自然免疫システムと遠隔転移の関係を究明し、人々が安心してがん治療に向き合える未来へ「がんの遠隔転移は予防できるのか?」
医学部附属病院 放射線部 助教
中島 良太
人と社会の未来研究院 助教
(インタビュー当時のご所属:こころの未来研究センター)
上田 竜平
京都大学創立125周年記念事業の一つとして設立された学内ファンド*「くすのき・125」。このファンドは、既存の価値観にとらわれない自由な発想で、次の125年に向けて「調和した地球社会のビジョン」を自ら描き、その実現に向けて独創的な研究に挑戦する次世代の研究者を3年間支援するというものだ。
*「学内ファンド」とは、京都大学がめざす目標に向けて、京都大学が持つ資金を学内の教職員等に提供する制度のことです。
こころの未来研究センターの上田竜平先生は、「美を体験するこころと脳—実証的人文科学の確立」というテーマで2021年度に採択された。これまで哲学や美学といった人文学の領域で議論されてきた「美しさとは何か?」という問いに対して、脳機能の側面から全く新しい知見を提案できるかもしれないという。文理の垣根を超える学問のパラダイムシフトを起こしたいという上田先生に、メッセージ動画とインタビューでお話を伺った。
まずは先生のご専門分野について教えていただけますか?
「私の専門は認知神経科学という分野で、『ひとのこころの働き』という主観的な現象を、心理実験や脳の働きの解析によって客観的に解き明かすことをめざしています。
その中でも主に取り組んでいるのは、親密な異性間関係、いわゆる恋愛関係がどのように構築され、長期間続いていくのかという研究テーマです。こうした問題は、これまで人文学や進化心理学といった分野で研究が進められてきましたが、私は恋愛関係における脳の働きを知るため、認知神経科学の視点からアプローチしています。
具体的な研究手法としては、実際に交際関係を結んでおられる方々に実験に参加していただいて、日常生活の様子を再現したような心理実験を行い、その時の脳の活動を計測して解析するといったものです」
恋愛中って、脳の中でも大変なことが起こっていそうです。研究ではこれまでにどんなことがわかってきたのでしょうか?
「例えば、恋愛関係の初期に、相手に強く入れ込んでしまうような熱愛を経験された方も多いと思いますが、この心理状態には『報酬系』と呼ばれるドーパミン神経系、つまり報酬に関する情報を処理する際に重要となる脳領域が関与していることが知られています。熱愛中のひとが恋人のことを考えているときには、一夫一妻制を築くネズミなどの動物と同じ脳領域の活動が活発になることが、初期のヒト脳研究で報告されています。一方、同じネズミでも排他的・長期的なつがい形成を示さない種類の場合は、この脳領域の働きが弱いこともわかっています。こうした研究から、熱愛は一人のパートナーと長く、良好な関係を結ぶために大切なこころの状態であり、それは脳の働きに支えられていると言うことができるでしょう。私自身の研究ではさらに視野を広げ、パートナーとの関係維持をおびやかす『浮気』的関心の抑制や、あるいは忌避の対象となる一方で成功すればパートナーを得られる可能性もある『略奪愛』行動に関わる認知・神経メカニズムの検討を行ってきました」
こころと脳というテーマに関心を持たれたのにはどういう経緯があったのでしょうか?
「実は最初からこうした分野に興味があったわけではなく、高校生の頃はデザイナーに憧れていたんです。専門学校への進学を考えていた時期もあったんですが、突き詰めて考えてみると、人はなぜ美を感じるのかという理論の方に興味が湧いてきて、美学や芸術学を勉強するために文学部に進学しました。そこからさらに、ひとのこころの働きを科学的に実証するような研究へと興味が発展して、実験心理学を学び始めました。卒業研究では人の顔の魅力に着目し、どういった視覚的特徴をもつ顔が魅力的と判断されるのかというテーマに取り組みました。しかしこのテーマは心理学では非常に長い歴史があるだけに新しいことを見つけるのが難しく、研究者としてはもっと独自性のあるテーマに取り組みたいとも考えるようになりました。
文学研究科の修士課程に進学する頃に、こころの未来研究センターで実験のアシスタントをさせていただく機会がありました。センターには脳の働きをモニタリングできる研究用のMRI(Magnetic Resonance Imaging: 磁気共鳴画像診断装置)があり、こころの問題に脳機能の側面からアプローチすることができます。この時の実験でMRIを使用したことがきっかけで、大学院で取り組む私の研究にも脳の働きという視点を取り入れることになりました。それに伴って研究テーマも応用的なものにしたいと思い、顔の研究から恋愛関係の研究に転換したんです」
それまで心理実験を中心に研究されてきたということですが、脳の働きを研究に取り入れたことでどんな変化があったのでしょうか?
