Behind Kyoto University's Research
ドキュメンタリー
Vol.2

サバクトビバッタを追って

白眉センター 前野ウルド浩太郎 特任助教

アフリカでしばしば大発生し、農作物に深刻な被害を及ぼすサバクトビバッタ。防除のために巨額の費用が投じられているが、未だに根本的な解決策は見出されていない。その謎に包まれた生態を調査するため、単身、西アフリカ・モーリタニアに渡った日本人がいる。「愛するものの暴走を止めたい」と語る、野生のサバクトビバッタ研究者、前野ウルド浩太郎、その人である。

「相変異」の解明が世界を救う

 アフリカに生息するサバクトビバッタは「相変異」を起こすバッタだ。環境によって「相」、つまり、モードを変える。普段はお互いを避け合うおとなしい「孤独相」を示しているものの、エサが乏しい状況下などで限定された場所に集まり、他個体とぶつかり合いながら育つと、群れることを好み、獰猛な性格の「群生相」となる。孤独相の時は、周囲にある植物の緑など、生息している環境に合わせて自分の体色を似せて天敵の目をくらますが、群生相になると黒や黄色といったハッキリと目立つ体色になる。「孤独相」と「群生相」で性格も見た目もまるで変わってしまうのだ。

サバクトビバッタの生態について説明をする前野氏。

 孤独相の時は無害なサバクトビバッタも、ひとたび群生相になると害虫と化し、しばしば農被害をもたらしてきた。アフリカにおけるサバクトビバッタの蝗害(こうがい)の歴史は長く、聖書やコーランにも「神の罰」と、その深刻な状況が記されている。2003年にモーリタニア、マリ、ニジェール、スーダンといった西アフリカで大発生した群れは、130,000平方キロメートルもの広大な地域に拡散した。蝗害対策を行う国際連合食糧農業機関(FAO)の試算によると、のべ20ヶ国以上が受けた農被害の総額は25億ドルにも上り、対策費として4億ドル以上が投じられたが、被害は2005年に降水量が減り、気温が下がるまで長く続いた。

 人類は古くから、バッタの異常発生による災害、「蝗害(こうがい)」に悩まされてきた。大量に発生したバッタは集団を形成して移動と産卵を繰り返しながら、農作物に限らずあらゆる植物を食べ尽くす。国土の狭い日本では、蝗害を引き起こすバッタ類が数世代に渡って大集団を作る環境がないため、ここで言う「蝗害」は、ごく限られた地域や時代にしか起きていない。蝗(イナゴ)という字が使われているが、イナゴと個体群の密度といった環境の変化によって姿を変える「相変異」を示すバッタは厳密には別のものである。

 昆虫は、自身の生存と子孫の繁栄のために様々な環境適応能力を持っている。サバクトビバッタの相変異も生き延びるための変化のひとつである。彼らにとって、高頻度でぶつかり合うことは、エサ不足などの厳しい環境の訪れを意味するシグナルであり、孤独相から群生相へとモードを変えることは止められない。

 サバクトビバッタの大量発生と農被害の拡大を防ぐために行われているのは、殺虫剤による幼虫の駆除だ。しかし、効率よく防除するためには成虫になって飛翔する前に発見しなければならないため、アフリカの広大な地域を適切にカバーすることは非常に難しい。そこで長年、注目され続けているのが、サバクトビバッタの相変異のメカニズムを解明することだ。群生相化を阻止することが、最適な防除策であり、100年以上に渡って研究が続けられている。

サバクトビバッタの「孤独相」幼虫(左)と「群生相」幼虫(右)。孤独相の緑の体色と群生相の黄色と黒色が混じった目立つ体色との違いに注目。

 白眉センター・昆虫生態学研究室の前野特定助教が、サバクトビバッタと出会ったのは、つくば市にある農業生物資源研究所だった。幼い頃、「ファーブル昆虫記」に魅せられた当時のように、相変異によって鮮やかに体色を変えるサバクトビバッタに強く興味を惹かれ、時にアフリカで猛威を振るう彼らを「愛するものの暴走を止めるために」、研究対象とすることに決めた。

