Biographies of Kyoto University's Personnel
京大人間図鑑
Vol.18

直井里予 東南アジア地域研究研究所 連携研究員

ドキュメンタリー映画監督としてタイに生きるエイズウィルス(HIV)陽性者や難民を取材してきた、東南アジア地域研究研究所の連携研究員、直井里予さん。彼らが他人と信頼関係を築く時、地域や社会はどう変わるのか―。研究者として自らの映像作品を分析し、変化と要因を明らかにしようとしています。映画監督の経験をいかした、新たな研究分野への挑戦について聞きました。

直井里予
東南アジア地域研究研究所 連携研究員

タイの人々と共に歩む

―― 1998年に報道通信社のアジアプレス・インターナショナルに所属後、ドキュメンタリー映画監督として数々の作品を発表されていますね。どのようなテーマの作品でしょうか。

直井 初めて映画作品を発表したのは、2005年。タイに住むHIV陽性者の女性、アンナとその家族の日常を追ったドキュメンタリー映画 『Yesterday Today Tomorrow―昨日 今日 そして明日へ・・・』を、さらに2013年にその続編『昨日 今日 そして明日へ2 第一部 アンナの道(完全版)第二部 いのちを紡ぐ』を発表しました。そして今はタイの難民キャンプで生まれ育ったカレン人の少年を取材しています。

どの作品も貧困やHIVといった社会問題を取り上げていますが、私が伝えたいのは問題そのものではありません。見て欲しいのは、“人と人との関係性”です。タイではHIVの蔓延が原因となって様々な社会問題を引き起こしていますが、そんな状況の中で、新たにどんな人間関係が生まれているのか。例えば、私が撮影していたアンナは前夫からHIVに感染しましたが、感染者のためのケアセンターで新しいパートナーと出会って再婚し、彼と支え合いながら生きています。また前夫との間に生まれた娘と向き合いながら、HIV陽性の孤児たちの面倒もみている。村の中でも、孤児たちの母親としての役割を担っているわけです。アンナのように、HIV感染をきっかけに新たな関係を築きながら生きるタイの人たちから、私たちも学ぶことがたくさんあるはず。そんな姿勢で、いつもカメラをまわしてきました。

※カレン人・・・タイ北部からミャンマーに居住する民族。独立をめぐる戦乱で多くの難民がタイに流出し、難民キャンプで厳しい生活を強いられている。

ビルマ難民キャンプに生きる少年と家族の物語を描いた『OUR LIFE』

―― どの作品も長期間にわたって取材されていますね。

直井 そうですね、HIV陽性者は約16年間、カレン人難民は10年ほど取材を続けています。最初の作品は3年間、現地に滞在して制作しました。「なぜそんなに時間をかけるのか」と聞かれることもありますが、現地に行ってもすぐカメラをまわすわけではないんですよ。私の場合、まずは取材対象者となる人たちと1年ほど共に過ごし、時間をかけて関係を築いてから撮影を始めるようにしています。撮影者である私も、まずは地域の関係性の一部になることで、日常の中に表れる変化を捉えられるのだと思っています。

一度関係を築けると後はいいのですが、そこに取材対象者の家族だったり、友人だったり、新しい人が登場するとまた関係を築かなければいけません。これが本当に大変なんですよ。制作が長期になるのは、そういう背景があるからです。短期に集中してつくるやり方もあるとは思いますが、私はこれからもそういう方法はとらないでしょうね。対象者の社会に参加し、その中に視点を持って観察するフィールド長期滞在型のアプローチをしたいと思っています。

―― タイとの出会いや、興味を持ったきっかけはどんなことでしたか。

直井 きっかけは、本当に単純でした。修士時代にアメリカへ留学した時、クラスにタイ人の学生たちがいました。彼らはみんな優秀で仲が良く、コミュニティがしっかりしていて、そんな彼らの生活を見てみたいな、と思ったことですね。