「ひとのこころの状態を目に見える形で表すことができるようになったことですね。こころの働きは主観的な体験なので、それまでの研究では、その人のこころの中で何が起きているのかを外側から観察することは困難でした。ですが、心理実験と合わせて膨大な脳のデータを計測することで、ひとがある行動をとる背景にどんな生理学的な仕組みがあるのかを表すデータを得ることができるようになりました。主観的であった対象を客観的に捉えることができるようになってきたわけです」
くすのき・125では、125年後に創出したい調和した地球社会のビジョンをお聞きしています。先生のビジョンを教えていただけますか?
「私がめざしたいのは、文系・理系という枠にとらわれない広い視野を持ったリーダーが活躍して、人類規模の困難に立ち向かう社会です。
コロナ禍に代表されるように、近年、私たちはこれまでに経験したことのないような数々の地球規模の問題に直面しています。こうした問題に立ち向かうには、一つの分野にとらわれず、広い視点で物事を考えることのできるリーダーこそが必要とされます。そのために研究者としてできるのは、文系・理系にとらわれない学問領域を開拓し、新たな価値観や考え方を世の中に提示していくことだと考えています」
こころという対象を科学的に捉える研究は、まさにそのフロンティアと言えそうですね。くすのき・125ではどんな研究に取り組まれるのでしょうか?
「くすのき・125では、先ほどお話ししたような普段取り組んでいるテーマから少し離れて、ひとが芸術の美的価値を感じる際の脳とこころの仕組みを研究します。
ひとはどんな時に、どんな物に対して美しさを感じるのかという問題は、美学や哲学で古くから議論されてきた古典的かつ普遍的なテーマで、これまでさまざまな理論が提唱されてきました。しかし、それらの理論を科学的に立証する研究はほとんどありませんでした。そこで私は、この問題を心理実験や脳の働きの計測といった再現性のある手法に落とし込んで検証することに取り組みます。この研究を通して、美学や哲学といった歴史ある人文知の体系と最先端の認知科学を結びつける、新しい思考の枠組みを世の中に提示したいと考えています」
美しさの捉え方を根底から変えてしまいそうなテーマですね。一体どのような研究になるのでしょうか?
「今回実験で検証しようとしているのは、近代哲学で美的価値を感じるこころの働きを論じる際に用いられてきた『無関心の関心』あるいは『関心のない満足』という概念です。
無関心、あるいは関心がないというのは、ここでは『利害への関心がない』状態を指します。例えば、おいしそうな料理を見たときに『食べたい』と思ったり、お金を見たときに『あれやこれが買えるから欲しい』と思ったりすることは、利害と結びついた快楽的な関心のあり方です。それに対して、芸術作品を前にしたときに感じる快楽的な体験は、具体的な利害を伴わない『無関心の関心』であるというわけです。
哲学ではこの2種類の関心は異なるものだとされていますが、これらの関心がこころに生じるときに脳の働きがどのように関わっているのかは、これまで明らかになっていませんでした。そこで、今回取り組む研究では、MRIを使った脳機能イメージング手法によって、この2種類の関心が脳の中でどのように処理されているのか、それぞれの関心のあり方によって脳の働きに違いはあるのかどうかを明らかにすることが目標になります。
具体的に行うこととしては、まず実験の参加者にMRIに入ってもらい、MRIの内部にあるモニターにさまざまな画像を映し出し、画像を見た瞬間の脳の働きを測定します。実験が一通り終わったら脳の働きのデータを解析し、美しい絵画作品の画像を見たときと、美味しそうな料理など自分の利害に関係した画像を見たときとで、活性化する脳の領域に違いがあるかどうかなどを比較します。このように実験とデータ解析とを積み重ねて、利害関係を伴う関心とは明らかに異なる点が見つかれば、それこそが『無関心の関心』に特有の脳の働き、つまり美的価値を感じる際の脳の働きであると言えるのではないかという仮説を立てています」
哲学で論じられている概念をベースにして実験やデータの解析を行うのですね。ところで、どんな絵を美しいと感じるかにはかなり個人差がありそうですが。
「芸術作品を美しいと感じるこころの働きには、社会的背景や個人の経験などさまざまな要素が関わっていると考えられますが、今回の研究では一度それらを取り払って、赤ん坊でも感じるような生理的で瞬間的な感覚に着目したいと考えています。風景画や人物画といった具象絵画を使うと、実験参加者は描かれているものから意味を読み取ろうとしてしまい、『無関心の関心』ではなくなってしまうおそれがあるので、抽象絵画が望ましいでしょう。
実験の準備段階として、まずはどんな絵画作品を使用するのがよいのかといった実験の条件を検討するための予備実験から取り組みます。この段階では脳機能を測定する必要はないので、参加者にオンライン上で絵画作品を見てもらい、美しいと感じる度合いを答えていただくような形の実験を予定しています」
美を感じる仕組みを研究するにあたって、「無関心の関心」に着目されたのはどうしてでしょうか?
