2017.03.20

地域の人びととの信頼関係づくりにも尽力

川端所長 この実験所ができるまでには、さまざまな困難がありました。世間では「原子炉は怖い」というイメージが非常に強かった。だから、絶対に安全に運転する、それを間違いなく続けていかなければ、地域の人たちの信頼を得ることはできません。だからこそ、誠実に、真摯に仕事をしようということなんですよね。奥村さんをはじめ、実験所の草創期を築いた人たちが、そうした安全に対する文化を作り、今も継承されています。

原子炉プール内(写真右)を確認する奥村さん親子
原子炉プール内(写真右)を確認する奥村さん親子

奥村清 僕自身、実験所のすぐ近くに住んでいるんです。今でも忘れられないのは、40年近く前のこと。2号炉を作る計画が立ち上がって国の審査も通った。ところが、そのころ実験所の周辺にたくさん家が建ち始めたこともあり、住民の反対運動が起こって、2号炉の建設は白紙になりました。 やはり、実験所は地域の方々の信頼が不可欠。私はここのテニスコートで同僚たちとよくテニスをしていたんですが、ちょうど自治会の方からテニスコートを使いたいと申し出があったんです。地元の方々がここに出入りすることが、実験所に対する理解を深めてもらう一助になるかもしれないと思って、使っていただくようになって、もう30年になります。今は少年野球チームにも、毎週末にグラウンドを使ってもらっています。

川端所長 もちろん、原子炉の安全性については、さまざまな機会に説明していますが、やはり、顔の見える関係が大事ですよね。こういう誠実な人が働いている、あの人なら大丈夫と思っていただけることが、地元の方々の安心、信頼につながっているのだと思います。

良 僕も最近、テニスを始めたんです。父が退職した後も、これまでの流れを引き継いで、新しい地元の人にも加わっていただいて、ここで一緒にテニスをするつもりです。

奥村清 ここの原子炉の最大出力は5000キロワット。原子力発電所に比べたらとても出力が低いので、安全性は高いのですが、それでも「何かあったら運転を止める」ということは決まっています。ちょっとした計器の故障に備えて、二重三重のバックアップ体制はとっていますが、それでも止める。安全最優先の文化はこの先もずっと継承していってほしいですね。

半世紀を過ごした原子炉室は「我が家みたいなものですよ」と奥村清さん
半世紀を過ごした原子炉室は「我が家みたいなものですよ」と奥村清さん

奥村さん親子にとっての「京大の研究力」とは?

奥村清 私が入所したころは、それぞれの研究者の興味だけで研究ができた時代だったと思います。近年、注目度が高いのは、中性子によるがん治療の研究だと思いますが、僕が入所したころは、そんなものは研究じゃないという雰囲気がありました。基礎研究が重視されていたわけです。今思えば、結果を出さずに終わった研究者もたくさんいるような…。でも、それを「ごくつぶし」と見るのか、「有効な無駄」だったのか、僕にはわからない。ただ、底辺の広さがあるからこそ、生まれる成果も大きくなる。そこが京大の研究力につながっているという気がします。今は「すぐに使える」成果を出すことが強く求められる時代ですが、基礎研究が重要だという意見は、長年研究を続けてこられた方の共通の意見のような気がします。

奥村良 最近は研究費などの予算が縮小されているので、研究者の大変さが伝わってきます。どうしても、予算を獲得できる研究が優先になってしまうので、本当に自分のやりたい研究ができているのかな、と気になってしまうこともあります。ただ、それでも京大はほかの大学と比べたらかなり恵まれていると思います。年に1〜2回ある技術職員の研修会に参加したときなどに、それを実感します。僕は京大の研究力が飛びぬけて高いとは思っていなくて、結局は予算と研究者の頭数に比例しているところが大きいのかな、という見方をしています。もちろん、恵まれているからこそ、技術職員としてもがんばらないといけないと自覚しています。

(左から)奥村良さん、奥村清さん、川端祐司所長
(左から)奥村良さん、奥村清さん、川端祐司所長

京都大学原子炉実験所
奥村良さん、奥村清さん、川端祐司所長

 

奥村良さんが加わるKURAMAプロジェクト