自然免疫システムと遠隔転移の関係を究明し、人々が安心してがん治療に向き合える未来へ「がんの遠隔転移は予防できるのか?」
医学部附属病院 放射線部 助教
中島 良太
医学研究科
中山健夫 教授
岡田浩 特定講師
高齢化が進む社会では、日々の暮らしの中で人々の健康をケアする公衆衛生のあり方が見直されている。その一つの要になりうるのが、薬剤師というエキスパートを擁する地域の薬局だ。医学研究科の中山健夫先生、岡田浩先生に、日本の薬局と薬剤師が持つ潜在力と現状の課題、そして「SPIRITS:『知の越境』融合チーム研究プログラム(以下、SPIRITS)」を通して見えてきた変わりつつある世界の薬局事情についてお話を伺った。
お二人は医学研究科社会医学系専攻で、指導教官と大学院生という立場で出会われたそうですね。
中山「私たちが所属する社会健康医学系専攻は公衆衛生大学院(school of public health)という位置付けの専門職大学院で、医療職の中でも公衆衛生に特化した専門家を育成することを目的としています。私自身が教員であり医師でもありますが、ここで学んでいるのは現役の医師が1/3、それ以外の医療従事者が1/3、医療を利用する立場の方々が1/3で、学部から進学してくる人の方が少数派になります。年齢も20代から60代と、非常に幅広い。岡田さんも経験豊富な薬剤師として入学されました。実は彼、進学する前から薬局の社会的役割というユニークな研究に取り組まれていたんです」
岡田先生は薬剤師としても少し変わった経歴をお持ちだそうですね。
岡田「はい。実は36歳まで小・中学校の講師をしていたのですが、教員採用試験になかなか受からず行き詰まりを感じて40歳で薬剤師になりました」
そこからさらに研究の道に進まれたのは何故でしょうか?
岡田「研究に興味を持ったのは、勤務していた薬局での実体験がきっかけでした。講師時代に身についたお節介さもあってか、窓口で患者さんに『調子はどうですか』とお声がけすると、患者さんは薬に限らず生活についての不満や不安など様々なお話しをしてくださいます。私は新人薬剤師だったので、アドバイスなどもあまりできずよく聞くだけだったのです。しかし、そんなやりとりを続けていると、自ら生活習慣を改善して血糖値や血圧がよくなる患者さんが一定数いることがわかってきました。本当に自分の声掛けがきっかけで検査値が改善しているのか、偶然そうなっているだけなのかを確かめたくなり、薬局に勤務する傍ら、薬局に残っている患者さんの過去のデータを調べてみたりするようになりました。薬剤師から患者さんへ声掛けをすることで血糖値が改善したデータを学会で発表したり、論文にしたりしました。
しかし、当時は私のようにお節介な薬剤師はそれほど多くなかったかもしれません。薬剤師は高度な専門教育を受けた優秀な人が多いと感じていたのですが、多くの薬局では、病院からの処方箋に書かれた日数分の薬を数えるという単純作業の割合が多いと思いました。医師に処方内容について確認をして時間がかかったりすると、患者さんから『遅い』と怒鳴られることもしばしば。能力が十分に生かされていない状況は社会的に問題ではないかと感じました。
薬剤師の専門性が十分に活かされることで、薬局が社会に果たせる役割を変えてゆけるのではないか。理解されにくい薬局の仕事を社会に理解してもらうためには研究を積み重ねることが必要だと考えていたときに出会ったのが中山先生でした。権威主義的な傾向が強い医療の業界において、人のために何ができるのかをフラットな視点で問い続ける中山先生のお人柄に心酔して、弟子にしていただくために京都大学の大学院に進学したんです」
中山「薬局薬剤師は地域に根ざして患者さんを密にケアすることのできる特異な存在ですが、これまでその潜在能力は十分に活かされていませんでした。その社会的役割を研究する研究者も日本にはいませんでしたから、岡田さんは大学院の中でもかなり変わった存在でしたね。もちろん、いい意味で(笑)」
日本では例のない研究ということで、海外に目を向けられたんですね。
岡田「日本よりも薬局薬剤師の活用が進んでいる海外の事例を調べていくと、カナダのアルバータ州でかなり進んでいることがわかりました。そんなアルバータ州の取り組みを研究面で支えている研究者がアルバータ大学にいると知り、カナダへの留学を決めました」
岡田先生はカナダでさまざまなことを学ばれたかと思いますが、世界の薬局事情はどうなっているのでしょうか?
