Behind Kyoto University's Research
ドキュメンタリー
Vol.42

神経細胞同士のミクロな繋がりから、人間の脳のはたらきの謎に迫る。「神経細胞を用いた高次脳機能再現法の確立」

理学研究科 助教
田中 洋光

くすのき・125

京都大学創立125周年記念事業の一つとして設立された学内ファンド*「くすのき・125」。このファンドは、既存の価値観にとらわれない自由な発想で、次の125年に向けて「調和した地球社会のビジョン」を自ら描き、その実現に向けて独創的な研究に挑戦する次世代の研究者を3年間支援するというものだ。
*「学内ファンド」とは、京都大学がめざす目標に向けて、京都大学が持つ資金を学内の教職員等に提供する制度のことです。

「神経細胞を用いた高次脳機能再現法の確立」というテーマで2021年度に採択された理学研究科の田中洋光先生は、神経細胞同士をつなぐシナプスの機能に着目して、人工的に神経回路を再現する研究に取り組んでいる。謎に包まれた脳の働きに迫ることで、田中先生が実現させたい未来とは? メッセージ動画とインタビューで伺った。

脳の機能は、天文学的な数のシナプスのつながりで維持されている

まずは田中先生の専門分野について教えていただけますか?

「私の専門は神経科学です。とくに神経細胞同士を繋ぐ部分であるシナプスに着目して、ライブイメージングとよばれる手法で神経細胞を観察したり、パッチクランプという電気生理学的な手法で細胞間での神経細胞の応答を記録したりと、シナプスの機能を研究しています」

神経細胞やシナプスは、脳の中でどんな働きをしているのでしょうか?

「私たちの脳をはじめとする神経系では、多数の神経細胞同士が常に情報伝達を行っています。神経細胞から伸びた突起状の部分をシナプスといい、シナプスを介して情報を送る側を前細胞、受け取る側を後細胞といいます。少し細かい説明になりますが、前細胞と後細胞のシナプスは物理的につながっているわけではありません。前細胞は電気的シグナルをうけて、シナプスの先端からGABAやグルタミン酸といった神経伝達物質を含むシナプス小胞を放出します。後細胞にある受容体がこの神経伝達物質を受け止めることでイオンの流出入が起こり、それが電気的シグナルとしてまた次の細胞に伝わります。こうした情報伝達のリレーによって、私たちが運動したり、考えたり、記憶したりするはたらきが制御されているのです」

シナプスの模式図。上側は、情報伝達物質を含むシナプス小胞を放出するシナプス前細胞、下側はその伝達物質を受け取る受容体があるシナプス後細胞を表す

神経系の中でとくにシナプスに注目して研究されているのはなぜでしょうか?

「神経細胞がおおよそ50から100マイクロメートルあるのに対して、シナプスは1マイクロメートルにも満たない小さな存在です。神経科学では従来、神経細胞の研究が盛んに行われていましたが、近年になって研究手法が進歩するとともに、シナプスという細部こそが重要なのではないかと言われるようになってきました。それは、シナプスこそが神経系の情報伝達効率を制御しているからです。

どういうことかというと、シナプスは刺激を受け取ることで数が増減したり、大きくなったり小さくなったりするのです。あくまで一例ですが、たとえばスポーツの動作を習得するとき、最初はぎこちなかった動きが、練習を重ねるうちに徐々に洗練されていきますよね。このとき脳内で何が起こっているかというと、ぎこちない動きを記憶している古い神経回路のシナプスが減って小さくなり、スムーズな動きを記憶した新しい回路のシナプスが増えて大きくなっている可能性があります。こうした性質を『シナプスの可塑性』と呼びます。可塑性によって脳内の神経回路が最適化されることが、記憶や学習の一つの基盤になっているのではないかと言われています。

私はこうしたシナプスのもつ機能のメカニズムを明らかにすることで、最終的には高次脳機能、つまり複雑なものごとを考えたり記憶したりといった、人間に特有の能力がどのように成り立っているのかを理解したいと考えています」

シナプスは私たちの記憶や思考に関わる、重要な研究対象なのですね。先生はどういった経緯で神経科学に興味を持たれたのでしょうか?

