Biographies of Kyoto University's Personnel
京大人間図鑑
Vol.27

野村 理朗 教育学研究科 准教授

人間らしさの象徴とも言える感情。教育学研究科の野村理朗准教授は、心の階層のひとつである感情を本性や可塑性とともに明らかにし、新しい価値や世界観、意味の創造を通じて、社会に貢献してゆくことを”大きな目標“として掲げています。GAPファンドを活かした人社系として初の「創業」もされている野村准教授に、研究を始めたきっかけや、現在の活動、また研究で目指すものについて伺いました。

野村 理朗
教育学研究科 准教授

感情へのアプローチ

――先生は感情を研究されているとお聞きしました。そもそも感情にはどうアプローチするのでしょうか。

野村准教授 感情というのは主観的な思いですが、さまざまな手段で読み取ることができます。第一に、「嬉しい」「悲しい」などの主観的な言葉から感情にアプローチする方法があります。そのほかには脳波など体の生理反応を見る方法や、表情、声のトーン、姿勢などといったノンバーバルな行動観察からアプローチする方法もあります。最近は脳科学の発展により、感情研究では脳に重きが置かれる傾向がありますが、身体反応にも目を配り、複合的にアプローチすることが大事だと思っています。

――どのような関心から、感情に関わる研究に進んだのでしょうか。

野村准教授 実は元々、「どうやったら人の嘘を見抜けるか」といったところに興味がありました。本音と建前といった言葉があるように、感情と言語/表情が一致しない、しかもそれらが曖昧でわかりづらいという経験は皆さんおありでしょうが、そういった「嘘」を表情からどう見破れるか、というのが修士時代の研究テーマでした。人の顔の下半分は随意筋によって比較的自由にコントロールできますが、顔の上半分は不随意筋が多くあり、役者さんでない限り感情が漏れやすい部分です。これら表情の上下のずれを検出し、どれくらいの閾値で人が嘘をついているかを判断する研究を行っていました。このような経験が現在行っている研究に共通する二重性の原点だと考えています。

――現在はどのようなテーマに着目されているのでしょうか。

野村准教授 現在は伝統的な心理学のテーマに力を入れています。例えば、一つのわかりやすいキーワードとしては、「自己超越的感情」が挙げられます。自己超越とは、自分への囚われから解放されるような、自分の存在を忘れてしまうような心理状態で、比較的高次な感情として捉えることができます。これら伝統的なテーマに対し、AI、脳科学、自然言語処理など、心理学、生物学、情報学などの最先端の技術をもとに解明していく、というのが研究スキームです。

日本人の精神を探る

――先生は他にも日本人の精神に関わる感情も研究されているとお聞きしました。

野村准教授 先ほどの自己超越という概念は英語でself-transcendenceといい、カントの時代から長く西洋を中心に議論されてきました。しかし、この概念からこぼれ落ちてしまっている東洋思想からの観点として、「無心」があるのではないかと思っています。無心とは世阿弥の能楽論に出てくる「離見の見」のように、「自然と一体化して自分を忘れる状態」、そして「その状況を俯瞰する自分」の二重性を指す言葉です。例えば、俳句を詠む際には自然と一体化してその情景を詠む一方で、概念上の他者を想定しどう見られるかといったことを意識して詠むことが多いと思います。実際、作った俳句は句会という場でリアルな他者に評価されるわけですね。このように、「無心」は多くの日本人が無意識のうちに感じているものですが、西洋の方に無心について伝えると、フロイトの「無意識(=unconsciousness)」に置き換えてしまう傾向があるようです。これらは似ていますが全く違う概念です。

一方で、最近ではマインドフルネスのように、感情を分離することで環境と一体化し、囚われから解放されよう、といった時代の流れがありますが、これらの観点だけでは人間らしさを捉えられきれないとも思っています。これら「マインドフルネス」や「無心」を補完する相補的な軸として、最近は「いき」に注目しています。「いき」については九鬼周造の「いきの構造」に詳しいですが、ここで示される「諦め」「意気地」「媚態」などの立体的な構造を心理学的な視点から検討することに興味を持っています。例えば「諦め」はマインドフルネスに近い概念ですが、それだけではつまらないという「意気地」、相手に寄り添う「媚態」が合わさることで私たちの人間らしさというものがある程度形として理解できるのではないかと考えています。これら「無心」と「いき」という双極に心理学的にアプローチすることで、現代の生き方を問うきっかけになればと考えています。

――日本の心理学者の中でも「いき」や「無心」に着目している人は少ない気がします。どのような背景からこのようなテーマに着目するに至ったのでしょうか。

野村准教授 おっしゃるように、これまでのところ日本の心理学や認知科学に、とくに「いき」についてはほぼいないのでは、と思います。もともと社会に何かインパクトを与える活動がしたいとは思っていたのですが、高校生の頃にイラク戦争が勃発し、人が大量に殺される様子をテレビで見て、世の中を何とかしたいと考えるようになりました。実は母方の祖母の兄弟が皆キリスト教の牧師だったという影響もあり、宗教のようなものがショートカットで人の心を救ったり、世の中の流れを変えられたりできるのではないかと考え、キリスト教の伝導者と研究者とで進路を決めかねた時期もありました。結果このように研究の道を歩ませていただいたわけですが、根底に流れているそれらの想いから、無心やいき、超越などの生き方に関わるテーマへと自然に押し出されているように感じます。

