自然免疫システムと遠隔転移の関係を究明し、人々が安心してがん治療に向き合える未来へ「がんの遠隔転移は予防できるのか?」
医学部附属病院 放射線部 助教
中島 良太
エネルギー科学研究科 講師
薮塚 武史
京都大学創立125周年記念事業の一つとして設立された学内ファンド*「くすのき・125」。このファンドは、既存の価値観にとらわれない自由な発想で、次の125年に向けて「調和した地球社会のビジョン」を自ら描き、その実現に向けて独創的な研究に挑戦する次世代の研究者を3年間支援するというものだ。
*「学内ファンド」とは、京都大学がめざす目標に向けて、京都大学が持つ資金を学内の教職員等に提供する制度のことです。
エネルギー科学研究科の薮塚武史先生は、「医療レス社会の実現に貢献する『アパタイト学』の構築」というテーマで2021年度に採択された。私たちの骨を構成する物質のうち70%を占めるアパタイト。金属にも細胞にもよくなじみ、さまざまなものを吸着する性質が人工骨をはじめ多様な用途に応用できるという。薮塚先生が「アパタイト学」を立ち上げる理由とは? メッセージ動画とインタビューで伺った。
先生のご研究内容について教えてください。
「工学部工業化学科の学部生時代から一貫して、人工骨の材料の開発に取り組んできました。特に着目しているのが、ヒドロキシアパタイト(以下「アパタイト」と表記)です。アパタイトは私たちの骨を構成する物質の約70%程度を占めるセラミックス(無機化合物)なのですが、人工的に合成することもできます。現在は材料科学の専門家として、このアパタイトに関する2つのテーマで研究を行っています。
一つ目は、人工骨を身体に馴染ませ、身体の中で自然に骨と一体化させるための新たな表面処理技術の研究です。骨折したとき、通常は患部を固定していれば自然治癒するのですが、重篤な場合は人工骨で補う必要があります。この人工骨と、もともとある骨とを結合する際に、アパタイトが重要な枠割を担います。
人工骨はこれまでさまざまな素材のものが開発されてきましたが、その中でも骨と直接結合できる素材(生体活性セラミックス)は数えるほどしかないうえ、それらは耐衝撃性に問題があって、用途がどうしても限られてきます。一方、骨と結合はしないものの、丈夫さや軽さ、化学的安定性を追求した優れた材料は数々生み出されています。人工歯根や人工股関節の母材に使われるチタン合金がその代表例です。こうした素材の場合、これまでは医療用の接着剤のようなものを使って骨と結合していました。しかし、接着剤でくっつけるだけでは、長年使っている間に結合部が緩んできて再手術が必要になり、患者さんにとっては大きな負担となってしまいます。
そこで私たちは、そうした優れた材料に表面処理を施すことで骨と自然に一体化するようにし、人工骨として新たな息吹を吹き込むということに取り組んできました。具体的には、骨と結合させたい人工骨の表面にアパタイトの『種』となるリン酸カルシウムという物質を前もって植えつけておくことで、体内でアパタイトの結晶が形成されることを促し、人工骨が迅速に、そして長期間にわたって安定して骨と結合できるようにするのです。先程申し上げたように、アパタイトは私たちの骨の主成分でもあるため、骨とよく馴染んで安定して結合できるという性質があります。人工骨の表面処理は多くの場合、熱を加えて高温で行うケースが多いのですが、この方法は材料に対して熱的に相当な負荷がかかってしまうため、長期間体内に入れておくと、材料の表面に前もって作っておいた膜が剥離しやすいという課題が指摘されていました。一方、私たちが開発に成功した方法は、生体中の骨の形成プロセスを模倣して骨と非常になじみの良い表面の構造を常温常圧で作るため、剥離の心配が少ないというメリットがあります」
金属の人工骨も身体に馴染ませることができる、アパタイトは便利な物質なのですね。
「こうしたアパタイトの特徴を一言で表すならば、骨だけでなく金属、セラミックスや高分子、あるいは細胞やウイルス、あらゆるもの同士を仲介できる物質と言うことができるでしょう。