「改めて口にすると少し恥ずかしいのですが、宇宙や生命の真理に迫りたいという探究心を燃やして京都大学の理学部に進学しました。そこでさまざまな講義を受け、中でもとくに興味を持ったのが神経科学でした。

人間の脳には神経細胞がいくつあるかご存知でしょうか? はっきりとはわかっていないものの、およそ1000億から1500億個 だと言われています。さらに、一つの細胞には1万個ほどのシナプスがついています。これを単純計算すると、私たちの脳機能は、ざっと10の15乗個という天文学的な数のシナプスが絶え間なく情報伝達を行うことで維持されているということになります。

にもかかわらず、脳はコンピュータに比べて格段に小さなエネルギー消費で複雑多様な情報処理を行っています。電力に換算すると20から30W程度、家庭用の電球たった1個分です。もしこの原理を解明できれば、応用の可能性は底知れません。脳の中にはもうひとつの宇宙が広がっているといってもいいでしょう。講義を通してこうした大きな不思議に触れたワクワク感が、現在取り組んでいる研究につながっています」

顕微鏡で神経細胞を観察する田中先生

脳を深く理解することで、脳機能障害という壁を取り払いたい

くすのき・125では、125年後に実現させたい調和した地球社会のビジョンについて伺っています。田中先生のビジョンについて教えてください。

「私たちの社会を見渡してみると、人々の間に相互理解や交流を妨げる壁があるように思います。神経科学の視点で考えてみれば、脳に障害を抱えた方や、アルコールや薬物への依存症を抱えておられる方といった、脳機能の発現がうまくいかずに苦しんでおられる方々がいらっしゃいます。そうした方々がいるということは知られていても、どんな生活を送っているかまではよく知られていませんし、交流という意味でもまだまだ壁があるのではないかと思います。

私は神経科学の研究を通して、障害のある人もない人も、誰もが壁のない状態で交流・調和できる未来を実現したいと考えています」

さまざまな立場の分断を乗り越えることは、これからの社会でますます大きな課題になりそうですね。ビジョンの実現に向けて、先生はどのようにアプローチしようとされているのでしょうか?

「私が貢献できるとすれば、神経細胞同士がつながって情報伝達を行う道筋、つまり神経回路を人の手で自在につくり出して、制御する技術を確立することです。この技術によって、生体内の脳の特定の部位の神経活動を再現するという、今までにない学問分野を構築したいと考えています。

そのようにしてつくった神経回路を、今度は脳に障害を負った実験動物に移植して、機能が回復するかどうかを検証します。最終的には人を対象にして、失われた脳機能を代替するような神経回路をつくり出し、移植治療によって脳機能障害を克服できる技術を実現できれば、ビジョンの実現に一歩近づくのではないかと考えています。

顕微鏡で観察したシナプスの画像。EGFP(緑色蛍光タンパク質)でシナプス後細胞を標識し、シナプス前部マーカーを抗体染色することでシナプスを可視化した (矢印)。

また、実験で制御可能な神経回路をつくり出すことは、脳機能そのものへの理解を深める上でも非常に重要です。現在、脳のどの部位がどんな働きをしているのかということは研究によってかなり明らかになっていて、特定の脳機能を促進したり抑制したりする治療薬も開発されています。しかしそうした薬がどうして効くのか、という詳しいメカニズムまではわかっていません。神経回路を使った実験が行えるようになることで脳機能の解明が進み、今よりも有効な治療薬の開発につながることも期待できます」

先生が再現しようとされている神経回路とはどのようなものなのか、もう少し詳しく教えてください。

「脳の中では、部位によって働きの異なる大小の神経回路が寄り集まることで全体の働きが維持されています。神経回路の規模はさまざまで、大規模なものを再現するのは現状ではかなり難しいです。しかし、部位によっては数十から数百個という非常に小規模な神経細胞が集まった回路で脳機能が制御される可能性があることがわかりつつあります。まずはそれくらいの規模であれば、シャーレの上で神経細胞を培養することで再現することが可能なのではないかと考えています。

