大学キャンパスにとどまらず、今や全国各地で自作のパズルを載せたビラを配り、パズルの普及活動を行う「ビラがパズルの人」こと、東田大志(ひがしだひろし)さんは、日本で唯一の「パズル学研究者」。現役合格という自身の経験に基づく「頭が良くなるパズル」などの著作を記しながら、パズルが持つ様々な可能性を探究されています。

パズルの知られざる魅力について

 

――著作の一つ『パズル学入門』の副題が「パズルで愛を伝えよう」とされていますが、これはどういった理由で付けられたのでしょう?

東田 中高生を対象として書いたその本では、古来のものから最新のものまでパズルの歴史を紹介しています。ジュニア向けですから、学術的になりすぎないように、時代ごとの代表作を取り上げながら、パズルを「解く人」だけでなく「創る人」の側から見せることを意識しました。作り手と受け手がいる時点で、パズルは芸術のひとつであると思っています。アートである以上、そこには作り手の個性や哲学が滲み出るものであるというメッセージを込めました。

――古代のパズルの作り手とはどういう人たちだったのでしょう?

東田 ギリシャには神の言葉を伝える神託にパズルが使われていたという記録が残っています。神様に近い祭官らによって考案されたのでしょう。パズルは神秘性、宗教性を帯びたものとして生み出されたのです。一部の特権階級から始まり、次第に民衆に広がり、生活の中に取り込まれていくといった経緯を見ても、芸術に良く似た面を持っています。

――確かにそのように捉えると、パズルは音楽や絵画と同じように学術的に研究する対象と成り得ますね。

東田 芸術や歴史という面からパズルを研究する例は、インディアナ大学をはじめとして既に存在しています。私はパズルが媒介する、作り手と受け手の思考のコミュニケーションや、論理学、社会学的な面に注目して研究を進めています。

――そもそも「パズル」の定義とは何でしょう?

東田 現代では娯楽の一種として「クイズ」や「ゲーム」といった分野と重なる部分がありますが、論理学的に定義すると、「あらかじめ出された問題を、論理的に考察して、唯一解を導くもの」となります。知識がないと解を導けない「クイズ」とは違って、論理的な考察と手順が正しければ、答えにたどり着けます。仮に答えを知っていたとしても、途中の論理展開が正しくなければ、解いたとは言えないものでもあります。

――「ゲーム」との違いはどこにありますか?

東田 対戦相手のいるボードゲームや、進行や操作によって状況が変わり続けるテレビゲームは、問題が「あらかじめ出された」状態のままではないという意味で「パズル」とは区別されますね。ただ、将棋などで「詰み」の形になった段階で「パズル」と同じ状態になりますね。論理学の括りでは、論理的にたどり着けそうでいて解を導くことのできない「パラドックス」や、複数の解が矛盾し合ってしまう「ジレンマ」と分けられます。

――ひとつの解に向かって、分岐する思考を正しくたどるのが「パズル」であると。

東田 そういうことです。問題に含まれる「ルール」にしたがって、正しい論理展開を求めるという意味で、数学に非常に近いものがあると言えます。

――東田さんの書籍、「頭が良くなるパズル」の中には、漢字力や日本語力の向上に役立つとされているものもあるようですが。

東田 パズルが求める論理展開は、数学に限られたのものではありません。分岐する思考のどれを選び取り、展開するかといったトレーニングは、小学生を対象とした学習塾をはじめとして、既に多くの教育現場にひとつの要素として取り入れられています。

――パズルを教育ツールとして、普及されようとしているのでしょうか?

東田 入試問題は、「クイズ」的なものから「パズル」的要素を含むものに変わってきました。知識だけでなく論理的思考も試されるわけです。そういう意味で、パズルを解くことで養われる力が役立つものだと信じていますが、合格者を増やすことを主目的としてパズル本を出しているのでありません。無論、パズルに親しむ人を増やしたいからです。特に「頭が良くなるシリーズ」を手にされるのは、お子様のいらっしゃる親御さんがメインです。ただ、子供に買い与えるものではなく、親子でコミュニケーションを取りながら一緒に楽しめるようにまとめています。

 

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