「カリキュラム・スペース」という言葉を聞いて、どんなことを思い浮かべますか?物理的な空間を想像したかもしれません。ニュージーランドから京都大学にやってきたエマニュエル・マナロ教授の研究分野は、学習方法やカリキュラムデザイン。近年、注目されているカリキュラム・スペースという新しい概念を用いて、批判的思考や創造性の育成が求められる21世紀の教育現場に一石を投じようと奮闘しています。

自分で考えるために必要な、時間的な余白

―― カリキュラム・スペースとはどのようなものでしょうか

マナロ教授 簡単に言うと、学習カリキュラムには時間的な余白が必要だという提案です。教育に求められるものは、21世紀に入って大きく変化しており、文部科学省の指導要領でも健全な批判力や創造性が必要とされています。

これまではいかに多くの知識を詰め込むかが大切でしたが、今や知識や情報を集めることは驚くほど簡単になりました。インターネットで検索すれば、あらゆる問いの答えが見つかります。そのため、単に知識や情報を詰め込むのではなく、手に入れた情報を組み合わせて自分なりの考えを生み出すスキルや、その考えを人に伝える力が大切だと言われるようになりました。

ところが、社会に求められる人物像が変わっても、その人材を育成するための学校のカリキュラムはほとんど変わっていません。例えば、先生が教壇に立って一方的に話し続ける授業や、選択式のテスト。大学でもこうした学習形態はよく見られますが、果たしてその授業を受けた学生は批判的思考ができるようになるでしょうか。私たちは、題材やテキストなど授業で扱う内容を問うだけではなく、「学生にどんな力を習得させるのか」という出口寄りの思考に基づき、カリキュラムデザインを根本的に見直すべきだと考えています。

その中で、カリキュラム・スペースは大切な役割を果たします。自分なりの考えや新しいアイディアを生み出すには、まとまった十分な時間が必要だからです。カリキュラム・スペースを実現するには、勉強時間を増やしたり課題を減らしたりするだけでなく、カリキュラムの組み直しや学習形態の見直しも有効だと考えています。授業の順番を入れ替えることでまとまった時間が生まれることもありますし、自宅や外出先などどこでもインターネット上で講義を受けられるe-Learningの導入も効果的です。

―― 「カリキュラム・スペース」がないと、どうなるのでしょうか

マナロ教授 今の学校が、まさにその状態です。学生たちは常に課題に追われ、学んだことについて自分なりの考えをふくらませる暇などありません。先生から与えられた知識の表面だけを理解し、暗記するだけの学習になってしまいます。レポートは既存のデータを寄せ集めて仕上げることになるでしょう。更に現状では、何を学ぶか、どのように学ぶかを決めるのは先生であり、学生自身が学習のあり方を決めることはほとんどありません。そんな中で、学生たちは好奇心や考える喜びを感じ続けられるでしょうか。

彼らも学校を卒業すれば、何をどのように学ぶべきかを自分で判断し、実践しなければいけません。学生時代に身につけるべきは、単に知識だけではなく批判的思考などの思考スキルなのです。

―― カリキュラムの構造が変われば、批判的思考などの思考スキルが身につくのでしょうか

マナロ教授 そこがカリキュラム・スペースの難しいところです。ただ時間的な余白を作るだけでは、学生たちのテレビやゲーム、アルバイトの時間を増やすだけですよね。余白の時間が有意義に使われるかどうかは、先生の力量にかかっています。

学生の興味や知識量は十人十色です。その中で一人ひとりが自分の考えを発展させていくためには、指導者がファシリテーターの役割をしなくてはいけません。彼らが研究対象に興味を持ち、もっと知りたい、次はこういうことについて考えてみたい、と思えるようにサポートしていく。これは、一方向的に知識を伝えるこれまでの授業のあり方よりもかなり難しい仕事です。そう考えると、指導者にもカリキュラム・スペースが必要なのかもしれません。

―― 2010年に廃止された、日本の「ゆとり教育」を思い出しました

マナロ教授 残念なことに、日本はゆとり教育の失敗を経験して、再び詰め込み教育に戻る傾向にあります。日本の高校生を見ていても、毎晩遅くまで塾や家で勉強をしています。ところが学習内容を見ると、例えば英語では、ほとんどが和訳・英訳に留まっていて、実用的なコミュニケーションのための学習はごくわずかです。 ゆとり教育では、先生へのサポートが不十分でした。その時間を使って生徒の何を、どうやって育むべきかという指示が明確でなかったので、時間だけを与えられてもどうしていいかわからなかったのです。

優しい笑顔で、教育現場の課題解決の必要性を解説するエマニュエル・マナロ教授
優しい笑顔で、教育現場の課題解決の必要性を解説するエマニュエル・マナロ教授