自然免疫システムと遠隔転移の関係を究明し、人々が安心してがん治療に向き合える未来へ「がんの遠隔転移は予防できるのか?」
医学部附属病院 放射線部 助教
中島 良太
薬学研究科 教授
土居 雅夫
京都大学創立125周年記念事業の一つとして設立された学内ファンド*「くすのき・125」。このファンドは、既存の価値観にとらわれない自由な発想で、次の125年に向けて「調和した地球社会のビジョン」を自ら描き、その実現に向けて独創的な研究に挑戦する次世代の研究者を3年間支援するというものだ。
*「学内ファンド」とは、京都大学がめざす目標に向けて、京都大学が持つ資金を学内の教職員等に提供する制度のことです。
2020年度に採択された土居雅夫先生が取り組むのは「サクセスフルエイジング実現のための脳老化克服」。体内時計のリズムをコントロールすることで、加齢に伴う病気や認知機能の低下を根本から克服する画期的な研究だという。125年後、老後の時間はどう変わるのか? メッセージ動画とインタビューで伺った。
まずは先生の研究テーマについて教えていただけますか?
「私の研究テーマは『体内時計に基づいた時間医薬科学の創生』というものです。今まで、例えば心臓の病気を治療する際には心臓組織そのものなど目に見える部分が対象とされてきました。私の研究は、目には見えない時間という対象をコントロールすることでさまざまな疾病の治療や予防ができるようになることがポイントです」
時間をコントロールして病気を治す……一体どういうことでしょうか?
「鍵になるのは、24時間周期のリズムを身体に生み出す体内時計です。体内時計と疾病の関係について研究してきた結果、体内時計のリズムが乱れて睡眠障害に陥ると、高血圧症や肝臓の代謝障害、夜尿症、記憶喪失などの症状が起こることがわかりました。そこで現在は、一度崩れた体内時計のリズムを薬によって復活させることで、これらの疾病を治療するというテーマに取り組んでいます。名付けて『時間医薬イノベーション』です」
基本的なところで恐縮ですが、体内時計とはどんな仕組みなのでしょうか?
「体内時計を司っているのは、時計遺伝子とよばれるいくつかの遺伝子です。時計遺伝子からある種のタンパク質(時計タンパク質)が作られて、それが一定量に達するとタンパク質から遺伝子へ『もう作らなくていいよ』というフィードバックが送られます。タンパク質はしばらくすると自然に分解して減っていき、ある程度減るとまた作られ始めるというふうに、24時間周期で増減を繰り返します。このリズムが体内時計を生み出しているのです。
こうした原理は、ヒトでも、マウスでも、ショウジョウバエでも、カビでも、バクテリアでも共通しています。人間の場合は脳の中枢に体内時計を司る部位があり、『今は起きて働く時間だ』『今はゆっくり休息する時間だ』というふうに全身の細胞に司令を出しています。こうしたメリハリがないと、免疫系の働きが弱くなり病気にかかりやすくなるなど、さまざまな不調を引き起こしてしまうのです」
先生はいつ頃から体内時計に着目されたのでしょうか?
「私が東京大学の学部4年生だった1997年、時計遺伝子の一つであるClock遺伝子が哺乳類としては初めて発見されました。また、同じ年には東京大学の程肇先生(現・金沢大学 教授)と当時神戸大学の岡村均先生(現・京都大学 名誉教授)のチームが、同じく時計遺伝子であるPeriod遺伝子をヒトで初めて同定します。私はちょうど大学院へ進む頃でしたので、こうした発見に興味を惹かれて時計遺伝子の研究に当時新たな手法を取り入れて進めておられた深田吉孝先生の研究室に進みました。それから約10年の間に、私たちが新たに発見したE4BP4という遺伝子を含め合計15個以上の時計遺伝子が発見されています。
そのようにして、10年以上にわたって体内時計の分子機構の解明という大きなテーマの研究に貢献してきました。この分野の進歩はめざましく、2017年には体内時計の研究者3名がノーベル賞を受賞しています。
近年は基礎研究の成果を医療につなげるため、先程お話ししたような体内時計と疾病の関係について研究してきました。そして現在、更にステップを進めて、時間医薬の創生に取り組んでいるのです」
先ほどのお話では、体内時計のリズムの乱れによる睡眠障害が疾病を引き起こすということでした。睡眠障害を改善する薬といえばまず睡眠薬が思い浮かぶのですが、体内時計のリズムを整える薬というのは、睡眠薬とどのように違うのでしょうか?
「睡眠薬というのは、強制的に脳の機能を止める働きをします。一方、私が時間医薬イノベーションの名の下に開発しようとしている『生体リズム調整薬』は、体内時計の仕組みに作用して、眠るべき時間により自然な眠りを促すものです。極端な例えですが、睡眠薬を飲んで寝ている間に火事が起きたとしたら、脳が機能を停止しているのでパッと起きることができない。でも生体リズム調整薬なら、自然な眠りをサポートするだけなので、すぐに起き上がって逃げることができるはずです。このように、人間にもともと備わっている24時間周期の身体のリズムを薬で整えてやって、生活習慣を同調させることで、病気に負けない健康な毎日が送れるようになるわけです」
「くすのき・125」では、125年後の調和した地球社会のビジョンについて伺っています。先生のビジョンをお聞かせいただけますか?