実験での扱いやすさも重要です。生体内の神経細胞では1細胞あたりシナプスが10,000個というオーダーでできるため、実験で制御することが困難です。一方、シャーレの上で再現した小規模な局所回路であればシナプスの数をごく少数に抑えることができ、格段にコントロールしやすくなるというメリットがあります。基礎実験で大切なことは、可能な限りシンプルな実験系を使って明快な結果を積み重ねていくことです。なぜなら、それがより大きく複雑な対象を研究する際の指針になるからです」

このような研究に取り組もうと思われたのには、何かきっかけがあったのでしょうか?

「真理の探究に燃えていた学生時代に、知的障害をもったあるお子さんに出会ったことがきっかけでした。その子は赤ちゃんの頃に病気が原因で脳に障害を負い、他者との意思疎通がうまくできなくなってしまったのですが、現在の医療では治療法がありません。あるときその子のお母さんが、神経科学を学び始めたばかりの僕にこうおっしゃいました。『いつかこの子が本来持っていた機能を回復させて、この子の気持ちが理解できるような未来が来たらいいな』と。その言葉を聞いて、すぐには無理でも、いつかその日が来るように自分の研究が一助になればと強く思いました。

もうひとつのきっかけは、実験のために神経細胞を培養する過程で、ガラス面の上でシナプスを形成させるのに成功したことでした。同時期に、先程例に挙げたような小規模で単純な神経回路もあるという論文を読んだこともあり、『単純な回路であれば自分の技術を応用して再現できるのでは』と思い、今回のテーマにつながりました」

シナプスの機能についての知見を使い、神経回路の再現に着手する

くすのきの3年間ではどのような研究に取り組まれる予定でしょうか?

「神経回路をつくるために欠かせないシナプスの機能について、いくつか興味深いことがわかりつつあるので、まずはそこを論文という形にしたいと考えています。

1つ目はシナプスの情報伝達に関する研究です。神経活動が活発になると、前細胞のシナプスから後細胞のシナプスに向かって、GABAやグルタミン酸といった神経伝達物質を閉じ込めた小胞が放出されます。この際、かなりの量の小胞が一度に放出されるので、そのままではすぐに枯渇してしまいそうなものですが、実際には小胞は枯渇せず、情報伝達が止まってしまうこともありません。このため、一度使った小胞を再度取り込んでリサイクルするようなシステムがあるはずだと言われていました。そこで私は、ライブイメージング手法を使って、実際に小胞が取り込まれる様子を観察することにしました。その結果、小胞が枯渇するような強い刺激を神経細胞に与えることで、一度放出された小胞の取り込みが起こるというメカニズムがわかってきたのです。これは神経活動を理解する上で重要な知見につながりそうなので、さらに実験を重ねて検証していきます。

2つ目は、シナプス後細胞に関する研究です。情報伝達物質を受け取るシナプス後細胞では、刺激に対してシナプスの大きさが変わったり、数が増減したりしています。マウスやラットを使った実験で、とくに若いシナプスでは刺激を与えると、シナプスやその周辺の構造が変わりやすいことがわかってきました。神経回路をつくる上で、これらが変わる仕組みは細胞同士のジョイント部分をつくったりなくしたりすることに活用できるのではないかと考えています」

神経回路の基礎となる研究がまとまりつつあるのですね。神経回路を実際につくる研究についてはいかがでしょうか?

