孤独相から群生相化した研究者

 しかし、そんな不安は、赴任して3日後に出た野外調査であっさり吹き飛んだ。自ら強く望んで、この環境にやって来たのだ。やはり野生のサバクトビバッタは、研究室で飼育されたものと明らかに違っていた。多くのサバクトビバッタ研究者が目にしていない生態に触れているのだという興奮が湧き上がり、5日間の調査で得た研究成果を基に、2本の論文をまとめることができた。「コータローは、こちらの研究者が数年かかる仕事をほんの数日で仕上げてしまった」研究所の所長の言葉も大きな励みとなった。自分が輝ける場所を見つけたと感じた。「~の子孫」という意味のミドルネーム、「ウルド」はモーリタニアで所長からもらったものだ。

草に見えるものも全てサバクトビバッタの幼虫である。[撮影:川端裕人]
草に見えるものも全てサバクトビバッタの幼虫である。[撮影:川端裕人]

 赴任1年目は、モーリタニア建国以来という大干ばつのため、サバクトビバッタがいないという窮地に陥った。300キロ走っても、たった5匹のバッタしか得られない日もあったが、
広大なサハラ砂漠は研究対象に事欠かなかった。キャンプで処分したスパゲティに群がる大量のゴミムシダマシを持ち帰り、昆虫研究者としての実力を自ら試した。オスとメスの見分けが付けにくい虫だったが、腹いっぱいにスパゲティを食べさせてから頭を押すと、尻から生殖器が出て区別ができるといった発見をし、そのユーモアを交えた論文はアメリカの学会誌、Annals of the Entomological Society of Americaに掲載された。

 弘前大学での学部時代を含めると、若くして既に9年間、バッタに関する研究を続けていた。しかし、その実績は研究室で積まれたもので、野外調査は全くの未経験だった。それまで師事していた研究者の元を離れ、文化や言葉も違うモーリタニアで、一研究者として試されるプレッシャーを感じないわけにはいかなかった。日本学術振興会海外特別研究員の多くは、最先端研究のため、主にアメリカなどの研究設備の整った地域へ行く。アフリカを選んだ以上、与えられた資金を生活費よりも、野外調査のためのスタッフ費用や、研究に必要な物資の購入に多く割かなければならなかった。

 「自分が研究者になれると思っていなかった」という前野氏の語り口は、いわゆる学者タイプの研究者とは少し違うように思う。人を楽しませようというエンターテイメント性にあふれている。「まだまだ研究者として未熟ですから」と自らを評価する彼だが、「たとえば日本の方にとって直接関係のないことと思われがちな外国のサバクトビバッタに、どうやって興味を持っていただくか真剣に考えています。そんなことに取り組んでいるのかという驚きや研究の重要性が得られるようにお伝えできればと思っています」と、自身の研究内容を話すことに高い意欲と意識を持っている。

 モーリタニアの研究所にいる間、ブログやFacebookなどネットメディアを利用して、情報発信を続けた。そんな時間があるなら、研究や論文にもっと時間をかけるべきではないかと非難する人もいるかもしれないが、研究所の敷地内にあるゲストハウスに滞在していた彼は、モーリタニアで唯一の民間の日本人であり、プライベートで外出したのは3年間でわずか数日。通勤や、人付き合いに時間を割くことがなかった分、家族や友人への近況報告も兼ねて、研究や野外調査の合間に記事を書いたそうだ。

 ブログやFacebookを使ったメリットは大きいと前野氏は語る。ひとつに、人は自分のどういった研究のどういった点に興味を持つのか分かること。実際に、講演やセミナーといった場でフィードバックしているという。次に、異分野の研究者や、様々な得意領域を持つメディアの人との交流の輪ができることを挙げている。学術的なつながりだけでなく、ニコニコ学会βなどオープンなイベントに参加することにも積極的だ。サバクトビバッタという現在の研究テーマ、専門領域という軸をしっかりと保ちつつ、新たな視野を広げるためにも必要なことだと認識している。

 「研究室を出て、実際にモーリタニアで現地調査をしたという経験は貴重だったと思います」と前野氏はいう。数十年間、野外調査を行う専門の研究者がいなかった。そんな現場で経済上の不安を抱えながらも、研究を続けたことは、前野氏に「相変異」をもたらしたのではないだろうか?そんな質問を投げかけると「確かに孤独相ではなくなったかもしれませんね。研究を続けて、ある目的を達成しようとするならば、色んな方々と連携しながら、協力を得ることのできる仲間作りが必要だと思います。つまり、自分が群生相化することが重要だと思っています。今はまさにそんな時期なのかもしれません」と笑みを浮かべた。

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