2014.08.21

井手研究室が中心となって国内外で展開されている文化財の高精細デジタル化プロジェクトは、その価値を忠実に保存するハードウェアから、分析や表示・閲覧のためのソフトウェアまで、トータル設計された総合システムによって支えられている。「科学技術は誰のためのものであるか、何のためのものであるか」を問いかけ続ける井手教授とプロジェクトチームの試みについてご紹介する。

「芸術のための科学技術」

 
 文化財の「今」の姿を適切に保存し、後世に継承することは、その時代を生きる人々の課題であり、これまでも様々な知恵によって管理、保存がなされてきた。しかし、それらの歴史的文化財の中には、永年にわたって蓄積された変化や、近年の自然環境の変化によって保存状態や修復などに深刻な問題を抱えるものが数多く存在している。今日では、デジタル技術を用いて文化財情報をデータ化し、保存や修復に活用するための「デジタルアーカイブ」の研究が盛んに行われている。

 しかし、文化財の「デジタルアーカイブ」化には、劣化や損傷の進んだ文化財をいかに撮影するかといった問題をはじめ、対処すべき課題が数多く存在していた。その一つひとつをクリアし、革新をもたらしたのが、京都大学工学研究科の井手亜里(いであり)教授を中心とするプロジェクトチームだ。彼らは、文化財に特化した先端イメージング技術の研究・開発を行い、「デジタルアーカイブ」に求められる「入力」、「分析」、「表示」といった一連の作業を「超高精細画像」で処理する総合システムを生みだしたのである。

 井手教授は、文化財の価値をより忠実に保存し、分析・解析に役立てるためには、色の再現度が高く、分光分析が可能な「超高精細画像」を「入力」することが必要だと考え、文化財専用イメージング機器の研究・設計に着手した。JST(独立行政法人科学技術振興機構)の支援を受けて開発された「超高解像度大型平面入力スキャナ」は、大型(200×350センチ以上の対象物)、高精細(解像度1,200dpi)のスキャニングを高速で行う機能を持ち、重さ約30から100キロ以下程度。持ち運びのために3つに分解できるという実用的なものだった。

インタビューに答える井手亜里教授。
インタビューに答える井手亜里教授。

 高精細可視光、赤外、偏光、ハイパースペクトラルの撮影を大型文化財が保存されている現場で可能にしたことは画期的であり、企業によって製品化された後、国内外の博物館などに普及し用いられるようになった。現在、スキャナは、障壁画用、洋画用、絵巻物用、貴重本用と用途に合わせて改良されている。さらに井手教授のチームは、スキャナの開発と同時に、総光量を従来の50分の1倍以下に低減した光源も独自に開発した。文化財の運搬や撮影そのものにおける課題をクリアしたことは、保存に関わる現場の研究者や学芸員から歓迎され、その後のプロジェクトを展開させる大きな要因であったと言えるだろう。

 「たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチがそうであったように、芸術と科学技術は別々に存在するものではありません。僕たちのメンバーには様々な専門分野の人がいて、それぞれの領域を越えて仕事をしています」と井手教授が語るように、プロジェクトには機械工学のみならず、電子工学、情報科学、美術や歴史の専門家、印刷や書籍修復の技術者が参加しており、研究室には学籍や国籍、あるいは大学や企業といった枠組みを越えた多様な人々が出入りしている。
「僕たちのプロジェクトが常に心がけているのは、お互いが知恵を出し合って、トータルに設計することです」。

 井手教授の言葉通り、プロジェクトは文化財の撮影による「入力」に留まらない。歪みなく、高い寸法精度で、忠実に色再現された超高精細画像は、画材や画法の「分析」に活用される。そのために開発された推定・分析システム(可視光領域スペクトロスコピー)は、博物館関係者をはじめとする美術の専門家の協力を得ながら、数百種類の色を蓄積したデータベースから顔料や金箔といった素材を特定する機能を持った。それによって構築されたカラーマネジメントシステムは、印刷機と連携させることで、短時間で二条城の障壁画などの高精細画像の複製を作れるほどに磨き上げられている。

仁和寺観音堂の障壁画をデジタル化している風景。江戸初期に建造された当時のままの状態で残された貴重な文化財を高さ4メートルにおよぶスキャナで安全にダメージを与えることなく高精細にデジタル化した。
仁和寺観音堂の障壁画をデジタル化している風景。江戸初期に建造された当時のままの状態で残された貴重な文化財を高さ4メートルにおよぶスキャナで安全にダメージを与えることなく高精細にデジタル化した。

 「家族の写真を撮ったら、保存するだけでなく、見て楽しみたいと思いますよね?」。文化財も同じだと言う井手教授は、画像の「表示」システムも開発した。撮影した文化財の高精細画像のような重いデータを一般的なパソコン上でも快適に閲覧でき、簡単な操作で自由自在に移動や拡大・縮小が行えるビューアだ。企業の協力によって開発されたソフト「AMATERAS」「PIGMALION Viewer」、さらに海外で開発された「LUXLAB Viewer」はすでに実用化され、研究者に学術利用されるのみならず、タッチパネルシステムなどと組み合わせることで、国内外の美術館等における展示ツールとして応用されている。

 「芸術のための科学技術」は、京都大学工学研究科の井手研究室がプロジェクト開始当初から掲げる文理融合のフィロソフィーである。それは、学内に留まらず、学外、さらには海外にまで広がり、京都を文化財デジタル化プロジェクトの拠点にしたいという井手教授のビジョンとつながっているように感じられる。

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