Behind Kyoto University's Research
ドキュメンタリー
Vol.19

国立台湾大学と探る「私」と「世界」の境界。認知をめぐる国際共同研究プロジェクト

人間・環境学研究科
齋木潤 教授

私たちは世界をどのようにして認知しているのか。自分の見ている世界は他人の見ている世界と同じか、違うのか。これら認知にまつわるテーマは多くの研究者を魅了し、神経生理学、認知神経科学、認知心理学といった多方面から研究がなされている。京都大学と国立台湾大学でも、分野と国境を横断した認知にまつわる共同研究が進行中だ。この共同研究を実際にはじめる契機になった「SPIRITS:『知の越境』融合チーム研究プログラム(以下、SPIRITS)」のプロジェクト代表者、人間・環境学研究科の齋木潤先生にお話を伺った。

文化が変わると「モノの見え方」も変わる

まずは齋木先生の研究テーマについてお聞きしたいのですが、視覚に着目した研究をされているそうですね。

「私はヒトが視覚で世界やモノを認知する仕組みについて、主に心理学実験を用いた手法で明らかにしようとしています。現在取り組んでいるテーマは視覚認知の文化比較というものです。

文化の差によって認知の仕方がどう変わるのか、台湾との共同研究以前から、日本とアメリカで比較を行ってきました。例えばこんな実験があります。実験の参加者にイラストやアニメを見せて記憶させ、後からどんなことが描かれていたかを答えてもらう。すると、アメリカ人は画面内で中心的に描かれているキャラクターについてよく記憶しているのに対して、日本人は背景の情報を記憶している。これが認知心理学でよく知られている東洋人と西洋人のものの見方の違いで、アメリカ人はより分析的な認知のスタイルを持っていて、日本や東アジアの人はより包括的・全体的な認知のスタイルを持っているというふうに言われています。

齋木潤先生

私が行っているのは視覚探索課題を用いた実験です。たとえば、垂直なバーがたくさん並んだ画面を参加者に見せて、その中からわずかに長さの違うものを見つけ出すのにかかる時間を測ります。バーの中から少しだけ長いバーを探す課題と、その逆に少しだけ短いバーを探す課題を行うと、アメリカ人の参加者では短いバーを探す方に時間がかかるのですが、同じ実験を日本人に対して行うと探索時間にほとんど差がないという結果が出ました。次に、同じ実験を短いバーと長いバーではなく垂直のバーと少しだけ傾いたバーに置き換えて行うと、アメリカ人は探索時間の差が小さく、日本人の方が垂直なバーを探す際により時間がかかるという顕著な差が現れました。

齋木先生が実験に用いている視覚探索課題の一例。左の画面では他よりわずかに長い線分を、右の画面では他よりわずかに短い線分を探し出すまでにかかる時間を計測する

これらの実験から、日本人とアメリカ人で視覚認知に違いがあるということはわかるのですが、これまで考えられてきた分析的、包括的という区分では説明がつきそうにありません。では、なぜそのような違いが生じるのか、原因を探ることで、両者がどのようなメカニズムでものを認知しているのかを明らかにしようとしています」

ものの見え方にそこまではっきりとした違いが出るのは驚きです。日本人とアメリカ人は文化的な差が大きそうですが、もっと近い地域同士で比較するとどうなのでしょうか。

「はい、正直なところ、東アジア圏内の地域ではアメリカと日本ほどの地理的・文化的な違いがないので、実験結果もそんなに差が出ないだろうと思っていたんです。それがSPIRITSで取り組んだ国立台湾大学との共同研究で覆されることになりました」

「環境理解」を掲げた国立台湾大学との共同研究

その実験結果をお聞きする前に、SPIRITSのプロジェクトに取り組まれた経緯について教えていただけますか?

「京都大学と国立台湾大学の心理学系とは以前から共同でシンポジウムを開くなどの交流があって、お互いに近いテーマの研究をしている研究者がいるので、共同研究の構想もあったんです。実際に行うに当たり資金が必要ということになり、SPIRITSに応募しました。実は一度落とされまして、二度目の挑戦で採択されました。採択されたのは2016年度でした」

プロジェクトのテーマは「国立台湾大学との連携による『環境理解の社会認知生物学』の創成」ですね。「環境理解」はなんとなくイメージできますが、「社会認知生物学」というのはあまり聞き慣れない言葉ですね。

「はい。共同研究にあたって知覚や記憶、ワーキングメモリといった共通のテーマが浮かび上がってきたので、これらを外界を知覚して情報として処理するために人々が持つ認知システムと捉え、システムを用いて環境を理解するという広い意味で『環境理解』をキーワードとしました。そして環境理解に関する種々のアプローチを大きなまとまりとして捉えようということで、参加メンバーそれぞれの研究テーマに関連するキーワードをひとつにしたのが『社会認知生物学』です」

種々のアプローチということですが、どんなメンバーでどのように研究を進められたのでしょうか?

