Biographies of Kyoto University's Personnel
京大人間図鑑
Vol.1

古市剛史/橋本千絵(霊長類研究所)

コンゴ民主共和国・ワンバ地区のボノボを追う古市剛史(ふるいちたけし)教授と、ウガンダ共和国・カリンズ森林を拠点にチンパンジーを調査する橋本千絵(はしもとちえ)助教。アフリカでフィールドワークを行いながら、野生霊長類の社会、生態を探るふたりは研究の上でも、プライベートでも、互いを支え合うパートナーです。

古市剛史
霊長類研究所 社会進化分野 教授

橋本千絵
霊長類研究所 生態保全分野 助教

ヒトのことを知りたくて、アフリカの熱帯雨林へ

――「霊長類学」は、多くの分野にまたがる学問のようですが、お二人はどういった研究に取り組まれているのでしょうか?

古市教授 霊長類学は、ヒト以外の霊長類の研究を通して「ヒトとは何か」を明らかにする学問です。対象だけが決まっていて、研究手法は実に多彩です。京大霊長研も専門分野から12の分野とセンターに分けられていますが、私は社会進化分野、橋本は生態保全分野をアフリカでのフィールドワークを中心に研究しています。

――古市教授が、ボノボを研究の対象に選ばれた理由は何ですか?

古市教授 元々は「人間のエゴの起源」を知ろうと、学部時代の1976年から下北半島で、院に進んだ1980年からは屋久島でニホンザルの生態研究を行っていたのですが、次第に関心が「社会の進化」に向くようになり、もっとも人間に近いとされるボノボ(ピグミーチンパンジー)に興味を持ちました。世界に先駆けてコンゴ共和国のワンバに調査地を作った加納隆至(かのうたかよし)先生に師事して、フィールドワークを始めたのが1983年のことです。

――もう30年以上ということになりますね。

古市教授 「まだ」30年ですよ。ボノボやチンパンジーの寿命は約50年くらいあります。彼らがどのように生まれ、集団の中で成長し、一生を終えていくか、社会を研究しようと思ったら、最低でも一世代は見届けなければなりません。

――なるほど。ちなみに現地、コンゴでのフィールドワークはどのように行うのですか?

古市教授 ワンバ地区に生息する野生のボノボの生態を探るのに、「トラッカー」と呼ばれる森を知りつくした現地の調査補助員たちとチームを組みます。ボノボは常に広大な森の中を集団で移動しながら生活しているので、トラッカーたちは交代制で調査対象のグループを追跡しているのです。ボノボが目覚め、新たな寝床を作って眠るまでの行動を観察するために、数か月に渡る調査期間は、早朝からボノボがいるポイントを目指し、陽が落ちてから調査基地に戻ってくるということを毎日のように繰り返します。

――相当ハードな調査ですね。

古市教授 そうですね。熱帯雨林でのフィールドワークですから、集中力と共に体力が求められます。でも、世界的に見ると霊長類の研究者には女性が多いんですよ。個人的にはフィールドワークは女性の天職だと思っています。実際、ウガンダのカリンズにチンパンジーの調査地は、橋本の活躍があってこそ確立されたものなのです。

――橋本助教は、チンパンジーの生態を研究されているとのことですが。

橋本助教 以前は古市と同じボノボを対象にしていたのですが、唯一の生息地であるコンゴで紛争が起こり、入国できない期間がありました。古市も師事した加納先生の勧めもあって、調査拠点の整備の段階からカリンズに移り、チンパンジーのメス社会関係などを研究するようになりました。

――霊長類の研究に拠点を作るということは、世界各国で行われていることなのですか?

古市教授 世界には十数か所の類人猿の長期調査地がありますが、そのうち五か所は京大によるものです。ニホンザルのような霊長類が生息している先進国が日本だけだということも関係しているかと思いますが、ヒトの社会がどのように進化したかを探るのに、いち早く霊長類に注目して、アフリカでの現地調査を始めました。霊長類のフィールドワークにおいては日本が、とりわけ「サル学」を確立した今西錦司先生の流れを組む京都大学がリードしています。

――その成果とはどういったものでしょうか? 

古市教授 大きな成果は比較研究にあると言えます。例えばボノボとチンパンジー。ヒトと共通祖先を持つ両者は、遺伝的には亜種レベルでの違いしかなく、ともにメスが成長すると集団を離れていく「父系社会」を構成していますが、その社会の性質は大きく異なります。チンパンジーの社会が少ないメスをめぐってオス同士が激しく争うのに対して、ボノボの社会は実に平和的なのです。なぜ、ボノボのオスはチンパンジーのような攻撃性を示さないのか?理由のひとつはメスの発情期間の長さです。ボノボのメスも、チンパンジーと同程度の授乳期間を持つのですが、妊娠できなくても発情するため、交尾相手をめぐるオス同士の争いが起きにくく、メスが実権を握る社会を形成しているというわけなのです。こういったことは、複数の調査地を持ち、異なる地域、異なる種、異なる集団のフィールドワークの結果を比較する中でしか分からないかもしれませんね。