「先ほどもお話ししたように、ひとが美を感じる仕組みは恋愛関係の研究を始める以前からずっと興味を持っていたテーマです。ですが、ただ芸術作品に触れたときの脳を測定するだけでは、『美とは何なのか』という根本的な問いに対する答えとしては物足りないとも感じていて、なかなか手が付けられずにいたんです。そこで、美学や哲学ではこれまで美をどのように扱ってきたのかを改めて整理してみて、ようやく『無関心の関心』を主軸としたテーマが固まってきたので、このテーマでしっかり研究をしてみたいと思い、今回くすのき・125に応募させていただくことにしました」
脳やこころの働きから「美しさ」にせまる研究は、これまでどの程度行われてきているのでしょうか。
「美学的問題をひとの神経の面から解き明かそうとする『神経美学』と呼ばれる分野があります。これまで哲学や美学で行われてきた美的価値に関する議論を、実証的に研究しようということで、脳機能を解析する技術が登場した2000年代ごろから始まった比較的新しい学問領域です。
神経美学の初期の代表的な研究は、MRIの中で参加者にさまざまな絵画作品を見せて、どれくらい美しいと思うかを手元のボタンで回答してもらい、回答しているときの脳の活動を計測するというものでした。その結果、他と比べてより美しいと判断された絵を見ている時は、はじめに恋愛関係のお話の中でも触れた報酬系の脳領域が関わっているということがわかりました。しかし、この結果については、美的体験に特有のものなのか、快楽的経験全般に適用できてしまうものなのかがわからないという哲学者からの批判もあります」
突き詰めると、やはり「美的体験とは何か」という問いに行き着きそうですね。
「そうですね。だからこそ、美的体験を研究する上では、長い歴史の中で蓄積されてきた哲学的な理論を踏まえて論じることが大切になってくるのだと思います」
今回の研究テーマについて、長期的な視点で実現したい目標などがあれば教えていただけますか?
「『無関心の関心』の研究では、誰しもに共通する美的価値を感じる脳の働きがあるのかどうかを明らかにしようとしていますが、この問題に結論を出すことができたら、次は実際に芸術に関わっている方々を対象に研究を深めていきたいです。例えば、美術教育を受ける前と受けた後では、美的価値を感じるこころの働きに違いがあるのかといったテーマを考えています。
この問題は芸術家やデザイナーの創作活動自体にも関わってくるでしょう。美術教育の現場で教えられている鑑賞理論や創作理論を実験で検証することで、どうすれば人々の関心を惹きつけるような作品を作れるのか、実証に基づいて提案できるようになるかもしれません。ゆくゆくはそうした方法論が大学や専門学校に取り入れられて、豊かな感性に加えて実証科学の視点も持ち合わせた作り手が増えていくと嬉しいですね。
このような形で思考の枠組みをアップデートしていくことが、ひいては人類が直面しているさまざまな困難に新たな解決策をもたらすことになるのではないでしょうか」
人と社会の未来研究院 助教
2019年、京都大学大学院文学研究科博士課程修了。国立研究開発法人情報通信研究機構 脳情報通信融合研究センター特別研究員を経て、2021年より現職。専門は認知神経科学。恋愛関係の構築と維持に関わる認知・神経機構の働きについて、心理実験と脳機能イメージング手法を用いて研究している。