岡田「ここ10年で薬局や薬剤師をめぐる世界の潮流は大きく変わってきていて、これまで医師が担ってきた仕事の一部を、薬剤師に担わせようという流れができつつあります。この背景には、増大する医療需要を、医師だけでは補いきれなくなってきており、限られたリソースをより効率的に分配しようとする考えがあります。
具体的には、病気の発症予防や慢性疾患の患者さんの管理は地域の薬剤師が担い、医師は診断やより高度な治療に集中するというような切り分けが試みられています。そうした変革が特に進んでいるカナダでは、薬局薬剤師が患者さんに積極的に関わることで患者さんの血圧や血糖値が改善することが明らかになり、そのエビデンスに基づいてさらに制度面の改革が進むという循環が進んでいます。今では州にもよりますが、薬の処方や検査のオーダーまで薬局薬剤師が担えるようになってきています」
高齢化社会での医療体制は先進国共通の課題ですが、薬局の活用では日本は後れを取っているのですね。
岡田「日本でこうした流れがなかなか進まないのは、社会の意識の違いによるところが大きいでしょう。世界的には患者さん自身が主体的に治療に関わる自己決定やセルフメディケーションという考え方が一般的になってきていますが、日本ではまだ『お医者さんに決めてもらう』というトップダウンの考え方が根強いですよね。体調に不安があるときに、まず薬局で相談しようとはなりづらいのが現状です。しかし、日本でも高血圧や糖尿病といった慢性疾患で検査値が良好な大部分の患者さんは、専門性だけで言えば薬局で十分ケアが可能だと思います。社会の高齢化の進行に伴って、病気を持ちながら生きる人は増え続けているのに、貴重な医療資源である医師に何でもかかる必要があるのか、今一度考えなければいけません」
中山「トップダウン的に凝り固まった考え方については、医師の立場からも反省しなければならない点が多々ありますね。カナダで取り組みが進んでいる背景には、縦割りではなくみんなでみんなの健康を守るパブリックヘルス(公衆衛生)の考え方がしっかり根付いていることを感じました」
岡田「留学を検討していたのと同じ頃に存在を知ったのがSPIRITSでした。こちらも是非挑戦して国際的な比較研究に役立てたいと考えて、中山先生にご相談したんです」
中山「SPIRITSには若手リーダーを育成するという趣旨もあるので、まさに我々の研究、そして岡田さんの力試しにはぴったりでした。岡田さんの考えたテーマをもとに相談しながら研究計画を立て、私が代表者として『地域薬局を活用した慢性疾患患者支援制度の国際比較と日本型モデルの提示』というテーマでSPIRITSに応募しました。無事に採択され、2017年度からの2年間、岡田さんのカナダへの留学と並行して取り組むことになりました。日本とカナダだけでなく、何カ国もの研究者や薬剤師のもとに実際に足を運んでプロジェクトを進めたのは岡田さんの大きな功績です。岡田さんはSPIRITS以前から海外にも積極的にコネクションを作っていて、その行動力とバランス感覚にはいつも本当に驚かされます」
岡田「いえいえ、中山先生のもとで取り組ませていただいたおかげで、海外の研究者ともスムーズに信頼関係を築くことができたんですよ」
SPIRITSでは具体的にどんな取り組みをされたのでしょうか?
岡田「薬局や薬剤師の実態を日本と海外で比較しつつ、海外の薬局での取り組みを日本に取り入れる為の検証として、主に2つの研究を行いました。一つ目は、まだ薬局の活用が進んでいないアイルランド、ニュージーランド、そして日本の3カ国の薬剤師を対象とした意識調査で、仕事のやりがいについて質問紙による調査を行いました。
もう一つは、日本とカナダの薬局での介入研究(調査対象に働きかけて影響を検証する研究方法)です。カナダの薬局で『リスクエンジン』という10年後の心血管疾患のリスクを可視化したツールを使って、高リスクの糖尿病の患者さんと面談し、合併症の予防に役立てる研究をアルバータ大学で行っていました。SPIRITSではアルバータ大学での研究と連動させて、調査に協力してくださる日本の薬局にカナダと同じツールを導入していただいき、その効果を検証しました。
期間中にカナダだけでも23回渡航し、介入調査に協力してくださる40の薬局を訪れました。この調査は体力的にも大変で、ほぼ2週間ごとに日本と海外を行き来する生活だったので、常に時差ぼけ状態でしたね。
そのほかの成果としては、アルバータ大学、オーストラリアのシドニー大学、ドイツのベルリン自由大学と合同で開催したシンポジウムがあります。先にお話ししたような各国の状況を踏まえ、それぞれの国の研究者が薬局薬剤師による高血圧、糖尿病といった慢性疾患管理についての研究事例の発表を行いました」
休みなく飛び回られた2年間でしたが、収穫はいかがでしたか?
