Biographies of Kyoto University's Personnel
京大人間図鑑
Vol.20

エマニュエル・マナロ 教育学研究科 教授

「カリキュラム・スペース」という言葉を聞いて、どんなことを思い浮かべますか?物理的な空間を想像したかもしれません。ニュージーランドから京都大学にやってきたエマニュエル・マナロ教授の研究分野は、学習方法やカリキュラムデザイン。近年、注目されているカリキュラム・スペースという新しい概念を用いて、批判的思考や創造性の育成が求められる21世紀の教育現場に一石を投じようと奮闘しています。

エマニュエル・マナロ
教育学研究科 教授

自分で考えるために必要な、時間的な余白

―― カリキュラム・スペースとはどのようなものでしょうか

マナロ教授 簡単に言うと、学習カリキュラムには時間的な余白が必要だという提案です。教育に求められるものは、21世紀に入って大きく変化しており、文部科学省の指導要領でも健全な批判力や創造性が必要とされています。

これまではいかに多くの知識を詰め込むかが大切でしたが、今や知識や情報を集めることは驚くほど簡単になりました。インターネットで検索すれば、あらゆる問いの答えが見つかります。そのため、単に知識や情報を詰め込むのではなく、手に入れた情報を組み合わせて自分なりの考えを生み出すスキルや、その考えを人に伝える力が大切だと言われるようになりました。

ところが、社会に求められる人物像が変わっても、その人材を育成するための学校のカリキュラムはほとんど変わっていません。例えば、先生が教壇に立って一方的に話し続ける授業や、選択式のテスト。大学でもこうした学習形態はよく見られますが、果たしてその授業を受けた学生は批判的思考ができるようになるでしょうか。私たちは、題材やテキストなど授業で扱う内容を問うだけではなく、「学生にどんな力を習得させるのか」という出口寄りの思考に基づき、カリキュラムデザインを根本的に見直すべきだと考えています。

その中で、カリキュラム・スペースは大切な役割を果たします。自分なりの考えや新しいアイディアを生み出すには、まとまった十分な時間が必要だからです。カリキュラム・スペースを実現するには、勉強時間を増やしたり課題を減らしたりするだけでなく、カリキュラムの組み直しや学習形態の見直しも有効だと考えています。授業の順番を入れ替えることでまとまった時間が生まれることもありますし、自宅や外出先などどこでもインターネット上で講義を受けられるe-Learningの導入も効果的です。

―― 「カリキュラム・スペース」がないと、どうなるのでしょうか

マナロ教授 今の学校が、まさにその状態です。学生たちは常に課題に追われ、学んだことについて自分なりの考えをふくらませる暇などありません。先生から与えられた知識の表面だけを理解し、暗記するだけの学習になってしまいます。レポートは既存のデータを寄せ集めて仕上げることになるでしょう。更に現状では、何を学ぶか、どのように学ぶかを決めるのは先生であり、学生自身が学習のあり方を決めることはほとんどありません。そんな中で、学生たちは好奇心や考える喜びを感じ続けられるでしょうか。

彼らも学校を卒業すれば、何をどのように学ぶべきかを自分で判断し、実践しなければいけません。学生時代に身につけるべきは、単に知識だけではなく批判的思考などの思考スキルなのです。

―― カリキュラムの構造が変われば、批判的思考などの思考スキルが身につくのでしょうか

マナロ教授 そこがカリキュラム・スペースの難しいところです。ただ時間的な余白を作るだけでは、学生たちのテレビやゲーム、アルバイトの時間を増やすだけですよね。余白の時間が有意義に使われるかどうかは、先生の力量にかかっています。

学生の興味や知識量は十人十色です。その中で一人ひとりが自分の考えを発展させていくためには、指導者がファシリテーターの役割をしなくてはいけません。彼らが研究対象に興味を持ち、もっと知りたい、次はこういうことについて考えてみたい、と思えるようにサポートしていく。これは、一方向的に知識を伝えるこれまでの授業のあり方よりもかなり難しい仕事です。そう考えると、指導者にもカリキュラム・スペースが必要なのかもしれません。

