自然免疫システムと遠隔転移の関係を究明し、人々が安心してがん治療に向き合える未来へ「がんの遠隔転移は予防できるのか?」
医学部附属病院 放射線部 助教
中島 良太
アジア・アフリカ地域研究研究科 教授
大山 修一
京都大学創立125周年記念事業の一つとして設立された学内ファンド*「くすのき・125」。このファンドは、既存の価値観にとらわれない自由な発想で、次の125年に向けて「調和した地球社会のビジョン」を自ら描き、その実現に向けて独創的な研究に挑戦する次世代の研究者を3年間支援するというものだ。
*「学内ファンド」とは、京都大学がめざす目標に向けて、京都大学が持つ資金を学内の教職員等に提供する制度のことです。
西アフリカのニジェールにおいて、砂漠化が問題となっているサヘル地帯の緑化を進める大山修一先生は、「アフリカの人道危機を解決する実践平和学」という研究テーマで2020年度に採択された。大山先生によると、ニジェールが抱える飢餓や砂漠化、都市にあふれかえるゴミ、頻発する紛争やテロといった問題は根本で全てが繋がっているという。ゴミを利用して平和の礎を作る取り組みについて、動画メッセージとインタビューで伺った。
それではまず、大山先生の専門分野についてお聞かせいただけますか?
「私の専門はアフリカの農村研究なのですが、とくに自給自足をしている社会に着目してきました。自給社会は、本来ならば自然の恵みを利用して、ゆったりとした時間の流れのなかで人々が家族とともに暮らす、ある意味で豊かな生活でした。それがここ30年ほどで急速に貧困社会と言われるようになってしまったんです。
その要因は2つあって、ひとつは、そうした農村社会が現金経済の中に取り込まれてきたことです。近年、貧困問題は国際的に注目を集めていますよね。世界銀行の基準では、1人・1日あたりの所得1.90ドル以下が貧困だと定義されています。そのため、本来お金が仲介しない社会だった自給社会の人々が貧困とみなされてしまったんです。そして、実際に彼らの生活の中にも現金経済が入り込み、かつての生活スタイルが急速に失われているのです。
もう一つの要因は土地制度です。農耕社会や牧畜社会を営んでいる人々は、昔から広大な土地を利用して焼き畑や放牧を営んできました。それが現在では土地の私有化が進み、外部から入ってきた資本家が広大な土地を取得し、地域のコミュニティにはほんの少しの土地しか残されていないということもある。そうすると、焼き畑を開墾しようにも土地がなく、十分に火入れできず、雑草ばかりが茂って作物がとれませんし、牧畜民は放牧をできないため家畜は痩せ細ってしまいます。
高校の教科書では途上国の貧困の原因は人口増加などと説明されますが、実際にはこのような私有化を進める土地制度や資本の動きなど、グローバルな変化が貧困の問題に大きく影響しています。私たち京都大学のアフリカ研究のグループはある種、資本主義社会へのアンチテーゼとして自給社会の仕組みを研究してきたのですが、近年ではそうした変化にさらされた農村の姿を追うことがわたしの研究テーマのひとつになっています」
現在は主にアフリカのどの地域でどんな研究をされているのでしょうか?
「現在、力を注いでいるのは、西アフリカ、サハラ砂漠の南に広がるサヘル地帯に位置するニジェールという国です。サヘル地帯は干ばつや気候変動の影響を受け、1970年代から砂漠化が大きな問題となっています。中でもニジェールは世界の最貧国のひとつとして知られていて、お金もなければ、食料もないという国です。私はそこで、ゴミを利用して土地を緑化する活動を続けています」
その研究が「くすのき・125」につながるのですね。詳しくは後ほどお聞きするとして、どうしてニジェールを研究対象に選ばれたのか聞かせていただけますか?