岡田「データとしては今後取りまとめていくことになりますが、まずは実際に現地に足を運ぶことで、カナダの薬局薬剤師さんがどれだけ地域の人々から頼りにされていて、誇りを持って仕事に取り組んでいるのかを身をもって知ることができました。薬剤師だけでなく、研究者や行政担当者が手を取り合って、地域医療をよくするために一丸となって取り組んでいる。そうした過程をカナダだけでなく、いろいろな国に足を運んで直接目にすることができたのは大きな収穫でした。
また、意識面では各国共通の課題を抱えているということも見えてきました。日本だけがすごく遅れているわけではなくて、カナダの薬剤師さんも患者さんに横柄な態度をとられていたり、医師の前では気後れしてしまったりと、医療のヒエラルキー問題は依然根強いようです。それでも、関係者が社会全体のためにと誠意を尽くして取り組めば状況は変わっていくんだということには希望を感じましたね」
SPIRITSの後はどんなことに取り組まれているのでしょうか。
岡田「実は、介入研究で協力してくださった調剤薬局チェーン2社が、京都大学と産学共同研究を行うことを申し出てくれました。おかげで、SPIRITSの採択期間終了後も薬局薬剤師さんとともに取り組みを続けています。そのひとつは、かかりつけ医ならぬ『かかりつけ薬剤師』を増やす教育プログラムです。かかりつけ薬剤師とは患者さんが担当の薬剤師を指名する制度で、2016年に制度化されて以来、地域連携を進める薬局チェーンで注目されています。かかりつけ薬剤師になるには、一定以上の経験と専門性をもって患者さんと密にコミュニケーションを取ることが求められ、患者さんの側には指導料の負担が発生します。そのため、これまであまり積極的に患者さんと関わる機会のなかった薬局薬剤師さんの中には、かかりつけ薬剤師になることを躊躇される方も多いのが現状です。そんな薬剤師さんの背中を押して、患者さんの困りごとに気づき、能動的に一声かけることができる人になれるようにお手伝いしています。その先の医師との情報共有は今後の課題です。特に日常的な体調や栄養の管理が大切な糖尿病などで、薬局発信による病院との連携体制を構築することが重要になると考えています。あと、国際共同研究ももちろん続けていて、現在20件ほどの研究が動いています」
中山「薬局情報グループという岡田先生主催の勉強会も作られましたね」
岡田「はい。これまで教育プログラムを受講していただいた現場の薬剤師さんを中心にしたネットワークです。このグループでは、今回の新型コロナ感染症の拡大に伴い、薬局でのCOVID-19対策に関する情報発信も行いました。国際薬剤師・薬学連合(FIP)が発表した薬局や薬剤師のための『FIP COVID:19ガイダンス』を、FIPと交渉して翻訳の覚書を交わして有志のメンバー20名で翻訳してウエブサイトで公開したり、デザインや編集技術を持っている人をSNSで募集してCOVID-19の予防を啓発するポスターや動画を作ってもらったり、それぞれのできることを持ち寄りながら活動しています。全国の薬局で重宝されたようで、たくさんのお礼のメールや企業からは寄付までいただき、こちらがあたたかい気持ちにさせていただきましたね」
最後に、お二人の考えるこれからの薬局の理想の姿についてお聞かせいただけますか?
中山「病院では身構えてしまう患者さんも、身近な地域の薬局では薬剤師に愚痴をこぼすことだってできる。このハードルの低さも薬局の重要な価値で、患者さんと目線が近いからこそできることももっともっとあるはずです。
ただし、薬剤師が薬局の地位を上げるために行動するのでは、薬剤師以外からは誰にも応援してもらえません。これはどんな立場にでも言えることですが、誰かの役に立つために頑張るからこそ、いろいろな立場の方々の賛同を得られるんだということを忘れないでいたいですね」
岡田「中山先生のおっしゃる通りで、私の研究や活動は薬剤師の地位向上のためだとは思っていません。むしろ、薬剤師とは人々の健康や幸せを支える仕事なのだということに立ち返ることで、高齢化が進む日本社会の中でできることがもっと増えてくるのではないかと思っています。薬剤師が社会に貢献できるように制度を整えていくことも必要ですが、それと同等かそれ以上に、薬剤師自身の意識が変わってゆくことが大切だと考えています」
医学研究科 教授
東京医科歯科大学医学部卒業。同難治疾患研究所、米国UCLAフェロー、国立がん研究センター研究所室長を経て、2000年に京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻助教授、2006年より教授(健康情報学)。社会医学専門医・指導医。
医学研究科 特定講師
小中学校講師、学習塾講師として勤務後、長崎大学薬学部に入学し2005年に卒業、薬剤師の国家資格を取得。薬剤師として勤務しながら京都医療センターなどで研究に取り組み、2017年に京都大学大学院で博士号(健康社会医学)取得。2019年より現職。