―― 2010年に廃止された、日本の「ゆとり教育」を思い出しました

マナロ教授 残念なことに、日本はゆとり教育の失敗を経験して、再び詰め込み教育に戻る傾向にあります。日本の高校生を見ていても、毎晩遅くまで塾や家で勉強をしています。ところが学習内容を見ると、例えば英語では、ほとんどが和訳・英訳に留まっていて、実用的なコミュニケーションのための学習はごくわずかです。 ゆとり教育では、先生へのサポートが不十分でした。その時間を使って生徒の何を、どうやって育むべきかという指示が明確でなかったので、時間だけを与えられてもどうしていいかわからなかったのです。

優しい笑顔で、教育現場の課題解決の必要性を解説するエマニュエル・マナロ教授

自発的な利用でこそ役立つ学習方法

―― カリキュラムの組み方や学習方法に興味を持ったきっかけは?

マナロ教授 大学では心理学を専攻しました。ずっと学習に関心があり、教育心理学を専門に学ぶようになりました。その時はまだニュージーランドにいて、ディスレクシア(読み書き障害)の中学生の学習について研究しました。彼らは理解力や論理的思考といった知的能力には全く問題がないのですが、文字を読むことがうまくできませんでした。

そこから、色々な“学ぶための知恵”に触れる機会がありました。その中で特におもしろかったのが、京都の両洋高校で実践されていた「様態」という学習方法についての研究でした。算数の授業で、歌やお話、時には手遊びのような動きを使って計算を教えるんです。こうした記憶のためのテクニックは数多くありますが、「様態」がユニークなのは計算の答えを覚えるのではなく、計算の手順やルールを覚えさせることです。研究チームがカリフォルニアの小学生にこの方法を使って分数などを教えたところ、見事に成績が良くなったと書かれていました。かけ算や割り算にも苦労していた子どもたちが、分数の計算を理解することができたのです。

―― そこから日本との縁が始まったんですね

マナロ教授 1998年に両洋高校を訪ねて初めて日本に来ました。残念ながら校長先生が亡くなって「様態」による学習はもう行われていませんでしたが、その時に京都教育大学の矢野先生とお会いすることができ、日本の研究者との共同研究につながっていきました。

―― 外国人研究員として日本に来られて、大変なことはありますか

マナロ教授 私は日本語をあまり話せないので、言語の問題は大きいですね。ただ、日本に来る前から日本の研究者と共同研究をしていましたし、日本に来ることにそこまで抵抗はありませんでした。教育学部は数年前からグローバル化に力を入れていて、2014年に私が初の外国人教員として着任した後も2人の外国人研究者が加わっています。

ここに来る前は2年間、早稲田大学にいたのですが、その時に批判的思考力は言語能力によって左右されるという研究をしたことがあります。アジア人が欧米人よりも批判的思考が苦手だと言われているのは、実際は英語力の差によるところが大きいんです。批判的思考の評価は、母国語ではない英語で行われていますから。

そこで、母国語での批判的思考力を調べたところ、言語能力が高ければ批判的に思考した内容をうまく表現できることが明らかになりました。脳の容量には限りがあるので、言語の扱いに必死になると肝心の考えるためのスペースがなくなってしまうんですね。言語能力は非常に大事です。私も日本語を頑張らないといけません(笑)

―― 学習方法についても数多くの研究をされていますね

マナロ教授 「様態」のような効果的な学習方法は、世界各地で考案されています。英語のスペルの規則を覚えるための歌のような具体的なものだけでなく、学生の質問を促す方法や理解を深める方法といった汎用的なものもあります。では、どうすれば学生たちが効果的な学習方法を自ら進んで取り入れてくれるのか……。そう考えて、2017年に1冊の本を作りました。 世界中に無数にある学習方法に対してひとつの方法論を確立することは難しいので、この本では世界の研究者から事例を募り、章ごとに紹介しています。その中で共通して見えてきたのが、学習方法の自発的な利用のためには、先生と生徒、そして学習環境の三つが一定の条件で機能することが必要だということです。ただ単に、先生が生徒に「こんな方法があるよ」と紹介するだけでは、学生はその学習方法を自発的に活用できません。

