Biographies of Kyoto University's Personnel
京大人間図鑑
Vol.19

高谷知佳 法学研究科 准教授

前近代の社会では、法や裁判だけでなく、さまざまな慣習やモラルや利害のせめぎあいが秩序を作り出していました。とりわけ、多様な人びとのゆきかう都市という場では、秩序と混乱は背中合わせでした。室町時代の京都にスポットを当てた研究に取り組む、京都大学大学院法学研究科の高谷知佳准教授。著書『「怪異」の政治社会学 室町人の思考をさぐる』では、室町時代の人びとの思考を探る題材として、当時「怪異」と呼ばれたさまざまな出来事に着目し、都市社会の秩序と混乱の一面を解き明かしています。

高谷知佳
法学研究科 准教授

歴史好きな法学部生が室町時代の謎に挑む研究者へ

―― 室町・戦国期の都市社会について多く執筆されていますが、どんな研究をされているのですか

高谷知佳准教授 専門は前近代の法制史です。現在の日本の法の枠組みは、明治時代に入ってきた西洋の法を基盤としていますが、その枠組みがまだなかった時代の法や秩序とはどのようなものであったのかを研究する分野です。私のテーマは、日本中世都市の法、特に当時の首都圏である京都や奈良を中心に研究しています。

―― 歴史研究の要素が強いような気がしますが、高谷先生は法学部のご出身ですよね

高谷知佳准教授 実は、特に目的があって法学部に入ったというわけではないんですよね。高校時代は勉強ばかりしていて、おもしろいことは大学に行ってから探そうと思っていました。ただ、将来は弁護士か何か、独り立ちしてやっていける仕事に就ければ、と考えていたので、法学部なら選択肢が多いかな、と。

私の関心としては、歴史とか文学が好きだったので、1回生のときは一般教養でそうした科目をたくさん履修しました。当時は「○○学基礎論」というタイトルでありながら、先生のマニアックな研究成果を学べるおもしろい講義がたくさんあったんですよ。そこで、研究っておもしろいな、と思うようになったんです。

―― 法律の勉強のほうは?

高谷知佳准教授 2回生くらいになって、法律関係の勉強はあまり向いていないな、と気づきまして。法学の思考って、ほかの文系学部とは少し違って、なんらかの目指す結論を決めて、そこに向かって人を説得するために法を用いて議論を組み立てていくという感じで。私はやはり歴史の史料や文学作品から何かを読み取るという方が好きだったので、法学部の中でそういう方向に進めたらと思って現在に至る、という感じです。

―― 法学において「法制史」とはどういうものなんでしょうか

高谷知佳准教授 癒しの場、だと思います(笑)。六法関係の気分転換にちょっと癒されに来るような分野じゃないでしょうか。ただ、せっかくなので、「現代とは異なる社会」の法や秩序のあり方について、想像の翼を広げて欲しいと思います。

同世代の研究者たちと作った、日本法制史の最新テキスト

―― 「現代とは異なる社会」とはどういうことでしょうか

高谷知佳准教授 私の専門は室町時代なのですが、室町時代って日本史の中でも一番、影が薄い時代ですよね。それは現代の私たちの目を通すと分かりにくいことが多いからです。法制史でいうと、鎌倉時代には『御成敗式目』、江戸時代には『公事方御定書』という、現代の私たちの目から見ても法や判例と似ているものがありますが、室町時代には特に見つかりません。だからこそ、過去の時代は法以外に、何を材料として社会の秩序が作られていたか、探っていこうと考えました。

そして、こうした関心から、2018年に、法制史だけではなく、日本史や法社会学、実定法など、さまざまな分野の研究者が集まって、古代から現代までの秩序を描く『日本法史から何がみえるか』という教科書を出しました。

人びとによって生み出され、政権や社会を動かした「怪異」

―― 2016年に著書『「怪異」の政治社会学 室町人の思考をさぐる』を出版されていますが、「怪異」に注目したきっかけは?

高谷知佳准教授 私は80年生まれなんですが、『ノストラダムスの大予言』などに影響されたサブカルチャーが大好きな10代を過ごしたので、そういう趣味から逃れられなかったんですね(笑)。

また、これまでは、「古代や中世の人びとは現代と違って非常に神仏を恐れ、宗教的な誓いやモラルが法と同じくらいの意味を持った」と考えられることが多かったのですが、その実態についても考えてみたいと思いました。その題材が「怪異」です。

日本史上で「怪異」と呼ばれているのは、神仏の像が破裂したり、寺社一帯に鳴動があったり、風もないのに鳥居や建物が倒壊したりといったものですが、基本的に神仏や怨霊が示す「これから更なる凶事をもたらす前兆」を意味していました。ところが、実は、これは最初からかなり作為的なものでした。

10世紀ごろに、寺社と政権とのあいだで、怪異の基本的なメカニズムが作り出されました。まず寺社から政権へと「怪異が発生した」、つまりこれから悪いことが起こるぞという警告が発信される。すると政権は、その寺社に対して、祈祷や奉幣などを行って神仏や怨霊をなだめる。このことは、起きるはずだった凶事を防いだことになります。こうして、寺社は政権から注目や利益を得ることができ、政権は社会に対して安定をもたらしたとアピールすることができたわけです。

室町時代の「怪異」に注目した著書

―― 「怪異」のメカニズムは寺社と政権の双方にメリットがあったわけですね

高谷知佳准教授 ところが、怪異をめぐる知識や情報が、寺社以外の社会の人びとにも蓄積されていくと、変化が起こってきます。何か一つ怪異が起きるたびに、「他にもどこそこで怪異が起きていたらしい」「この事態はいついつの事件と似ている」などと、さまざまなネットワークや蓄積された記録から、人びとがたくさんの情報を集めて分析するようになる。特に、情報の集中する首都は、怪異のるつぼになる。だれも発信していないのに、怪異の風聞がどんどん生まれて拡散され、収拾のしようがない。人びとが無知だからではなく、知識や情報を持っていたからこそ、都市には怪異があふれていったのです。