――非常に長いサイクルの研究の積み重ねということですね。

古市教授 先ほど申し上げた通り、ボノボやチンパンジーの寿命は長いので、研究はいきおい長いスパンで行うものとなります。先行研究を引き継ぐといった側面もありますが、調査に訪れるたびに新しい発見があるので、常に新鮮な気持ちで研究にのぞんでいます。また、集団の追跡にGPSを使ったり、個体の情報を得るために、糞や尿、毛などからホルモンやDNAを抽出して分析するなど、「ヒトとは何か」への探求の方法は進化し続けています。

下北半島と屋久島のニホンザル、コンゴ民主共和国のボノボ、ガボン共和国のチンパンジーとゴリラ、そしてウガンダ共和国のチンパンジーと、各地で野生霊長類の生態と行動についての研究を進めている。

研究パートナーとして、夫婦として。

――研究内容もさることながら、おふたりのパートナーシップにも興味があります。ご結婚された1994年当時は、それぞれ別の地域を拠点に研究をなさっていたのですよね?

橋本助教 古市がお話したとおり、フィールドワークは熱帯雨林の過酷な状況下で行います。通信環境が限られていますから、互いに連絡を取り合うには、関係をパブリックなものにする必要があるかなと…。

古市教授 夫婦であれば、大手を振って一緒にいられるからね。

――なるほど(笑)。…それでは、別姓にされているのはなぜですか?

古市教授 橋本にどちらの姓にする?ともちかけたところ、彼女は「あみだくじで決めようか」と答えました。そんな大切なことをくじで決めるのか…と驚きつつ、当然のように自分の姓にこだわっていた自分に気付き、別姓にすることにしました。もちろん、女性の研究者は増えているとは言え、それまでの研究功績が改姓することによって見えにくくなるといった実情への配慮もありました。

――戸籍上のパートナーが同じ分野の研究者であることにジレンマはありますか?

古市教授 たとえ別姓を名乗っていても、夫婦であることで個々に評価されにくいということがあります。橋本個人の研究であっても、私が支えたからだとか、実際は橋本の功績があってこその成果だとしても、私個人の研究として見られたりと、どこか不平等なんです。

橋本助教 研究者としては一種の競争相手ですから、調査方法や方針でぶつかり合うこともたびたびです。でも、最終的にはお互いの味方であるという信頼関係は築けていると思います。私は自分の研究に没頭したい方なので、研究の広報的な役割を古市に任せているところもありますね。

古市教授 そういう意味では、常に橋本にリードされていますね(笑)。以前は、明治学院大学で一研究者として過ごしていたのですが、彼女に駆り立てられて、京大に戻って研究を進めるかたわら、若い研究者を指導し、より多くの方に霊長類研究に興味を持っていただけるような活動にも力を注ぐようになりました。

――より「ヒトとは何か」の起源に近づくためにですね?

古市教授 そうですね。霊長類学は多様な分野と研究手法が学際的に融合したものですから、「自分が面白いと思ったことを面白く伝える」ことが一番の広報活動だと思っています。面白いと感じる好奇心こそが、研究者に求められる素養です。どのように調査を進めるかといったノウハウはいくらでもあります。肝心なのは何を研究したいか、高めた好奇心をどこに集中させるかです。昨今は、私たちが学生だった時代と比べると短い期間で研究成果を出さなければならないという風潮がありますので、好奇心を育てることがとても難しくなってきているとも感じています。

――お子様がいらっしゃるそうですが、夫婦としての役割はいかがですか?

古市教授 子供が生まれた時、女性教員も含めて明治学院大学初となる育児休業を取ったのですが、橋本は全く頼りにしてくれませんでした。

橋本助教 子育てに関しては、ボノボのオスと同じでメスに任せきりです(笑)。お互いの研究スケジュールの都合もあって、私がメインで子育てしてきたこともありますが、小学生になった今でも、ウガンダの調査地はもちろん、学会で別の国に行くときも出来る限り一緒に連れていくようにしています。

古市教授 チンパンジーの母子をいつも見ているせいか、チンパンジーの母親に近い感じで、長く子供と一緒にいるんです。その分、子育てのサポート役に徹して、橋本の食事は私が作っていますよ。

――研究に基づいた冷静な分析ですね(笑)。本日はありがとうございました。

古市教授・橋本助教にとっての「研究力」とは?

古市教授 何を研究するかが決まれば、その研究は八割方出来たようなものだと思います。どのように研究を進めるかといったノウハウやリソースは十分にありますからね。近年、若い研究者は短期間で成果を求められる傾向にありますが、初期段階でどこまで研究対象と向き合うことができるか、その後の探究を持続する大きなポイントになると思います。

橋本助教 好奇心に尽きると思います。ボノボやチンパンジーの日々の営みから何を見出すか、持っている知識や学力とは別のものだと感じています。フィールドワークには相応の体力と集中力が求められますが、女性の研究者も数多くいます。些細な変化や兆しに気付いて、興味を広げていくことができれば乗り越えられるものだと感じています。

古市剛史(ふるいちたけし)
京都大学霊長類研究所教授/霊長類行動・生態学、人類進化学

橋本千絵(はしもとちえ)
京都大学霊長類研究所助教/霊長類行動・生態学、保全生態学

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