ドキュメンタリー映画監督と研究者、二足のわらじ

―― 2015年、当時の東南アジア研究所(現・東南アジア地域研究研究所)に研究員として着任されましたね。研究者として歩み出されたきっかけはどんなことでしたか。

直井 きっかけは2005年のバンコク国際映画祭で、京都大学の研究者が私の作品に興味を持ってくれたことでした。それが縁で、京大の研究者たちとディスカッションする機会があったのですが、それがとても面白くて。フィールドワークでの取材者へのアプローチの仕方など、研究者目線の様々な質問を受け、「そういう見方もあるのか」と新たな視点をもらえたんです。と言っても、当時は質問の意味を理解するのにも苦労したり、なかなか答えられなかったりしましたが。

あとは「”撮影する”ということは、撮る側と撮られる側に権力的な構造があるのでは」など、撮影者としては痛いところをグサッとつっこまれて(笑)。京大には東南アジア地域研究で国内のトップを走る先生がいるので「もっと議論を深めたい」という気持ちになり、それが今につながっています。

―― これまでの経験をいかし、今どのような研究をされているのでしょう。

直井 まずHIVに関しては、HIV感染をめぐって社会関係がどう変化するかという研究です。例えばHIVが大きな社会問題となってきたタイでは、1991年以降、HIV陽性者たちが様々な自助グループを立ち上げて、活動を展開しました。ところが2005年以降、抗HIV薬の普及など様々なことが影響して、陽性者の生活や自助グループの活動が変わってきました。私はHIV陽性者の日常を観察しながら、自助グループがどのように形成され、活動し、そして変化していくのかを分析していきます。手法としては、主人公を決めて、その人の行為がまわりでどんなリアクションを生み、その連鎖が社会でどんな人間関係を生み出すのかを見ていきます。そのために、取材した映像を分析することで要因を明らかにしようと考えています。またカレン人難民に関しても、同じように映像を用いて、彼らの生活と社会関係の変化について分析しています。

もうひとつは、“ドキュメンタリー映画制作者が見た現実は、何か”についてです。“撮る者”と“撮られる者”の関係や、制作者の視点が現実描写にどう影響するのか。制作者の切り口や立ち位置によって、それはどう変化するのかということです。それを自分の映画を分析して理論化しようとしています。これまでにあまりなかったアプローチで、新しい領域になるとは思いますが、これがなかなか難しいですね。

タイで撮影する直井さん
タイで撮影する直井さん


―― 映画監督と研究者、映像でも目的が違うと思いますが、どのように両立されていますか。

直井 記録として映像を撮影し、それを研究の資料にするということはよく行われていますが、私はそういう視点は持っていません。映像作家としては、研究のためにカメラを向けることには、その人を利用しているようで後ろめたさを感じるんです。まず「研究のための撮影だ」と相手に伝えなくてはいけないし、向こうもそれを意識してしまいます。

だから人々の一部になって研究とは全く関係なく映像を撮って、そこから目的を変えた3つの映像をつくるようにしています。ひとつは研究で考察するためのもの、もうひとつは一般向けに上映する作品、最後は記録として。これは建築と似ていますね。建築家がつくりたいと思う作品、研究のために建てるもの、市場で売るための建築物・・・それと同じかもしれません。

―― そうして出来た作品を、研究者として掘り下げる面白さはどんなことでしょう。

直井 自分の中のステレオタイプが崩れることです。例えばHIV陽性者に対するイメージって、みんなそれぞれが持っていますよね。私も最初は恐怖心を持っていました。またHIV陽性者の人々についても、彼らが人生を楽しんでいるとは思っていませんでした。でも撮影するうちに、そのイメージが崩れてきたんです。みんなそれぞれ日常の中に楽しみを見つけているんですよね。

また、人と人が触れ合う時に輝きだす瞬間を、撮影中や編集中に発見をすることがあります。そんな科学や理論で証明できないことを映像の中に感じた時、「このエネルギーは、どこから生まれてくるのだろう」と考えます。でもそれは奇跡ではなくて、全て何かと因果関係があると思うんですよね。それが科学的に説明できたら面白いでしょうね。

だからただ「美しいなあ」と思って撮るのではなく、「これがなぜ美しいのか」と常に考えながら撮っています。撮るのも編集するのも、私にとってはずっと“何かに気付く作業”なんですよね。