「これは嘘のような本当の話なんですけど……、私が小学生だった1980年代にサヘルで深刻な旱魃が起きました。そのニュースを目にして以来ずっと、将来はサヘルに行って砂漠を緑化したいと思っていたんです。そのためには、まずは植物について知る必要があると思い、学部では厳しい環境でも生きられる富士山の高山植物を研究テーマに選びました。そして夢だったアフリカ研究の道へ進むため、大学院で京都大学の門を叩きました。ですが、当時の京都大学では西アフリカの大学とのパイプがなく、指導教員には南部アフリカのザンビアで森林調査を勧められました。そうして訪れたザンビアで現地の若者たちと交流するうちに、人々の暮らしそのものに興味を持つようになりました。
大学院を修了して就職したのは東京都立大学でした。この大学は西アフリカの砂漠化研究のメッカで、このとき初めてニジェールを訪れ、サヘル帯で現地調査に着手しました。その後2010年に京都大学に着任し、西アフリカ研究を続けて現在に至ります」
なんと、小学生の頃から砂漠の緑化を志しておられたんですね。ちなみに、2つの大学を経験されて、京都大学の地域研究の特徴というのはどういうところにあると思われますか?
「フィールドワークを重んじる、徹底した経験主義ですね。ゼミの発表などでも、『それは現地で見てきたのか?』というようなツッコミがよく入ります。その人が実際に『見た』と言えばみんな納得する。それというのも、京都大学の人類学の先駆けとなった霊長類研究では、緻密な観察によって個体を識別したり、群れでの順位付けや性格といった個性を把握したりしてきました。そうした姿勢が地域研究にも引き継がれているんだと思います」
「くすのき・125」では、応募の際に「125年後の調和した地球社会のビジョン」をお聞きしています。大山先生の描くビジョンをお聞かせいただけますか?
「調和した地球社会とは、大きく見れば、人類の存在を地球の生態系に位置づけることだと思っています。生態系においてはさまざまな物質が滞りなく循環することで成り立っているのですが、そうした循環から外れた人間の営みが大きくなりすぎたことによって、現在さまざまな問題が引き起こされているのです」
ニジェールの砂漠化や飢餓も、生態系の問題として捉えられるということでしょうか。
「その通りです。高校の教科書や一般書などでは、サヘル地帯における砂漠化の原因は人口増加による不適切な農耕・牧畜や薪の採取だと書かれています。しかし、私は農村と都市の物質循環がうまくいっていないことが砂漠化の原因だと考えているんです。農村では現金を得るために農・畜産物を育てて、どんどん市場に運んでいきます。それらの農産物は市場を通じ、都市に運ばれ、大量に消費されます。首都のニアメは私が最初に訪れた頃には人口は80万人ほどでしたが、ここ20年ほどで120万人にまで増加しました。イスラム圏には犠牲祭という行事があって、ものすごい人数の人びと、それも都市部の富裕層の人びとが中心ですが、いっせいに牛やひつじの肉を食べるんです。そうした都市の消費社会のなかでは当然、大量のゴミやし尿が出てきます。それらは都市に蓄積し、生活環境を悪化させるだけで、農村地域の生態系には戻らないので、農村の土地は痩せ細っていくばかりです。
これはニジェールだけの問題ではありません。日本では毎年、国民一人あたり500kgちかい食料を海外から輸入し、食べずに捨ててしまうというフードロスの問題が深刻になっています。世界の周縁に位置する国の土地はどんどん痩せほそり、経済の中心地である都市はゴミ問題が深刻になってゆく。都市の衛生問題と農村の砂漠化の問題は、地球規模で起こっているコインの裏表なんです」
農村から都市へ物質が一方的に流れ続けることで、双方に問題が起こっていると。
「そのとおりです。これは地球環境という視点から見た問題ですが、サヘル地帯のテロや民族紛争といった人間社会の視点に絞れば、一番の課題は『食べられない人をなくすこと』だと考えています。