映像との出会いも、やはりタイがきっかけでした。1993年に冷夏によるタイ米騒動があった時、日本のマスコミが一斉に「タイ米は美味しくない」と報じたのを覚えていますか?そんな報道に強い違和感を覚えていたところ、あるタイ人ジャーナリストが「日本人には、母国の作物を批判されることがどれだけ辛いのかということに気付いて欲しい」と訴えた記事を目にしました。それを読んだ時に、「私も日本のマスコミに何か訴えかけていく仕事をしたい」と考えたんです。それにはまずマスコミ業界だと思って(笑)、ニューヨークの日系テレビ会社で働きはじめました。ただ、テレビはやはり視聴率重視の世界です。常に数字だけを追い求めることに疑問を感じ、帰国してジャーナリスト集団であるアジアプレスに所属したんです。その後、3年間タイで暮らしながら最初の作品を制作しました。

ちなみにアジアプレスに入ってみたら、私がこの世界に入る最初のきっかけとなったタイ人のジャーナリストも所属していて、そこで初めて会うことができたんですよ。タイとは切っても切り離せない縁ですね。

ドキュメンタリー映画監督と研究者、二足のわらじ

―― 2015年、当時の東南アジア研究所(現・東南アジア地域研究研究所)に研究員として着任されましたね。研究者として歩み出されたきっかけはどんなことでしたか。

直井 きっかけは2005年のバンコク国際映画祭で、京都大学の研究者が私の作品に興味を持ってくれたことでした。それが縁で、京大の研究者たちとディスカッションする機会があったのですが、それがとても面白くて。フィールドワークでの取材者へのアプローチの仕方など、研究者目線の様々な質問を受け、「そういう見方もあるのか」と新たな視点をもらえたんです。と言っても、当時は質問の意味を理解するのにも苦労したり、なかなか答えられなかったりしましたが。

あとは「”撮影する”ということは、撮る側と撮られる側に権力的な構造があるのでは」など、撮影者としては痛いところをグサッとつっこまれて(笑)。京大には東南アジア地域研究で国内のトップを走る先生がいるので「もっと議論を深めたい」という気持ちになり、それが今につながっています。

―― これまでの経験をいかし、今どのような研究をされているのでしょう。

直井 まずHIVに関しては、HIV感染をめぐって社会関係がどう変化するかという研究です。例えばHIVが大きな社会問題となってきたタイでは、1991年以降、HIV陽性者たちが様々な自助グループを立ち上げて、活動を展開しました。ところが2005年以降、抗HIV薬の普及など様々なことが影響して、陽性者の生活や自助グループの活動が変わってきました。私はHIV陽性者の日常を観察しながら、自助グループがどのように形成され、活動し、そして変化していくのかを分析していきます。手法としては、主人公を決めて、その人の行為がまわりでどんなリアクションを生み、その連鎖が社会でどんな人間関係を生み出すのかを見ていきます。そのために、取材した映像を分析することで要因を明らかにしようと考えています。またカレン人難民に関しても、同じように映像を用いて、彼らの生活と社会関係の変化について分析しています。

もうひとつは、“ドキュメンタリー映画制作者が見た現実は、何か”についてです。“撮る者”と“撮られる者”の関係や、制作者の視点が現実描写にどう影響するのか。制作者の切り口や立ち位置によって、それはどう変化するのかということです。それを自分の映画を分析して理論化しようとしています。これまでにあまりなかったアプローチで、新しい領域になるとは思いますが、これがなかなか難しいですね。

タイで撮影する直井さん

―― 映画監督と研究者、映像でも目的が違うと思いますが、どのように両立されていますか。

直井 記録として映像を撮影し、それを研究の資料にするということはよく行われていますが、私はそういう視点は持っていません。映像作家としては、研究のためにカメラを向けることには、その人を利用しているようで後ろめたさを感じるんです。まず「研究のための撮影だ」と相手に伝えなくてはいけないし、向こうもそれを意識してしまいます。

だから人々の一部になって研究とは全く関係なく映像を撮って、そこから目的を変えた3つの映像をつくるようにしています。ひとつは研究で考察するためのもの、もうひとつは一般向けに上映する作品、最後は記録として。これは建築と似ていますね。建築家がつくりたいと思う作品、研究のために建てるもの、市場で売るための建築物・・・それと同じかもしれません。