マナロ教授が執筆、編集した『Promoting Spontaneous Use of Learning and Reasoning Strategies』

―― カリキュラム・スペースと同じく、先生の力量が問われるということでしょうか

マナロ教授 そうですね。例えば、図表を使った学習方法があるとしましょう。まず生徒はその図表の「作り方」を覚えないといけません。でも、せっかく作った図表の意味を理解しなければ、応用につなげられません。その図表を使えば早く問題が解ける、といった効果を実感させる必要があります。そこに先生の説明や周りの環境が加わってはじめて、誰にも言われなくてもその図表を使うようになるんです。

―― 「自発的に」ということが大切なのでしょうか

マナロ教授 そうです。先生が常に学生の近くにいるわけではありませんから。自分たちで使えるようにならなくては、どんなに素晴らしい学習方法も役に立ちません。

考える力、生きる力を習得するためのカリキュラムとは

―― 学習方法の自発的な利用に関する研究と「カリキュラム・スペース」はどのようにつながりますか?

マナロ教授 自発的な学習方法を活かすためにも、カリキュラム・スペースが必要です。学生が様々な学習方法を自発的に使えるようになっても、それを使って自らの考えを発展させるための時間的な余白がなければ批判的思考や創造性の育成にはつながりません。方法論や方針がいくら立派でも、教育の現場にいる学生に活用されなければ意味がないのです。

―― 他に、どういった研究を進めておられますか

マナロ教授 まもなく出版が予定されているジャーナルで「失敗」についての特集を企画しています。どんな状況や環境であれば、失敗してもまた挑戦できるのか、失敗から学べるのか。失敗を恐れて挑戦できないことが社会の中で問題視されていることもあり、世界各国からたくさんの論文が寄せられました。

その中の一つ、千葉大学の小山義徳准教授と私の共同研究では、時間内に文章を書くという課題を用意しました。時間内に終えられなかった人の中で、あと少しで課題が終わる人は続けさせてほしいと思い、そうでない人は諦めます。これはわかりやすいですね。次にわかったのは、あらかじめ文章の構成を指示されていた人は、指示を与えられず自由に書くことを許された人よりも、引き続き課題に取り組む率が高いという結果でした。つまり、先生が課題の全体像や構造を明確にすると、生徒は失敗しても諦めずに取り組むことができるということです。

―― 今後はどのように研究を進められる予定ですか

マナロ教授 カリキュラム・スペースの研究はまだ始まったばかりです。学習を通じて学生が習得すべき能力はどのようなものなのか、どのような形でカリキュラム・スペースを取り入れるのが良いのか、考えるべきことが山積みです。時間はかかると思いますが、まずはモデルとなるカリキュラムを作って、実践の中で考察していきたいと考えています。

教育の商業化が進み、学習塾やビジネススクールでは効率よく知識を詰め込むためのカリキュラムが次々に考案されています。一方で、ビジネス界では、どうすれば社員が最大限に能力を発揮できるかを追求した結果、就業時間をフレックスタイム制にしたり、部署の仕事に直接関係のない学習やプログラムを推奨するなど、カリキュラム・スペースに似た考えを実践する企業が出てきています。学校教育においても教育方針や指導要領は年々改変されていますが、どうしても既存の枠組の中での変化に留まってしまいがちです。もっと柔軟に、身につけるべき能力に合わせて教育現場を変えていくことができれば、学生のパフォーマンスは目に見えて向上するでしょう。どうすれば批判的思考や創造性の学習効果を最大限にできるかという視点で、広い視野を持ってカリキュラムを作り直していくべきだと私は思います。

マナロ教授にとっての「京大の研究力」とは?

ユニークな研究も多いし、おもしろいですね。だからこそ残念だなぁと思うことがあります。日本の研究者は、日本語でしか論文を発表しない人が多いですよね。せっかく良い研究がたくさんあるのに、世界に発信できていないのがもったいない!若い研究者には、どんどん海外に向けて発信していってほしいです。発音とか文法のミスなんてどうでもいいんですよ。アジア人もヨーロッパ人も、英語が多少下手でも堂々としています。日本の他大学に比べると京大は英語論文の発表が多いですが、まだまだ足りません!海外では共同研究をする人が増えているので、国内外を問わず共同研究にも積極的に取り組んで、研究の輪を広げていってほしいと思います。

考える力を育てるための教育法を考えるエマニュエル・マナロ教授
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