許されることなら、できるだけ深く掘りたい

 

――考古学の道に進もうと思われたのはいつですか?

冨井助教 明確に考古学というものを意識したのは、大学受験を考え始めた時です。それまで日本史、特に古墳時代に強く惹かれるものがありましたので、高校の歴史の先生の勧めもあって京大で学ぶことを選びました。

――考古学専攻は、文学部ですね。

冨井助教 日本の教育体系では、考古学は歴史学の系統として位置付けられていますね。文献に書かれた史実をなぞるようにして、遺物や遺跡といった物質文化から歴史を復元するというアプローチです。

――「ここで何が行われていたか」と、人の行為そのものを復元する現在のアプローチとは少し異なる印象を受けますが。

冨井助教 学部の専攻当初は、縄文時代を中心とする土器や石器を研究テーマとしていました。でも、研究を進めるうちに、文化や社会の時代や地域ごとの違いを探る前に、それぞれの土器や石器に見られる固有の特徴をどのように説明すれば良いのか悩むようになったのです。その論証の根拠を求めるうちに、「ここに何が埋まっていたか」という主題から、「ここで何が行われていたか」を復元することに、次第に興味が移っていったのだと思います。

――ブレイクスルーのきっかけがあったのでしょうか?

冨井助教 大学を出てからも、考古学研究を続けるかどうか迷っていた博士課程の時に経験したイギリス留学ですね。将来への漠然とした不安を持つ一方で、世界でも注目されている縄文時代の土器の研究をしていたという自負もあって、考古学の本場で自分を試そうというつもりで行ったのですが…。

――イギリスで一体何があったのですか?

冨井助教 当たり前のようですが、日本の教育体系とは全く別の考古学と出会いがありました(笑)。例えば「堆積物から地中環境の変化を読み取りなさい」や、「花粉のデータを使って何か議論しなさい」といった自然科学系のテーマから、「モダニズムの考古学に与えた影響について論じなさい」といったものまで、それまでの自分になかった視点を得る機会となりました。

――同時に、漠然と抱かれていた研究アプローチの疑問も解消されたということですね?

冨井助教 ある国の歴史を紐解くという考古学の役割として、ローカルヒストリーに寄った手法が独自に発展することは大切なことだと思いますが、より掘り下げた研究を行うためには、複数のアプローチ方法を知っておく必要があると感じました。縁あって、現在の環境で発掘現場を与えられるようになりましたので、あれも試そう、これも試そうと積極的にチャレンジするようにしています。

――その変化の産物として、どういったことが挙げられますか?

冨井助教 考古学を研究されている方はもちろんですが、研究や分析で協力を仰ぎたい他分野の研究者に対するアウトプットの仕方が変わったように思います。プレゼンテーションする相手によって伝え方を選んで、私自身の研究成果やテーマに興味を持っていただければ、新たな視点や気付きをいただくことができます。同じコストで「いかに深く掘るか」を強く意識するようになりましたね。

――最後に、今後の展望について教えてください。

冨井助教 センターが設置されて約40年間、発掘調査を続けていますが、まだ全対象地域の3割程度です。許されることなら出来るだけ掘り続けたいのですが、そういうわけにもいきません。極論ですが、誰が発掘しても同じものが出てくるわけです。何より考古学に大切なのは、発掘するものからより多くの情報を引き出す手法ですから、新しい調査・分析方法の開拓に一層、力を入れていきたいと思っています。

――それにしても、現場では特に活き活きとされていましたね(笑)。本日はありがとうございました。

冨井助教にとっての「研究力」とは?

学内に各分野の第一線の研究者がいらっしゃるので連携が取りやすいという点、学外にも京都大学のネームバリューを活かした国内外の協力が得やすいという点が挙げられると思います。一方で、京都大学にしかできない、京都大学ならではの研究も数多くありますので、その恵まれた環境を十分に活かした研究成果を出して、発信・共有しなければならないという使命感やプレッシャーのようなものも感じています。

冨井 眞(とみいまこと)
京都大学文化財総合研究センター助教/先史考古学専攻