すると寺社は、これに対応して、政権よりも都市社会に対して怪異を発信し、いっそうあふれさせました。都市社会の人びとからの信仰や寄進は、寺社にとって大きな利益になったのです。

怪異があふれたのは、中世の人びとが非合理なものをそのまま受け入れたためではなく、むしろ合理的に考え、行動した結果であった……といったことを本には書いています。まぁ、法と宗教性の比較から遠くまで行きすぎて、これのどこが法学なのかと聞かれたら「すみません」と謝るしかないのですが(笑)

―― 人びとは「怪異」をただ恐れた、というだけでは片付けられないものなんですね

高谷知佳准教授 本で紹介した怪異の一つに、神像が破裂したというものがあります。寒暖の差が激しい場所では、漆を塗った木の像に「バキッ」と亀裂が入ることは確かに起こりますが、なんせ神様の像ですから、それは驚いたことでしょう。ただ、寺社こそが結構戦略的だったんだなと思ったのは、政権に「神像が破裂した」と報告し、びっくりした政権が丁重な扱いをしてくれたら、「直った」と言い出したことです。割れたものが直ることのほうがありえないのに、権力が自分のほうを振り向いてくれたら「直った」と言う。神像が割れた不安さえも利用する「したたかさ」があったということですね。そうなると、むしろお寺の人こそが、そんなに信心深かったわけでもないのかな、という気もしますよね。

中世の日本人は「訴訟嫌い」ではなかった

―― 現代のような法をもたなかった室町時代の人びとは、もめごとをどう解決していたんでしょう。わりと平和的だったんでしょうか

高谷知佳准教授 いえ、ケンカっ早い人がこの時代を作っていたんですよ。「穏やかな日本人」のイメージって、だいたい江戸時代以降のものです。

江戸時代には、地域や身分ごとに裁判管轄が決まっているなど、一見すると制度が整っているかのように思えるんですが、行政の人手が圧倒的に少ない。そのため、「個人的な紛争でお上を煩わせるのはよろしくない」と、和解するべきだと勧められるようになったんです。

ところが、室町人、特に大都市の人びとは、何でも訴えておこうって感じで、自分の利害をちゃんと主張する人たちなんです。「訴えるなんて良くないことだ」という感覚は持っていなかったんじゃないでしょうか。

「喧嘩両成敗」とか「日本人は争いが苦手」とか、現代の私たちの裁判をめぐる既成観念がいつから生まれてきたのか、そしてそれは本当なのか、見直してみるのはおもしろいと思いますよ。

様々な視点から「法制史」を興味深く語ってくださった高谷知佳准教授

―― 怪異が飛び交っていた室町期と、嘘か本当か分からない情報があふれている現代では状況が似ているような気がするのですが、歴史から学ぶべきことはありますか

高谷知佳准教授 私の本を読んで、怪異をめぐる情報のやりとりから、今のSNSの怪情報の氾濫ぶりを連想するとおっしゃる方はたくさんいらっしゃいます。そのとおりで、途方もない情報の海の中で、個々人が自らの意思で判断しなければならないのは、昔も今も変わりません。

しかし、「歴史に学べ」ということがよくいわれますが、それは、昔うまくいった方法に今から立ち戻るとか、伝統をただ守るということではないと思っています。「歴史に学ぶ」とは、これまでに、どれほど膨大な試行錯誤がなされてきたのかを学ぶことです。昔の人びとは、その時々の問題に対して、かれらの手持ちの材料で試行錯誤し、力を尽くしてきました。その結果に現在があるのです。それを学べば、今「こうすれば全部うまくいく」というような簡単なスローガンに乗っかることはない。現在の問題は、今の私たちが、手持ちの材料で、思考停止することなく向き合うしかないのです。

―― 室町時代はまだまだ解明されていないことが多いとのことですが、今後はどんなテーマに取り組もうと考えておられますか

高谷知佳准教授 都市というのは、どの時代のどの地域でも、人と経済と情報が集まる面白い場所なので、まだしばらく軸足を置いていきたいと思います。中世前期や世界のほかの地域の都市とも比較していきたいと思います。 都市の特徴の一つとして、紛争が多発するということがあげられますが、だからこそ、さまざまな法や慣習が生まれてきました。中世ヨーロッパでは、紛争を防ぐために、測量技術が精密になってゆくこともあったそうです。いろんな切り口から見ていきたいと思います。

高谷知佳准教授にとっての「京大の研究力」とは?

私は法学部ですが、実質的には半分以上歴史学なので、文学部の日本史学や西洋史学のいろいろな研究会に交ぜていただいて、真剣な議論から学んできました。

一方、法学部で知的財産法など現代の最先端の研究をされている先輩でも、私が古い京都の地図を広げて呻いていると、「何してるの?」と温かく見てくださる。

そんなふうに、さまざまな人を迎え入れたり、いろいろな研究を楽しむ余裕があったりということが京大の研究力の源となっているのではないでしょうか。今回出した教科書も、分野や所属を越えた人のつながりから生まれました。研究を通じてはもちろん、何かを楽しむ形でも、人のご縁ができるところなので、研究者としてはとても励みになります。

とても優しい物腰で『怪異』を紐解く高谷知佳准教授

高谷知佳
法学部・法学研究科准教授

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