「私が掲げるビジョンは、『125年後のサクセスフルエイジング』というものです。サクセスフルエイジング、つまり、歳をとっても病気をせず、最期まで充実した人生を送ることが当たり前の社会を作りたいと考えています。
老化はいわば万病の元で、人間は歳をとると身体にさまざまな不調が現れます。しかしその詳しいメカニズムは明らかになっていません。これから先、科学の進歩によって歳をとる過程で身体に何が起こっているのかというプロセスが明らかになってくるでしょう。そうすれば、加齢による病気を予防していつまでも健康に過ごせる社会が実現できます。日本には『祇園精舎の鐘の声…』の平家物語に代表されるような無常の文学がありますが、そうした人生の儚さを謳う心は大切にしつつ、老化という生物学的なプロセスが科学の言葉で正確に理解されるようになると考えています。
私はこうした老化のメカニズムを、脳の老化、とくに体内時計に着目して明らかにしたいと考えています。人間は若いうちは、はっきりとした体内時計のリズムがあるのですが、加齢とともにそのリズムが減衰して、早朝覚醒や睡眠の断片化といった睡眠障害が起こります。これが加齢によって引き起こされるさまざまな問題の原因の一つになっているのです。このリズムを元に戻してやることで、加齢に伴う病気に一つ一つ対処していくのではなく、根本から一網打尽にできるのではないかと考えています。
そうした身体のリズムに加え、もう一つ重要なのは脳のリズムです。朝起きて、仕事をして、昼寝も取って、夜はしっかり寝るというメリハリを与えれば、記憶力が増し、社会とのつながりも増え、何歳になっても人生の喜びを感じることができるようになるかもしれません。睡眠覚醒リズムを整え、脳の認知機能を維持することで、同じ寿命でも2倍、3倍にも濃密な時間を未来に創出したいと考えています」
高齢化がますます進む現代社会で、老後をいかに健康で充実した時間にするかは大きなテーマですね。その鍵が体内時計にあると。
「私たちが研究に取り組んできた大きな背景として、現代社会の変化によって乱れてしまった体内時計リズムを改善したいという思いがあります。江戸時代を想像してみてください。夜の灯りといえばろうそくしかなくて、日の出とともに起き出して働き、日が沈んだら寝るという生活だったはずです。それが電気の発明によって一変します。夜遅くまで活動することができるようになり、昼夜交替労働や、さらにここ数年では地球の裏側の人とも話せるようになりました。そうした変化が急速に、それも庶民レベルで起こったことで、多くの人々の身体にいろいろな不都合が出てきているんです。
老化の問題も同じで、医療が発達していなかった時代なら私たちのような庶民は40代、50代で亡くなっていた。80歳、90歳まで生きられるようになったのはつい最近のことで、ヒトという種全体のマスレベルでは初めて老化と直面していると言えるでしょう」
生活リズムの面でも、老化の面でも、人類は経験したことのない試練に立たされているのでしょうか。
「その通りです。だから、今こそ全く新しいバイオロジーが必要とされています。私の場合だと体内時計という視点から生体リズム調整薬を開発することで、睡眠覚醒リズムを整え、いろいろな病気を根本から一網打尽にするということを考えているのです」
「くすのき・125」では具体的にはどのような研究に取り組まれるのでしょうか?
「体内時計の中枢をターゲットにして生体リズム調整薬を作り、疾病への効果を検証します。体内時計には脳に存在する中枢時計と末梢組織に存在する末梢時計があり、中枢時計が末梢時計を制御しています。これまでの実績として、マウスの眼の末梢時計をターゲットとして加齢性のドライアイを改善する時間医薬の開発に成功しています。くすのき・125ではいよいよ中枢時計をターゲットとして、脳の老化やそれに伴うさまざまな疾病の克服に挑みます。その手始めとして、アルツハイマー病に代表される認知症を改善したり、進行を遅らせたりすることができるのかをマウスを使った実験で証明することが近々の目標です。
アルツハイマー病は脳にアミロイドβという異常タンパク質が溜まることで発症しますが、京都大学薬学研究科には動物が生きたままその脳の中のアミロイドβをリアルタイムに観察できる貴重な装置があります。マウスに生体リズム調整薬を投与し、脳内のアミロイドβの増減を観察しながら、同時に脳波も測定し、睡眠覚醒リズムの回復とその認知症への効果を検出する予定です。マウスを用いた研究をヒトに応用して実用化するにはさらに長い道のりがありますが、一歩ずつ成果を重ねていきたいと思います」
時間がかかるとわかってはいても、誰もが健やかに歳を重ねられる未来が待ち遠しい気持ちです。
「時間医薬による老化の克服は超長期的で大きなテーマです。もちろん、個々の病気を治療するには他にもっと直接的な方法があるかもしれませんし、短期的なビジネスとしての魅力には欠けるかもしれません。しかしそれ以上に、老化という生命の不思議を理解するということは、科学を超えた全人類の知に貢献する営みであると私は考えているのです。こんな挑戦的な課題をサポートしてくれるところはなかなかありませんから、『くすのき・125』はすばらしい基金だと思いますね。次の世代の研究者や125年後の人々にどんな未来を遺せるかということを考えながら、日々研究に取り組んでいます」
薬学研究科 教授
東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻博士後期課程修了。フランス国立科学センター日本学術振興会海外特別研究員、神戸大学大学院医学系研究科助手を経て2007年に京都大学に着任、2018年4月より現職。研究テーマは生体リズムを基盤とした時間医薬科学の創成。