この特徴から着想を得たもう一つの研究テーマが、アパタイトと医薬品の効果を掛け合わせた機能性材料の開発です。アパタイトは、さまざまな物質を吸着したり、自身の構造の内部に抱え込んだりできるという性質も持っています。そこで、アパタイトで小さなカプセル状の微粒子を作って、その中に例えば病気の治療薬を入れます。そのカプセルを体内に入れて、患部に届いたときにはじめて薬が効くようにしたり、薬が出てくる速度をコントロールしたりするのです。体内で必要なときに、必要な量の薬を患部に届ける技術はドラッグデリバリーシステムと呼ばれています。こうした場面でもアパタイトが使えないかということで、日々研究を進めているところです」
お話を聞けば聞くほど、アパタイトはさまざまな可能性を秘めた物質のようですね。
「もうひとつ面白いのは、先ほどの図に示したような複雑かつ対称性に優れた構造を持つアパタイトというセラミックスが、生物の身体の中で自然に生成されるという点ですね。セラミックスというと焼き物をイメージされる方も多いですが、アパタイトは常温常圧の生体内で、大きなエネルギーを使わずに非常に巧みな構造を形成しています。私たちが研究している常温常圧での合成法が低コストで実用可能になれば、省エネルギーで環境に配慮した材料としての可能性も広がるでしょう。
アパタイトが医療以外で実用化されている例としては、歯磨き粉の成分があります。少し古いですが、歯磨き粉のCMでアパタイトの名前を耳にしたことがある方もいらっしゃるかもしれませんね。他には、ウイルスを吸着するマスクですとか、蛍光灯、高速道路の防音壁、トイレの防汚コーティングなどが応用例として挙げられます。まだまだ未知数な部分の多いアパタイトの性質や合成法を研究していくことで、さらなる新しい材料の創出につなげたいと考えています」
そんな物質が私たちの身体の中に、それもかなりの量存在しているということが、何だかとても神秘的に思えてきました。
「そもそも、私たちが陸上生活を送っていられるのも、アパタイトのおかげと言えるかもしれません。イカやタコといった軟体動物のもつ炭酸カルシウムの骨ではなく、リンが含まれる強靭なセラミックスであるアパタイトと柔軟なコラーゲンが、絶妙な三次元構造を取った骨格だからこそ、しなやかさと強さを併せ持つことができているのです。
これだけの機能を持った物質ですから、もしかしたら私たちの骨を構成するアパタイトにも、骨格を支えるだけではない未知の役割があるのかもしれません。アパタイトの本質に迫ることは、私たち生命体の起源を知るという意味でも非常に興味深いテーマと言えるかもしれませんね」
ところで、先生はどうしてアパタイトの研究に取り組まれるようになったのでしょうか?
「きっかけと言っていいのかわかりませんが、学部3年生のときに、授業に行く途中に自転車事故を起こしてしまったんですね。自転車同士の衝突で、手を骨折してしまいました。お医者さんにかかって、その時に言われたのが『放っておけば治すのにかなり長い時間がかかるけど、人工骨を入れれば1週間程度で退院できるよ』と。それで私は人工骨手術を受けました。だから、今でも手の中に何の素材かは不明ですが人工骨が入っているんですよ。どんな素材の人工骨なのか、あの時きちんと聞いておけばよかったんですけど。
そんなことがあったからか、学部生の頃から生体材料を研究したいとは思っていましたね。ただ、学部4年生の研究室配属の際には、一見すると生体材料とは程遠い印象のエネルギー科学研究科の研究室に配属されました。私はそこでてっきり化学電池の研究をするものだと思っていたのですが、指導教員だった八尾健先生(京都大学名誉教授)が、人工骨の分野で世界的に著名な小久保正先生(京都大学名誉教授)のもとでご研究されていた経歴をお持ちでした。そのご関係からか、固体化学やX線結晶学をバックグラウンドとして、二次電池と人工骨の両方の研究に取り組まれていたんです。そんな巡り合わせが重なって人工骨やアパタイトを研究することになりました。本学教職員として教育研究活動を行うようになって以降は、京都大学学術研究支援室(KURA)からもくすのき・125をはじめさまざまな形でご支援をいただきながら、今に至ります」
「くすのき・125」では、125年後に向けた調和した地球社会のビジョンをお聞きしています。薮塚先生のビジョンをお聞かせいただけますか?