―― そうして出来た作品を、研究者として掘り下げる面白さはどんなことでしょう。

直井 自分の中のステレオタイプが崩れることです。例えばHIV陽性者に対するイメージって、みんなそれぞれが持っていますよね。私も最初は恐怖心を持っていました。またHIV陽性者の人々についても、彼らが人生を楽しんでいるとは思っていませんでした。でも撮影するうちに、そのイメージが崩れてきたんです。みんなそれぞれ日常の中に楽しみを見つけているんですよね。

また、人と人が触れ合う時に輝きだす瞬間を、撮影中や編集中に発見をすることがあります。そんな科学や理論で証明できないことを映像の中に感じた時、「このエネルギーは、どこから生まれてくるのだろう」と考えます。でもそれは奇跡ではなくて、全て何かと因果関係があると思うんですよね。それが科学的に説明できたら面白いでしょうね。

だからただ「美しいなあ」と思って撮るのではなく、「これがなぜ美しいのか」と常に考えながら撮っています。撮るのも編集するのも、私にとってはずっと“何かに気付く作業”なんですよね。

「人と人との関係性を、理論で証明したい」

―― 今取り組まれているカレン人難民の研究について教えてください。

直井 HIV陽性者のアンナを主人公にした作品は、「感染した人々の人生は悲しいだけじゃない、幸せもあるのだ」という、希望を感じる結末でした。ところが今取材しているカレン人難民は、私がもともと持っていた「大変だ」とか、「苦しい」といったようなイメージがどうしても崩れないんです。タイの難民キャンプで生まれ育った少年を撮影しているのですが、彼はアメリカへ移住するも新たな土地に馴染めずにいます。でもタイの難民キャンプは閉鎖される予定だし、帰る場所がないわけです。いつまでも貧困層の多い地域に押しやられ、解決策はそう簡単には見つからない。ずっと同じ問題が繰り返されていく。今の状態だと、エンディングが決まらなくてなかなか仕上がりが見えてきませんね。

直井さんが取材を続けているカレン人難民の少年と家族

―― 非常に難しい問題ですね。

直井 そうですね。その中で新たな発見をするには、私自身の成長が必要なのか、取材対象者の成長が必要なのか。その過程で、変化に気付けるのかもしれません。とにかくこれからもお互いが関わっていくことで、新しい発見をしたいと考えています。

―― 最後に、研究者として今後取り組みたいことを教えてください。

直井 まず、これからもずっとタイに関わっていきたいという思いは、揺らぎないですね。彼らは楽しく生きる術を知っているし、人間関係の築き方がとても上手なんです。根底に上座部仏教の思想があるからでしょうか、興味がつきることはありませんし、私たち日本人も学ぶことがたくさんあると感じています。

そして研究者としての目標は、やはり映像論を学術分野として確立することです。実は今年、念願が叶ってドキュメンタリー制作論を授業で教えることになったんですよ。これはずっとやりたいと思っていたことなので、私自身とても楽しみにしています。夏期集中講座なので学生たちが集まってくれたらいいのですが(笑)、学生たちには、「私のやり方が絶対ではないけれど、ドキュメンタリーにはこういうつくり方があるよ」と伝えたいと思っています。後々はそれを学術書籍としても出版し、授業と本、その二つで世に出すことが最終的な目標ですね。

今はスマートフォン1台あれば、誰でもドキュメンタリー映画を制作できる時代です。私が伝えたいのは、“ドキュメンタリー映画は撮る前から始まっている”ということ。これからもカメラの中に生まれる“人と人との関係性”を見つめ、学術理論としての確立を目指したいと思っています。

直井さんにとっての「京大の研究力」とは?

文理融合の様々な分野、視点でなされている研究と触れ合えるのは、京都大学ならではですね。また東南アジア地域研究研究所には、海外から年間360人ほどの客員教員(招へい研究員)が来ます。東南アジアからも数多くの研究者たちが集まり、そのうちタイからの研究員は100人ほど。現地にいるよりタイ人研究者と知り合えます(笑)。私たち研究員は、月に一回の全体会議の準備のほかにウェルカムパーティーなど、海外からの研究者たちとの接点が数多くあり、その交流を通して様々な視点を学べることは、とても大きな魅力だと感じています。

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