近年、暮らしの豊かさを示す「幸福度」の指標作りが国内外で活発に行われています。他の国や地域との比較にとどまらず、固有の文化的特性の中で育まれる幸福感をどのように捉えるか。京都大学こころの未来研究センターの内田由紀子(うちだゆきこ)准教授は、文化・社会心理学の視点から、日本人の幸福感について研究しています。

幸福感は、文化によって異なる。

――専門は、文化心理学・社会心理学とのことですが、研究を始められた経緯を教えてください。

内田准教授 高校生の頃、平家物語や今昔物語といった古典が好きで、文学部に入学しました。ところが何か違うなあと(笑)。しばらくして、自分が古文そのものを研究するのではなく、その物語から垣間見える登場人物の感情の動き、時代・文化の精神と「こころ」の関係性に興味があることに気付いたんです。それで三回生の時に教育学部に転部して臨床系の心理学を学ぶことにしました。

――教育学部で扱われるのは、主に臨床心理学や教育心理学ですよね?

内田准教授 心理学の道を選ぶ大きなきっかけとなったのが、臨床心理学者として有名な河合隼雄先生の『昔話と日本人の心』でしたので、心が抱える問題について触れるなら、まずは臨床だろうと思いました。しかしここでまた一種の挫折を味わいます(笑)。臨床心理士が目指す方向性ではありませんでしたし、一方で古典や昔話に見られるような過去の人の心を研究するには限界があると感じるようになったんです。そんなとき、当時総合人間学部にいらした北山忍教授との出会いがあり、比較文化というように横軸に広げて文化と心の問題を考えられる文化心理学・社会心理学こそ、私が本当に学びたいことだとようやく気付いたんです。

――文化心理学・社会心理学とは、どういったことを研究テーマとするのでしょうか。

内田准教授 文化や社会がどういった影響を心に及ぼすか、また、心がどのようにし文化や社会をつくりあげるか、その関係を解明することです。私はとりわけ、幸福を求めるルートが国や文化によって異なるという点に興味をもっており、認知・感情のしくみや対人関係の比較文化研究をテーマにしています。また、こころの未来研究センターに着任してからは、心に関する基礎研究を進めながら、その成果をどのような場所で活用することができるか、社会が抱える問題に対してどのように科学的知見をフィードバックするかについて模索しています。

――内閣府の「幸福度に関する研究会」に参加されていましたね。

内田准教授 研究会が発足された2010年から昨年まで、文化・社会心理学者の委員として、幸福度調査のための指標作成や、調査方法の設計などの議論に関わりました。

――国内外で、幸福度に関する調査やその研究が盛んになっている理由は何でしょうか?

内田准教授 OECD(経済協力開発機構)が、生活満足度調査を行って、幸福度の指標作りの国際的な流れを作っていることも大きいと思います。国の豊かさを示す指標として、先進国、発展途上国の双方で用いられてきたのは、経済指標であるGDP(国内総生産)ですが、国の豊かさは経済的側面だけではなく心のあり方にも関わっていると考えられるようになってきました。たとえば1970年代前半に、経済学者・イースターリンは「幸福のパラドックス」として、経済的満足感と幸福感は必ずしも一致しないこと、つまり「経済的豊かさが上昇したからといって幸福感が上昇するとは限らない」と指摘していました*。近年では、ノーベル経済学賞の受賞者らが参加したフランスのスティグリッツ委員会でも、GDPは生産性の尺度であり、幸福度の測定にはより広い概念を含めるべきだという報告がまとめられました。

――幸福度調査は、それぞれの国が目指す幸福の在り方を踏まえる必要がありますね。

内田准教授 そうですね。内閣府の研究会が目指したのは、海外との比較だけではなく「日本の幸福」をどのように定め、どのように測るか。日本の文化や社会をベースにした新しい「ものさし」を検討することでした。

――つまり、従来の日本にはそれがなかったということですか?

内田准教授 政府で継続的に調査を行うための包括的な尺度は持っていなかったと言えます。アメリカで用いられてきた「ものさし」で測ると、日本人の幸福度はどうしても低いスコアとなってしまう…何故か?それは、その「ものさし」がアメリカの文化や社会に根差した「個人の成功」を軸に作られていることもその一員ではないかと考えています。日本には「他者との調和」を求め、穏やかで安定的な幸せを求める文化がありますから、それらの尺度を取り入れることも大切だと考えています。

――まさに、文化・社会心理学の研究者ならではの視点ですね。ちなみにその尺度を用いる利点は他にもありますか?

内田准教授 日本文化の独自性をふまえていますが、物質的豊かさだけではなくて関係性の中にある幸福にも価値を見いだすことは、社会の持続可能性にもつながると考えており、日本から社会に発信できるのはないかと考えています。

ブータンでの持続可能な幸福に関する国際会議
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*:様々な異論も提出されて、議論が続いている。