「125年後を想像するのはとても難しいのですが、やはり我々人間がまずは健康であるということが一番重要なのではないかと思います。そのために、私は125年後の医療のあり方を考えてみました。
現在、臨床の現場で使われているさまざまな医療機器ですとか、あるいはお医者さんが手術で使う手技というものの大部分は、125年前には存在しませんでした。糖尿病治療を例にとってみますと、今から125年前はインスリン分子がまだ発見されていないので、1型糖尿病にかかってしまうとなすすべがなかった。でも現在では、患者さん自身がインスリンを注射したり、あるいは糖尿病を予防するために血糖値をオンタイムでモニタリングしたりすることもできます。実は私も予防のつもりで血糖値を測定するパッチ型のセンサーを腕に貼っているんですが、スマートフォン等の読み取り用端末をかざすとその時の血糖値が表示されるようになっています。時代はもうそんなところまで来ているんです。
こうした125年間の進歩を踏まえて次の125年で何をめざすのかを考えたときに、そもそも医療の力を極力必要とせずに健康的な生活を送ることができる『医療レス社会』、さらに言えば、医療という概念自体がない社会こそが、医療の究極の目標なのではないかという考えに至りました。たとえ125年後が無理で、倍の250年かかったとしても、人類にとって、あるいは地球社会にとって実現する価値があるのではないかと私は考えています。
そのために重要なのは、医療の専門知識のない一般の人々が自分の健康状態を把握して、病気の予防や健康増進につながる行動をとれるようになるということです。そうした予防技術の開発こそが、新たな医療の潮流をもたらすのではないでしょうか」
先生のご研究は、医療レス社会というビジョンとどのように関わってくるのでしょうか。
「はい。私はこの新しい医療の潮流にアパタイトを役立てたいと考えています。これまでお話ししてきたように、アパタイトは人工骨、あるいは人工歯根の機能を大幅に改善する材料としてすでに幅広く利用されています。一方、それ以外の用途への展開については、研究されている方は多くいらっしゃるのに実用化はほとんど進んでいないのが現状です。
そこで私は、アパタイトのまだ解明されていない機能を材料科学の立場から掘り起こしてさまざまな場面に役立てる、『アパタイト学』という学理を新たに立ち上げたいと考えています。例えば、誰でも自分で疾患を早期診断できる技術を構想しています。
また、医療レス社会を実現するには、感染症への対策も欠かせません。コロナ禍で多くの人が実感したように、感染症の発生や蔓延を予測する技術を構築すること、そのうえで感染症予防技術を飛躍的に充実させることに対して、国境の垣根を超えて真摯な態度で取り組んでいくことがますます重要になっています。このような、現代の医療に山積するさまざまな課題の解決に役立つ新たな鉱脈を材料科学の視点からも発掘し、世の中に貢献することができるのではないかと考えています。くすのき・125では、まさにこれらの課題の解決に役立つかもしれないアパタイトをはじめとするセラミックスを使った新素材の開発に取り組もうと考えています」
先生は「アパタイト学」を立ち上げたいとのことでしたが、アパタイト研究という分野にどんな課題があって、どうなっていくのが望ましいと考えておられるのでしょうか?
「先ほども申しましたように、アパタイトの研究自体は盛んに行われているのですが、現段階で実用化に繋がっているのは、人工骨をはじめとする整形外科材料や歯科材料の研究がほとんどです。実用化にはまず医療認可を取得することが必須ですが、とりわけ日本ではこの認可に非常に厳しい基準が設けられています。私は、この基準は患者さんの命に寄り添うという医療の原点から見ても非常に重要であると考えています。しかし、人工骨の認可であっても非常に厳しい今の制度のもとでは、ドラッグデリバリーシステムなど人工骨以外の医療材料としてアパタイトを実用化するという新しい構想が患者さんに届く形で結実するのは、もっと難しいんじゃないかと、現在取り組まれている研究者の中でもそのような実感は、正直あると思っています。
実用化に立ちはだかる壁を打破するには材料科学の研究者の力だけでは無理で、企業の方々や、医学、歯学、薬学、生物学、物理学、情報科学等のさまざまな分野の研究者も巻き込み、研究分野の垣根を超えて力を結集させる必要があります。特に未来を担う若手研究者は、個人や研究室単位で活動するという今までの方法論を脱却して、研究者同士、国内だけでなく国際的にも協力していかなければならない時代にきているのではないかと思います。そこに微力ながら貢献したいというのが、私がアパタイト学を掲げる理由です」
アパタイト学は、協力して壁を乗り越えるための旗印なのですね。
「125年後を見据えたとき、従来の方法や価値観で研究しているだけでは限界があるのではないかと思うんです。特に医療材料というのは、患者さんの手に届く前に想定されるありとあらゆるリスクを厳格な基準のもとに排除した、絶対に失敗の許されない、患者さんの命に関わる分野で、だからこそ実用化のハードルもきわめて高い。そのハードルを研究者同士が諸科学の力を結集させ、協力して乗り越えなければなりません。それとともに、こうした新しい素材開発のベースには、先人が築き上げてきた人工骨やセラミックスの研究がまずあるのだということはいつも肝に命じておきたいです。そこから新たな材料科学、新たな医療が拓けるのではないでしょうか」