2017.03.21

大阪府南部、関西国際空港に程近い熊取町にある、京都大学原子炉実験所。核エネルギーと放射線の利用に関する研究・教育を行う研究所として、1963(昭和38)年に設立されました。研究所を支える技術職員の中に、親子二代にわたって活躍されている方がいます。草創期からこの実験所で働いてきた父の奥村清さんと、民間企業から転身して10年という息子の奥村良さんです。この仕事に携わることになった経緯、やりがい、実験所の昔と今についてお二人にお話を伺いました。さらに、奥村清さんと長年仕事をともにしてきたという、所長の川端祐司教授に対談に加わっていただきました。

実験所とともに歩んで50年の父、誇りを継ぐ息子

―― まずはお二人の経歴と現在の仕事内容を教えてください

奥村清 1967(昭和42)年に高校を卒業して入所しました。当時、「技官」と呼ばれていた技術職員は、全員が高卒でした。仕事は、ずっと原子炉の運転・管理を担当しています。入所したときは、実験所の原子炉が動き出して3年目でしたから、技術職員も研究者も若い人ばかり。原子炉に関する経験者が少なくて、今のように研究と管理の仕事を分けることができず、研究者も技術職員も一緒になって仕事をしていました。

ここの研究用原子炉では、ウラン235の核分裂によって発生する中性子を、物理学や化学、生物学、工学、農学、医学などのさまざまな実験に利用しています。私の仕事は原子炉を安全に運転、管理することで1年の半分が運転、残り半分でメンテナンス作業などを行っています。

原子炉制御室で運転操作について説明する奥村清さん
原子炉制御室で運転操作について説明する奥村清さん

良 2007(平成19)年に入所して、ちょうど10年になります。大学では有機化学を専攻して、大学院を経て化学メーカーに就職。4年ほど、関東にある工場の管理業務に携わりました。仕事には満足していたんですが、妻も同郷ですし、ゆくゆくは地元に戻るのがいいかなと思っていたこともあって、ここに来ました。

奥村清 ちょうど10年前が世代交代の時期に当たりまして、職員の募集があったんです。そんな話を女房にしていたら、息子に声をかけてみたら?って。僕はそんなこと考えもしなかったんですけど、言われてみたらそうやなぁと。それで、試験を受けてみたらどうかと提案したわけです。

良 僕も、父と一緒に働くなんて考えたこともなかったですけど、特に抵抗はありませんでしたね。職場は同じで、父と同じ技術職員ではありますが、担当するところは違います。原子炉の周りには、原子炉から出てくる中性子を使ういろいろな実験装置があるんですが、それらを管理するのが僕の仕事です。

この実験所は共同利用・共同研究拠点でもありますから、全国の大学からさまざまな人がそれぞれの研究テーマを持ってやってきます。そうした方々の実験のサポート業務も行っていますので、原子炉の運転中はとても忙しいですよ

※ 原子炉は現在、停止中。2017年初夏に再稼働予定

陽電子ビームシステム(写真左)の設置を担当した奥村良さん
陽電子ビームシステム(写真左)の設置を担当した奥村良さん

―― では、親子で一緒に作業をすることはないんですか

奥村清 普段はありませんが、去年、利用者が減ってきた古い設備を解体するという仕事があって、その作業を二人で担当しました。原子炉と密接に絡んでいる実験装置だったので原子炉の担当者と実験装置の担当者が協力する必要があって、たまたま担当だった二人が作業することになりました。

良 2カ月くらいだったかな。ほぼ毎日一緒に作業をしていました。言いたいことを遠慮なく言えますし、僕はやりやすかったですよ。

奥村清 もともと、親の威厳ってあんまりなくて(笑)。

良 父はモノづくりが好きで、昔から家の補修とかも自分でやるんです。僕も外壁の塗装とか、よく手伝わされてましたからね。今回の仕事もその延長みたいな感じでした。

―― 実験所での仕事って、どんなところにやりがいを感じますか

奥村清 原子炉の運転・管理という本来の仕事に加えて、3人の先生の研究支援に関わってきました。大学の研究は基礎研究が中心ですから、すぐ世の中のためになるかどうかはわかりませんが、先生たちの情熱に触れながら研究支援ができたことに満足しています。

良 実験装置の管理って、一番研究に近いところ。決まった仕事だけではなく、装置を改良するといった工夫の余地が大きいんです。原子炉自体は法規制がありますから、勝手なことはできないんですが、実験装置は研究者の要望を聞いて、こうやったらもっと使いやすくなるかな?など、自分の考え次第で仕事の幅が広がる。そこがおもしろいところですね。あと多くの研究者の方と実験できるので刺激にもなるし、知識の幅も広がります。

お忙しい中、取材に応じてくださった奥村さん親子
お忙しい中、取材に応じてくださった奥村さん親子

―― お父さまはこの3月に退職されるそうですね

良 父の仕事には見習うべきところがいっぱいあります。父は結構、努力家なんですよ。働きながら大学を出ているし、仕事に必要な資格もたくさん取って。僕が子どものころも家が近いこともあって時間を見つけては「原子炉に行ってくるわ」と、勉強しに行っていましたから。実際に入所してみると、父が勉強していた成果が見えるわけです。だからなおさら、すごいなと思います。

奥村清 入所と同時に4年間、工学系の夜間大学に通っていたんです。京大の良さだと思うんですが、周りの先生や職員たちが勉強することに関してはとても寛容で、いつも応援してくれました。試験が近づくと「ちゃんと勉強してるか」と気遣ってくれて。ありがたかったですね。

研究者が昼夜関係なく研究に没頭している姿を目の前でずっと見ていたから、僕もがんばってこれたと思っています。