農耕民であるハウサの人々には、『ニュンワ・ギダン・マサラ』という言葉があります。ニュンワは空腹、ギダは家、マサラは問題で、『飢えは問題の巣窟だ』という意味です。空腹はそれ自体が人を苦しめるだけではなく、さらに深刻な問題を引き起こしていきます。お腹が減っていると、人間はとにかく腹が立ちます。そして、社会に対するやり場のない怒りが、テロや紛争へと人々を駆り立てていくのです。サヘル地帯ではボコ・ハラムというテロ組織に入ってしまう若者が後を絶たないんですが、その背景にも飢餓や貧困の問題があるんです」
貧困、飢餓、ゴミ問題、テロや紛争……いろいろな問題がつながっているんですね。「くすのき・125」に採択された研究テーマは「アフリカの人道危機を解決する実践平和学」ですが、先生はどんなアプローチでこれらの問題に向き合っていらっしゃるのでしょうか。
「都市に溜まった栄養物質を人の手で農村に戻すことで、農村に豊かな土地を再生しようとしています。もともと、村の人たちは不作に見舞われた時の知恵で、自分の家から出てくる家庭ゴミやし尿、家畜の糞などを畑に撒くことで土地を改善してきました。ですが、それだけでは効果は限定的なんです。私は、その土地を改善する仕組みを知って、都会で出た家庭ゴミを農村に運んできて荒廃地に撒く活動をはじめました。
本格的な活動に着手したのは2011年でした。村はずれの荒廃地をフェンスで囲って、そこに都市から運んできた家庭ゴミを撒いて、上から砂をかぶせます。作業は1日に50人ほど、食事つきで村の住民たちに依頼し、雇いました。ゴミを撒いた場所をサイトと呼んでいますが、そのサイトは乾季のうちはほとんど変化がありません。しかし、雨季になると、みるみるうちに植物が生い茂ってきます。家庭ゴミや家畜の糞に含まれていたカボチャやトウジンビエなどの作物、あるいは家畜の飼料になる植物の種子が発芽してきたんです」
なんと、ゴミから作物が育つんですか!
「この場所は当初から家畜の餌場にしようと決めていたのですが、作物ができたので村の人たちが収穫した後に家畜を入れることにしました。こうして、人びとも家畜も食料を得ることができたんです。家畜が草を食べ尽くしてしまった後も、2週間だけは夜の間に家畜をフェンスの中に入れて糞尿を落とすように依頼し、すると、年々、生育する植物は増えつづけ、3年後には樹木が生い茂るまでになりました。正直、ここまでうまくいくとは私も想像していませんでした」
農村の土地に必要だった物質の循環が戻ったんですね。ところで、最初から農地にせずに家畜の餌場にされたのにはどんな意味があるのでしょうか?
「はい、実はそこが非常に大切なところなんです。この地域には牧畜民であるフルベと農耕民であるハウサという2つの民族が暮らしています。1970~80年代に大旱魃があって、フルベの人たちは家畜をほとんど失いました。だから今のフルベの人たちは農村に居候して、ハウサの人々の家畜の世話をしているという肩身の狭い状態なんです。
ニジェールやナイジェリアといったサヘル地帯の国々では、農耕民と牧畜民との間の紛争が頻繁に起こっていて、3年間で3600人もの人が亡くなったという調査結果も出ています。論文などでは土地資源をめぐる争いだとよく書かれるんですが、実際に現場で調査してみると、家畜をめぐる些細なトラブルが火種になっていることが多いのです。私の調査している地域でも、紛争で100人ちかくの住民が亡くなりましたが、その原因は、わずか6頭のヤギが畑の作物を荒らしたことがきっかけでした。昔ならばそんな大事にならなかったことが、農耕民も食料がなくてイライラしている。それで、牧畜民との衝突が起こってしまうんです。
そんなわけで、フェンスで囲った放牧地を設ければ、家畜が勝手に出歩かないようにし、家畜による作物の食害を防止することができる。牧畜民が日々、世話をする家畜は農耕民の所有であることが多く、農耕民も、牧畜民も家畜を元気に太らせることができ、農耕民と放牧民のあいだのトラブルを防ぐこともできます。日々の生活が安定することにより、テロに身を投じる若者を減らすこともできるでしょう。そうやって平和を実現することが、私の目標なんです」
そんな悲しい出来事が頻発しているなんて……。先生の取り組みは、人間が人間らしく生きられる基盤を作ることなのですね。
緑化の取り組みを長年続けてこられて、周囲からの反応などはいかがでしょうか?
