航空写真をもとに樺太演習林の地図が作られていた!

―― 上空から撮影した森林の写真は、どんなことに使われたのでしょうか?

槇田 このアルバムとは別の場所にあった、2万分の1の樺太演習林の大きな手書きの地図を広げてみると、小さく「航空写真ニヨリ昭和八年六月製図」と書いてある。地図が入っていた筒には、小さな写真をモザイク状に貼り合わせた、地図とほぼ同じ大きさの航空写真が入っていました。 また、デジタル化の準備のために地下倉庫にあった「樺太演習林航空写真原板」と書かれた包みを開けてみると、四ツ切サイズのガラス乾板写真が17枚、入っていました。この写真は、航空写真そのものではなく、航空写真を小さく切り張りしてつなぎ合わせたものを接写したものでした。 これらを総合して考えると、樺太庁からもらった航空写真を張り合わせて17分割で撮影し、少し小さくプリントした後につなぎ合わせて1枚にまとめ、それをもとに樺太演習林の地図を作った、ということになります。

手書きの地図(左)と航空写真を貼り合わせたもの(右)
手書きの地図(左)と航空写真を貼り合わせたもの(右)

―― 航空写真をつなぎあわせ、さらにそこから地図を作るなんて、かなりの手間ですね

槇田 旧演習林の図書室に『米國空中寫眞地圖製作法』という本が残っています。これは、国土地理院の前身である陸地測量部が米国の文献を翻訳した手書き資料で、これを参考にしたんでしょうね。それにしても、図化機なしでの地図作りは難しかったと思います。作られた地図に等高線はありませんが、河川が細かく記されており、集水域によって分けられた林班境界線なども示されています。演習林の管理には十分役に立つ地図だったと思いますよ。

旧演習林の図書室に残されていた『米國空中寫眞地圖製作法』
旧演習林の図書室に残されていた『米國空中寫眞地圖製作法』

―― それにしても、戦前の樺太の航空写真が今も京大に残っているなんて、驚きです

槇田 のちに航空写真は軍事機密扱いとなり、樺太庁が管理していたこの写真の原本であるフィルムの所在は現在、分かっていません。敗戦の混乱期にほかの機密書類と一緒に焼却処分されたか、それとも進駐してきたソ連軍に接収されたのか…。そのごく一部の写真だけが、誰にも知られぬまま京大に残されたというわけです。

―― そう考えると、この197枚はかなり貴重な写真といえますね

槇田 この時期に陸軍飛行学校が撮影した測量用航空写真がセットで現存する事例は、他に見つかっていないそうです。当時の飛行や撮影の技術水準が分かる貴重な資料になると思います。また、撮影された地域は、戦時中から露天掘りの炭鉱として開発され、森林はほとんど残っていないので、当時の樺太の自然環境植生を記録する資料としても活用できるのではないでしょうか。

―― 台湾演習林の写真にも意外なものがあったそうですが

槇田 『規那樹造林 播種より剥皮まで』と題したアルバムです。これは、マラリア治療薬の原料となるキナ(規那)を台湾演習林で栽培する様子の写真で、アルバム自体が桐箱に収められていました。表紙には「賜天覧」とありますが、本当に天皇が見たものかどうかは、分かっていませんでした。 経緯を調べると、1940(昭和15)年、天皇の京都行幸の折に、京都帝国大学の研究資料が京都御所で展示されたことが分かりました。演習林からはキナ栽培に関する資料が出品されていて、大学文書館の書類を確認したところ、記録写真にこのアルバムが写っていました。宮内庁の要請で、このときの展示品は、航空燃料や合成石油など、すべて軍事に利用される研究に限られていました。キナの栽培も南方への軍事侵攻に不可欠なものでしたからね。

表紙に「賜展覧」とあり、桐箱に収められていたアルバム
表紙に「賜展覧」とあり、桐箱に収められていたアルバム
アルバムには、キナ栽培の様子の写真が数多く残されていた
アルバムには、キナ栽培の様子の写真が数多く残されていた