 博士課程のために神戸大学に籍を置きながら、つくば市の研究室で飼育されたサバクトビバッタの研究を続け、その間、膨大な文献や論文を読み漁った。そして「これでは足りない」と感じた。「なぜ誰も野外調査を行わないんだ?」…先行研究のほとんどが、実験室内で行われており、サバクトビバッタが生息する地域での野外調査がほとんど行われていないことが気になるようになった。野外での生態に関する情報が欠如しているようでは、防除のため技術は進歩しない。このまま環境を汚染するリスクを負いながら広大なアフリカの発生地域に殺虫剤を散布し続けていて良いのか?疑問を解決するには、現地に行くほかなかった。

 2010年、サバクトビバッタの発生地域のひとつである西アフリカの砂漠の国、モーリタニアに渡り、現地を視察した。なぜ、野外調査を行う研究者がいないか、理由が分かった。
白人の研究者はテロリストのターゲットになる可能性が高く、現地の研究者は国外で学位を取得した後、帰国すると各国の研究施設の要職に就いてしまい、現地調査に出る機会が失われてしまうのであった。「ならば、日本人の研究者である自分の出番だ」…そう確信して、視察した「モーリタニア国立サバクトビバッタ研究所」に置かれた来訪者用ノートに「I’ll be back」と書き残した前野氏は、翌2011年、日本学術振興会海外特別研究員として、モーリタニア国立サバクトビバッタ研究所に赴任した。

孤独相から群生相化した研究者

 しかし、そんな不安は、赴任して3日後に出た野外調査であっさり吹き飛んだ。自ら強く望んで、この環境にやって来たのだ。やはり野生のサバクトビバッタは、研究室で飼育されたものと明らかに違っていた。多くのサバクトビバッタ研究者が目にしていない生態に触れているのだという興奮が湧き上がり、5日間の調査で得た研究成果を基に、2本の論文をまとめることができた。「コータローは、こちらの研究者が数年かかる仕事をほんの数日で仕上げてしまった」研究所の所長の言葉も大きな励みとなった。自分が輝ける場所を見つけたと感じた。「~の子孫」という意味のミドルネーム、「ウルド」はモーリタニアで所長からもらったものだ。

草に見えるものも全てサバクトビバッタの幼虫である。[撮影:川端裕人]

 赴任1年目は、モーリタニア建国以来という大干ばつのため、サバクトビバッタがいないという窮地に陥った。300キロ走っても、たった5匹のバッタしか得られない日もあったが、
広大なサハラ砂漠は研究対象に事欠かなかった。キャンプで処分したスパゲティに群がる大量のゴミムシダマシを持ち帰り、昆虫研究者としての実力を自ら試した。オスとメスの見分けが付けにくい虫だったが、腹いっぱいにスパゲティを食べさせてから頭を押すと、尻から生殖器が出て区別ができるといった発見をし、そのユーモアを交えた論文はアメリカの学会誌、Annals of the Entomological Society of Americaに掲載された。

 弘前大学での学部時代を含めると、若くして既に9年間、バッタに関する研究を続けていた。しかし、その実績は研究室で積まれたもので、野外調査は全くの未経験だった。それまで師事していた研究者の元を離れ、文化や言葉も違うモーリタニアで、一研究者として試されるプレッシャーを感じないわけにはいかなかった。日本学術振興会海外特別研究員の多くは、最先端研究のため、主にアメリカなどの研究設備の整った地域へ行く。アフリカを選んだ以上、与えられた資金を生活費よりも、野外調査のためのスタッフ費用や、研究に必要な物資の購入に多く割かなければならなかった。

 「自分が研究者になれると思っていなかった」という前野氏の語り口は、いわゆる学者タイプの研究者とは少し違うように思う。人を楽しませようというエンターテイメント性にあふれている。「まだまだ研究者として未熟ですから」と自らを評価する彼だが、「たとえば日本の方にとって直接関係のないことと思われがちな外国のサバクトビバッタに、どうやって興味を持っていただくか真剣に考えています。そんなことに取り組んでいるのかという驚きや研究の重要性が得られるようにお伝えできればと思っています」と、自身の研究内容を話すことに高い意欲と意識を持っている。