「取り組みを始めたときは、周囲の研究者からもニジェールの政府や官僚からも『あいつは何をやっているんだ』というふうに見られていたと思うんですが、今やニジェールでは都市のゴミを使った緑化は当たり前のようになりつつあります。目に見える成果を積み重ねてきたことで、最近ではニジェール政府の官僚のなかにも理解者が現れ、連携にむけて話が進んでいます。
日本をはじめ世界各地で、ゴミ問題への関心が高くなっていて、日本の中学・高校の教科書にも私の活動が紹介されるようになりました。もうしばらくすると、京都大学に進学してくる学生の大多数が入学時には私の研究を知っているということになってくるのかもしれませんが、どう研究内容を話してよいのか戸惑いますね(笑)」
これからの社会を作る世代にこそ、先生の取り組みをぜひ知ってもらいたいですね。最後に、「くすのき・125」を利用して採択期間の3年間ではどんなことに取り組まれるのか教えていただけますか?
「より広い地域に多くのフェンスの囲いを作り、紛争やテロのない、平和な社会を作る土台にしていきたいと考えています。まずは、3年間の計画で、ニアメの近郊に10地点のサイトを作って、2500トンのゴミを撒く予定です。
その中で、地域の人々のいろいろなニーズにも応えていきたいですね。現在ではニジェール政府やニアメ市とも連携して活動を進めているのですが、ニアメ市からは都市のゴミを少しでも多く処理してほしいという要望があります。2500トンというと、とてもたくさんだと想像されるかもしれませんが、これはニアメ市のわずか2日分のゴミの量なんです。目標を達成するまでの道のりはとても長いですが、例えばサイトを都市近郊に作ればゴミ処理に重点を置くこともできますし、サイトは牧畜だけではなく農地に転用することもできます。薪をとれるようになったり、副食のおかずになる植物、民間療法で使う薬草を育てたり、周辺の住民がどんな場所にしたいのかによって手入れの仕方を変えていけばいいんです」
これまでの取り組みのご経験を糧に、さらに大きな実りが期待できそうですね。
「実際のところ、自然を相手にした取り組みでは、何が起こるのかわかりません。大雨が降ったり、干ばつが起きたり、果ては植物を食い荒らすサバクトビバッタが大量発生すれば全てが台無しになるのかもしれません。それでも、めげずに、何度も何度も試行錯誤を繰り返すうちに、法則のようなものが見えてくることもあります。緑化の取り組みも最初はうまくいく保証はまったくありませんでしたが、続けていくうちに、1年目には作物が生育し、2年目以降には家畜が食べる草本が生育し、そして、家畜を入れることで樹木が生育してくることが経験として分かってきました。粘り強く取り組み、偶然だと思えるものが必然になっていくというのも、フィールドワークによる研究の醍醐味ですね」
アジア・アフリカ地域研究研究科 教授
環境学博士(京都大学)。京都大学人間・環境科学科博士後期課程修了。東京都立大学、首都大学東京を経て、2010年より京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科 准教授。2020年4月より現職。専門は地理学で、ザンビア、ニジェールで農村を中心とした地域研究を行う。著書に『西アフリカ・サヘルの砂漠化に挑む:ごみ活用による緑化と飢餓克服、紛争予防』(昭和堂)などがある。