「メンバーを大きなグループに分けると、ネズミやサルといった動物の脳の活動を研究する生物系、私のような実験心理系、そして社会的な認知の問題を扱う社会系の3つですね。テーマごとにチームに分かれて共同研究を行いました。もともと2大学間で共同研究をしていたチームもあれば、私と台湾側のリーダーの葉素玲先生で擦り合わせて、それぞれの大学で近しいテーマを研究している研究者に声をかけて引き合わせたチームもあります。

一方の大学で取ったデータを他方で分析したり、2大学で同じ実験を行って比較したり、それぞれのチームで最適なやり方を考え、研究に取り組みました。大雑把に見れば台湾大学は生物系の色が強く、京都大学は社会系のアプローチが強いというような傾向の違いもあり、大学ごとの強みを生かして取り組めたと思います。中でもやはり2国間の文化比較に関する実験が捗りました」

共同でシンポジウムも行われたそうですね。

「シンポジウムはSPIRITS以前から共同で開催していたのですが、採択期間中には2回、京都と台湾で行いました。テーマの近い研究者同士でペアを組んで発表を行ったほか、学生のポスターセッションも行い、それぞれの大学でどんな研究が行われているのかを知る格好の機会になりました。シンポの翌日にラボを見学させてもらうこともありました。今はコロナで直接交流こそできていませんが、こうした交流や共同研究はSPIRITSの採択期間後も続いています」

シンポジウムでのポスターセッションの様子

日本人と台湾人の視覚認知、驚きの実験結果

さて、それでは初めにお聞きした視覚認知の文化間比較のお話に戻ります。SPIRITSでは齋木先生は葉素玲先生と共同研究をされたそうですね。日本人と台湾人の視覚認知に違いは見られたのでしょうか?

「先ほども言った通り、私の予想ではそれほど差は出ないと思っていたんです。ですが、念のためにアメリカ人と日本人との比較と同じ視覚探索課題を台湾人の参加者に対しても行なったところ、台湾人は長いバーを見つける際に日本人よりも少し時間がかかるという、アメリカ人とは逆の傾向があらわれました。これは予想外の結果でした。ですが、葉素玲先生が主導される実験でさらに予想外のことが起こったんです。

葉素玲先生は漢字の視覚認知にまつわる興味深い研究をされています。まず、参加者に視野の中心を注視させながら、視野の周辺に漢字、たとえば『乏』を表示します。この時、参加者は漢字を周辺視野で捉えているわけですが、また別の文字を「乏」の近くに表示させると、周辺視野で捉えていた「乏」が見えなくなるんです(下図の「Crowded words」)。この現象をクラウディングと呼びます。葉素玲先生の研究はここからが面白いのですが、クラウディングを起こし周辺視野に表示された漢字が見えていない状態にした後、周辺視野の同じ位置に単独で文字を呈示してそれが漢字か非漢字かを判断させると、クラウディングが起こっていた漢字と意味的に関連している場合(例えば「乏」の後に「少」が出てくる) に反応が速くなることがわかりました。つまり、台湾人はクラウディングによって見えていないはずの漢字の意味を無意識下で読み取っているということが明らかになったのです。

葉素玲教授による周辺視野での文字認識実験。台湾人の参加者の場合、意味的に関連の薄い組み合わせ(江→少)よりも関連がある組み合わせ(乏→少)の場合に反応が速くなった(Semantic Priming From Crowded Wordsから図を修正して掲載)

一方、同じ実験を日本人の参加者に対して行うと、クラウディング状態のときはもちろん、周辺視野で漢字が見えているはずのときですら意味を読み取れていないことがわかりました。これには非常に驚きました。同じ漢字文化圏であるにもかかわらず、日本人と台湾人は視覚情報を異なる方法で処理しているようなのです」

共同研究がなければ気づかれなかったかもしれない、灯台下暗しの発見ですね。

文化と認知の相関関係を解明していきたい

齋木先生が現在関心を寄せておられるテーマや、今後の目標をお聞かせいただけますか?

「日本人とアメリカ人はもちろんのこと、日本人と台湾人の間にも明確な認知の差があることがわかりました。それでは、どうして文化によって環境に対する認知のあり方に違いが生まれるのか。また、そうした認知のあり方を使って人々はどのように社会的環境に適応しているのか。こうした問題を、『文化進化』、つまり文化がどのように進化するのかという視点に着目して解明していきたいと考えています。もちろん、仮説を立てることはいくらでもできるのですが、それよりも重要なのは科学的な裏付けとなるデータの集積です。これに関しては実験を積み重ねるのはもちろんですが、一つの実験室でできることには限りがあります。そこで、過去に行われた膨大な実験データを集約し、データサイエンスの手法で分析することでまた新たな知見が得られるのではないかと期待していまして、現在データの整理に取り組んでいます。ゆくゆくは歴史学、考古学、人類学といった分野とも連携してゆくことになるでしょう。

もう一つ、集団的意思決定というものにも興味を持っています。これは簡単に言えば、集団で一つの物事を決めなければならない場面で、どういう方法をとれば最適な回答を得られるのかという問題です。例えば、株価を予想する際に、一人の専門家が予想した値よりも、たくさんの素人による予想を集約した値の方が正しい結果が出るという『Wisdom of Crowds(群衆の智慧)』と呼ばれる現象が知られていますが、一体どういうメカニズムなのか興味が尽きません。最近では、こうした集団的意思決定が文化進化にも密接に関わっていると研究者の間で考えられるようになってきました。

時間はかかりますが、文化と認知の相関関係を大きな視野で捉える土台を作っていきたいですね」

国立台湾大学との懇親会での1枚

齋木 潤(さいき じゅん)

人間・環境学研究科 教授
カリフォルニア大学ロスアンジェルス校心理学研究科修了。博士(心理学)。名古屋大学、京都大学大学院情報学研究科などを経て現職。主な研究テーマは視覚認知、探索の科学、群衆の智慧。

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