 モーリタニアの研究所にいる間、ブログやFacebookなどネットメディアを利用して、情報発信を続けた。そんな時間があるなら、研究や論文にもっと時間をかけるべきではないかと非難する人もいるかもしれないが、研究所の敷地内にあるゲストハウスに滞在していた彼は、モーリタニアで唯一の民間の日本人であり、プライベートで外出したのは3年間でわずか数日。通勤や、人付き合いに時間を割くことがなかった分、家族や友人への近況報告も兼ねて、研究や野外調査の合間に記事を書いたそうだ。

 ブログやFacebookを使ったメリットは大きいと前野氏は語る。ひとつに、人は自分のどういった研究のどういった点に興味を持つのか分かること。実際に、講演やセミナーといった場でフィードバックしているという。次に、異分野の研究者や、様々な得意領域を持つメディアの人との交流の輪ができることを挙げている。学術的なつながりだけでなく、ニコニコ学会βなどオープンなイベントに参加することにも積極的だ。サバクトビバッタという現在の研究テーマ、専門領域という軸をしっかりと保ちつつ、新たな視野を広げるためにも必要なことだと認識している。

 「研究室を出て、実際にモーリタニアで現地調査をしたという経験は貴重だったと思います」と前野氏はいう。数十年間、野外調査を行う専門の研究者がいなかった。そんな現場で経済上の不安を抱えながらも、研究を続けたことは、前野氏に「相変異」をもたらしたのではないだろうか?そんな質問を投げかけると「確かに孤独相ではなくなったかもしれませんね。研究を続けて、ある目的を達成しようとするならば、色んな方々と連携しながら、協力を得ることのできる仲間作りが必要だと思います。つまり、自分が群生相化することが重要だと思っています。今はまさにそんな時期なのかもしれません」と笑みを浮かべた。

白眉プロジェクトとの出会い


 例えば、サバクトビバッタの野外調査を行う前野氏のように、自然や気象といった不確定要素を含む対象をテーマにする研究者にとって、研究は時間との戦いであり、それを下支えする資金や体制は常に不安の材料となるだろう。任期の限られたポスドクの中には、実際に取り組みたい研究計画を十分にこなせぬまま、次の研究環境を探すという人も少なくない。

 無収入になってもモーリタニアで研究を続けた前野氏の「白眉プロジェクトに選ばれたことは、非常に大きいです」という言葉には実感がこもっている。5年間、研究に専念できる環境が整ったことで、新たな視界が開けてきた。サバクトビバッタが発生する時期である9月~12月を中心にモーリタニアで野外調査を続け、それ以外の時期には自身の研究室のみならず、国内外を問わず関連する研究室と連携を強める動きも取りたいと話す。

 京都大学次世代研究者育成支援事業「白眉プロジェクト」の存在を教えてくれたのは、前野氏と同じく、いかに研究を続けるかを模索し続けるポスドク(ポスト・ドクター/博士研究員)仲間だった。京都大学の出身者以外でも応募できることを知ったのは、日本学術振興会海外特別研究員の任期が終わる頃のことだった。

サバクトビバッタは夜は草の上に集まる。[撮影:川端裕人]

 サバクトビバッタの生態を知り、相変異の謎を解明することで、その蝗害の根本解決策を明らかにする。前野氏は現在の研究のゴールをそう位置付けている。群生相のサバクトビバッタは集団で産卵する。現状、特定し切れない産卵場所をコントロールすることができれば、防除のための殺虫剤散布量も減り、人や自然環境の影響を軽減することも可能だ。

 「生態が分かれば、あとはその解決策を実行するための技術を開発するだけです。ですから、異分野の方々とのつながりを深めて、情報交換をし続ける必要があると思っています。群生相のサバクトビバッタを一網打尽にする作戦のためのチーム作りですね」前野氏の表情には、少年のようなワクワク感と研究者としての使命感が見て取れた。

 白眉プロジェクトに選ばれてから、所属先である昆虫生態学研究室の松浦健二教授をはじめ、周囲の研究者から刺激を受けているという前野氏。研究者としてさらなる成長の必要性を感じつつ、モーリタニアと日本をつなぐ橋渡し役としても活躍したいというビジョンを持っている。「日本にしかできない学術面での支援というものがあると思っています」。尊敬する人物は、米沢藩藩主で江戸時代屈指の名君とされる上杉鷹山だとか。その名言は「なせば為る 成さねば為らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」…今後、前野氏が砂漠の国で発見し、実現するものは一体、何だろうか。期待が高まるばかりである。

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