「基礎研究の次の段階として、神経回路をつくる予備実験に着手しています。神経細胞を研究する際の従来の手法では、脳から取り出した神経細胞をシャーレに分散させて培養することが一般的でした。しかしこの方法では神経細胞はきれいに並ばず、でたらめにつながり合うため、刺激を与えても情報伝達の流れを把握することができないという問題がありました。

そこで私は、シャーレの上に線路状の構造をつくって、それに沿って神経細胞を培養することに挑戦しています。こうすることで、どの点に刺激を与えればどんなふうに信号が伝わるのかという因果関係がわかるような回路ができるのです。いずれは機械を使って複雑で精緻な回路をつくれるようにしたいですが、現在のところ手作業で、円形などの簡単な回路はつくれるようになりました。今後はさまざまな形の回路で実験を行いたいと考えています」

実際に培養した神経回路。独自の実験技術により、線路状の回路を作成した。

3つの研究を挙げていただきましたが、くすのき・125採択期間の3年間ではどこまで進められそうでしょうか。

「現在のところ、1つ目に挙げたシナプスの情報伝達機構の研究をメインに取り組んでいます。一度実験で神経細胞を使うと、次の神経細胞を培養して成熟させるには2週間ほどかかるので、その間にシナプスの構造に関する研究、そして実際に回路をつくる研究も同時進行していきます。3年間ですべての研究を統合して、任意の神経回路をつくって制御するというところまで持っていきたいと考えています」

神経回路をつくる上でシナプスの結合や回路の形に注目されているとのことですが、他に関わってくる要素はありますか?

「他の要素としては、まず、神経細胞を取り巻く環境が挙げられます。神経細胞同士は正確にタイトにつながる前からコンタクトを取っていて、お互いに相互作用することでシナプスが発達し、回路ができるというふうにイメージしてください。この神経細胞同士が結合しやすくなる環境づくりの例としては、神経細胞に栄養を運んだり不要な代謝物を排出したりするグリア細胞を一緒に培養することが挙げられます」

神経回路にもサポート役が必要なのですね。神経細胞自体は均質なものなのでしょうか?

「実は神経細胞にもさまざまな種類があります。たとえば、記憶を司る部位である海馬には、情報伝達を促進する興奮性の神経細胞と、落ち着かせる抑制性の神経細胞という、大きく分けて2種類の神経細胞があることが知られています。さらに、細胞自体の形や情報伝達のしやすさといった機能などの違いによる神経細胞のバリエーションは20から30種類にのぼるといわれていますが、詳細はまだ全くわかっていません。そこで、それぞれの細胞がどんな機能を持っているか調べるのに、人工の神経回路が一役買えるのではないかと思っています。それぞれの神経細胞の役割を解明し、それらをうまく組み合わせることで、ターゲットとする神経回路を再現できるところまで実現したいと考えています」

人間の高次脳機能の根源に迫りたい

最終的には人間がもつ高次脳機能の成り立ちを探究したいということでしたが、神経回路を使った研究はこの問題にどのように関わってくるのでしょうか?

「一番知りたいと思っているのは、記憶形成のメカニズムです。というのも、自分という人間を形づくっているのは何かと考えてみると、核になっているのは過去の経験の積み重ね、つまり記憶の集積にいきつくからです。神経回路を使ったアプローチとしては、マウスを用いて記憶を司る海馬の一部を除去し、培養した神経回路と入れ替えて行動の変化を観察するといった実験が考えられます。まだ遠い道のりではありますが、この問題に切り込むことができれば研究者として悔いはありません。

そして、人間の高次脳機能を考える上でもうひとつ重要になりそうなのが、脳の形と機能の関係です。神経回路のミクロなつながりだけでなく、記憶形成を司る海馬や脳全体の大きな形を真似ることで、脳機能の本質を引き出すことができればとても面白いのではないかと思っています」

田中 洋光(たなか ひろみつ)

理学研究科 助教

2012年、京都大学大学院理学研究科博士後期課程修了。2013年より現職。専門は神経科学。神経細胞間で情報伝達を行う部位であるシナプスに着目して、記憶・学習といった高次脳機能を司る分子機構の解明に取り組む。また、基礎研究で得られた知見をもとに、神経細胞の培養による局所神経回路の再現にも取り組んでいる。

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