人社系からのインパクトとしての創業

――先生はアカデミアにとどまらず、創業もなされているとお聞きいたしました。

野村准教授 2020年7月に「京都テキストラボ」という株式会社を共同設立しました。大学発のベンチャー企業として、研究を実用化して社会に役立てるというミッションを掲げています。具体的には、テキスト深層学習に金融工学や心理学を融合させながら、最先端の未来予測技術などを開発するスタートアップになります。

――産学連携ではなく、創業を選択されたのには理由がありますか。

野村准教授 産学連携と創業は似て非なるものです。産学連携では、研究者と企業との間で価値観や目指す目標などのギャップが存在することがあります。そうした中、自ら社会に拠点を築いてみたらどうなるのだろう、との想いから創業へと至りました。創業と一言に言ってもその種類は一般社団法人、株式会社、あるいは個人での起業から、技術移転等を梃子としたスタートアップに至るまで形態も業態もそれぞれにまったく異なります。このうちスタートアップは「魔の川」「死の谷」「ダーウィンの海」といった様々なチャレンジがありますが、これらを乗り越えて株式市場に上場することにより、資金規模が非常に大きくなるというメリットがあります。
創業に先立っては、京都大学のGAPファンドプログラムに応募しました。当時、人社系でGAPファンドへの採択の事例がない中、模索をしつつも、ファンドには2回ほどしっかり落ちたのですが、市場規模の調査や産学連携の担当者との対話や議論を重ね、バックアップをいただきながら、3年間をかけて人社系としては初めてGAPファンドに採択され、創業へと相成りました。

――人社系ではそもそも産学連携の数自体が少ないと感じていますが、「人社系からの創業」という点では非常にインパクトがあったのではないでしょうか。

野村准教授 以前、人社系で創業という観点から京大でお話をしたところ、企画された産学連携本部の方から「人社系での創業に興味を持っている人がこんなにいるのか」、とその反響に驚かれたと聞きました。理系や経済学などの分野では存じていますが、人社系の国立大学教員によるスタートアップは当時なかったように思います。まさに大学の運営交付金が減っている中で、知財等とともにスタートアップ支援による収益を重視する方向に向かっており、今後追い風が吹いてゆくことと思います。ただし、人社系の分野ではベンチャーキャピタルからの資金調達が難しく、人社系に関わりのある分野でも例えばメンタルヘルスなどは医学分野、AIなどは情報学分野からのアプローチが主流です。だからこそ工夫が必要であると同時に、そこが面白く、可能性を秘めた点だと思います。例えば、深層学習を用いた自然言語処理では、解析のスクリプトがプラットフォーム等に公開されていますが、人間の心については未解明な点が多くあり、生成されたテキストやその中に含まれる意味は重層的です。また「無心」や「いき」などの日本に特有の要素のある構成概念は、近年のカルチャーアントレプレナーシップの流れに見るように、国際展開の強みになるのでは、と考えています。

URAより

今回のインタビューの中で、野村准教授は「インパクト」という言葉を何度も口にされました。現在行われている研究の中で、自らの研究はどの点が他と違うのか、社会や海外に進出していく上でどの点が強みなのか、といったことを自問自答される野村准教授の姿勢には、社会にインパクトを与える研究がしたいという思いと、「生き方」に関する研究を通して世の中を良くしたいという思いの二重性が含まれているように感じました。

どのようにして自らの研究を軸に社会や海外にインパクトを与えるのか。これに対する野村准教授の一つの答えが創業でした。人社系分野からの創業は主に資金調達などの面で課題が多いものの、人間の感情や生き方といった人社系ならではの強みを軸に、ちょっとした工夫を加えることで多くの可能性が生まれるのではないか、と野村准教授は語ります。大学の運営交付金が減少し、情勢が目まぐるしく変化していく中で、どのように研究面から社会に貢献できるのか。野村准教授にインタビューしていく中で新たな示唆が得られたように思います。

(構成:福田 将矢)

野村 理朗(のむら みちお)
教育学研究科 准教授

名古屋大学大学院人間情報学研究科取得退学。2002年博士(学術)取得。東海学院大学大学院人間関係学研究科准教授、広島大学大学院総合科学研究所准教授などを経て、現在、京都大学大学院教育学研究科准教授および京都テキストラボ取締役。専門は、認知科学、社会心理学、実験心理学。著書に『「顔」研究の最前線』(北大路書房・共著)、『なぜアヒル口に惹かれるのか』(角川新書)のほか、単著・共著多数。

  • 野村 理朗 |京都大学 教育研究活動データベース

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