやって来た。

 当時の総合人間学部長と相談し、サルの実験を総合人間学部で許可するかしないか、教授会で決定してもらうことになった。学部長は、サルを使った研究とはどのようなものか、それを許可した時の学部のリスク、サルを使う研究者として船橋は適格かどうかなど、様々な調査を行い、その結果、「サルを使った動物実験を総合人間学部で行うことを許可する」という提案を教授会に提出し、その賛否を問うことになった。午後2時半頃から始まった教授会はこれをテーマに延々と続き、一部の人が賛成の意見を述べてくれたものの、反対意見が続出し、船橋はほぼ孤立無援の状況だった。口を開いた人たちからは厳しい意見が投げつけられ、それに対して十分な説明を返そうと努力する、いわば防戦一方の状況が続いていた。そして、午後6時過ぎについに採決の時が来た。サルの研究の実施に肯定的な意見はほとんど出てこなかった。出席者の多くが無言で、意思表示をすることがなかったため、船橋は「白票が多くなり、賛成票が過半数を超えないかもしれない。この提案は否決される」と予想せざるをえなかった。しかし、開票の結果はこの予想に反し、出席者の過半数を「1票」だけ超えた賛成多数で承認された。念願の研究が可能になった瞬間だった。そして、「さきがけ研究21」の援助を受けて、立派な実験室と実験設備を準備することができた。京都大学に着任して、7年が経っていた。

Future —— 京大そして日本の未来へ

 京都大学霊長類研究所で大学院生としてサルを使った脳研究を始めてから既に30年以上が経った。京都大学に着任後は、医学系研究科以外の研究科・学部でサルを扱う研究室として大学院生の指導にあたり、優秀な人材を輩出してきた。日本を代表する脳研究者から見て、日本の脳科学の将来はどのように見えるのだろうか。

 「世界の脳科学研究の新しい流れがあって、マカカ属のサル(ニホンザルやアカゲザル)をモデル動物として扱う実験研究は減少傾向にあるように思います。例えば、遺伝子改変動物を用いる研究はひとつの大きな流れであるし、光遺伝学(optogenetics)という分野にも注目が集まっています。これらの研究のほとんどではマウスなどの齧歯(げっし)類を用いており、霊長類に属する動物では、マーモセットではこのような研究が可能になっていますが、マカカ属のサルでは難しいようです。このような研究では、脳の中の特定の細胞や神経回路の機能を自由に操作することができ、それらの働きの詳細を明らかにすることができます。このような方法が、記憶、学習、意思決定などの仕組みの解明に用いられています。その結果、遺伝子改変や光遺伝学などの方法が使える動物を使う研究が多くなり、マカカ属のサルを使った研究をする人の数が減っていくかもしれません」

 記憶、学習、判断や意思決定など、ヒトの高次認知機能の研究を動物を用いて行うためには、その機能が必要な「行動課題」を作らなくてはならない。行動課題とは、たとえば、「テレビ画面上に様々な動物の顔が現れるが、ヒトの顔が現れたら直ちにボタンを押す」とか、「画面上の小さな点を見ていると、その周辺のどこかに小さな四角形が1個短時間現れて消える。しばらく待った後、小さな点が消えたら、四角形の現れた所まで視線を移動させる」といった、「外界の刺激を認知し、認知した情報と関連付けられた行動を行う」という一連の作業である。それを訓練によって動物に教えなくてはならない。どの程度複雑で高次な認知機能に迫れるかは、どの程度難しい行動課題を動物が学習し、実行できるか、で決まる。ヒトが普段行っている認知機能の仕組みの解明に迫ろうとすると、必然的にヒトと同じような行動の種類や多様性をもつサルを実験動物として選択することになり、まさにこれこそがサルを用いる研究の優位性なのだ。行動課題によっては、サルの訓練に2年前後の期間が必要になるものもある。一方、マウスやラットを用いる実験では比較的単純な行動課題を用いることが多く、短期間で多くの個体からデータを集めることができる。この点がマウスやラットを用いる研究の優位性のひとつでもある。優位性はそれぞれ異なるが、どの動物を使っても簡単な実験など存在しない。重要で美しい結果が得られた実験の裏では、いつも多くの汗が流されている。

 ひとつの研究が終了するのに要する期間は、論文発表のサイクルを決める重要な要因だ。研究活動の評価に発表した論文数が使われていることからすると、この期間の長さは無視できない。サルを使った神経生理学的研究では、行動課題の訓練だけて数カ月から1年数カ月を費やし、それから本実験を数年間継続することが一般的で、ひとつの研究を終了するのに3〜4年を費やす。

 「結局、発表論文数が研究者評価の重要な指標であり、外部研究資金の獲得競争においても論文数が重要な指標になっています。サルを使った研究では、4〜5年をかけて2〜3本くらいの論文発表が精一杯で、他の分野に比べて論文の生産性が低くなってしまうため、競争で勝つのが厳しいことは間違いないですね。この間、ある中国の研究者から、サルを使った研究をしている研究者が、他の分野の研究者と肩を並べて競争するにはどうしたらいいか、と尋ねられました。ひとつの方法は、ヒトを対象にした脳機能イメージング研究を組み合わせること、と答えました。脳機能イメージング研究で、脳全体の活動の様子や異なる部位間の機能的関係を知ることができます。この知見を動物実験で得られたデータと融合することで、その部位の機能をより鮮明に理解することができるようになるし、動物実験で確かめるべき次の重要なテーマを見つけることができると思います。もちろん、論文数も増やすことができます」

研究室の船橋教授

 アジアだけに目を向けたとしても、研究者一人あたりが獲得している研究費は、中国や韓国では日本の数倍、場合によっては10倍近いと聞く。また、2003年からの10年間で中国の研究者が発表した霊長類に関する研究論文数はおよそ4倍になっている一方、日本からの論文数は約2割減である(Scopusデータベースに基づく)。このような状況の中で、あえて、若い研究者へのメッセージを船橋教授にお願いした。

 「2年や3年で成果の出る研究ではなく、20年、30年かかるような、大風呂敷を広げた、でっかいテーマの研究をしてほしい。そして、自分で『これは絶対面白い』と思うテーマの研究を是非やってほしい。恋人に『京大でどんな研究してるの?』って聞かれ、『へえ』で終わってしまうものではなく、『へえ、それどうやって調べるの?』とさらに話を続けさせ、興味を持たせることができるような、そんなテーマの研究を考えてもらいたいと思います」

船橋 新太郎(ふなはし しんたろう)
京都大学こころの未来研究センター 教授
人間・環境学研究科 協力教員(教授)
 →【船橋庵】京都大学船橋研究室のホームページ

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