Behind Kyoto University's Research
ドキュメンタリー
Vol.36

生きづらさを抱える一人ひとりが必要な支援を受けられる社会をめざして。「『脳腫瘍になった。だけど未来がある』を支えたい」

医学研究科 助教
田畑 阿美

くすのき・125

京都大学創立125周年記念事業の一つとして設立された学内ファンド*「くすのき・125」。このファンドは、既存の価値観にとらわれない自由な発想で、次の 125年に向けて「調和した地球社会のビジョン」を自ら描き、その実現に向けて独創的な研究に挑戦する次世代の研究者を3年間支援するというものだ。
*「学内ファンド」とは、京都大学がめざす目標に向けて、京都大学が持つ資金を学内の教職員等に提供する制度のことです。

「『脳腫瘍になった。だけど未来がある』を支えたい」というテーマで2021年度に採択された医学研究科の田畑阿美先生は、脳腫瘍を経験した患者さんが抱える、周囲から理解されづらい社会生活上の問題について、支援、研究、そして正しい情報の発信に取り組んでいる。自身の経験を社会に還元したいという田畑先生の思いを、メッセージ動画とインタビューで伺った。

脳腫瘍を経験した患者さんが抱える困りごとに寄り添いたい

まずは、先生が取り組んでおられる研究テーマについて教えていただけますか?

「小児・成人の脳腫瘍の患者さんを対象として、社会生活機能や、社会への適応行動についての研究を行っています。脳腫瘍では、腫瘍を手術などで取り除いた後も脳機能に障がいが残る場合が多く、それらが日常生活や社会、あるいは学校への復帰の妨げになっています。

手術前後の脳の状態をMRIで撮影した様子。手術前は脳室内~視床を圧迫するように腫瘍が広がり、手術後は側脳室~頭頂後頭葉にかけて腫瘍が摘出された跡がある

脳腫瘍を治療した患者さんの中には、認知機能全体がガクッと落ちてしまっている方もいらっしゃいます。しかしそうではなく、健常な方と変わらず認知機能がある程度保たれているように見える患者さんでも、脳の損傷によって感情のコントロールや睡眠リズムの調整といった、目には見えないけれど社会生活を営む上で重要な部分がうまくいかず、社会に適応していく上でお困りの場合が多くあります。そうした方は一度は復職、お子さんの場合なら復学できるのですが、周囲からは完治したように見えるために、かえって苦労してしまうのです。これまで普通にできていたことが難しくなり、『何故こんな簡単なことができないのか』と周囲から責められたり、お子さんの場合はいじめに遭ってしまったりして、結果的に社会や学校から距離を置くようになってしまう方もかなりたくさんいらっしゃいます。

このように社会復帰が難しくなる要因について、患者さんの認知機能や運動機能などの側面から研究を進めるとともに、作業療法士としてリハビリテーションの方法の確立や、社会復帰に向けた支援体制の構築にも取り組んでいます」

研究者、そして作業療法士として、患者さんの生活に直結する問題に取り組まれているのですね。具体的にはどのようなアプローチで研究されているのでしょうか?

「実際に患者さんやご家族に接しながら、神経心理学的検査を行っています。認知機能や記憶機能、注意機能などを高次脳機能と言いますが、こうした能力ですとか、患者さんがお子さんならば手や目や足といった体の部位を協調させて動かす協調運動という能力などを評価します。具体的には標準化された高次脳機能評価バッテリーを組み合わせて、患者さんにいろいろな課題に取り組んでいただきます。その結果を標準値と照らし合わせることで、同年代の方と比べてその方の能力がどの程度あるのかを客観的に判定できるのです。

合わせて、ご本人やご家族にアンケートやインタビューを行って、日常生活での困りごとや普段どんな様子で過ごされているのかをお聞きします。これらの結果をまとめて、最後は患者さんお一人お一人に検査結果の報告書を作成して、ご本人とご家族に日常生活で気をつけるべきポイントをフィードバックします。このようにケースごとの評価を一つひとつ積み重ねて、患者さんの特性によってどんな困りごとがあるのか、それをどのようにケアしていけばいいのかという知見をまとめ、最終的には社会全体に共有していくことが私の目標です」

脳腫瘍の治療開始前の小児の患者さんに、今後の支援の方針を決めるための初期評価を行う田畑先生

先生のご研究は患者さんやご家族への支援そのものでもあるのですね。この研究を始められた経緯について教えてください。

「脳腫瘍に着目したのは、私自身の経験があったからです。3歳のときに脳腫瘍が見つかり、京都大学医学部附属病院で治療していただき幸い命は取り留めましたが、その時に左目すべてと右目の半分の視野を失いました。その後、13歳の時に再発して、再び治療を受けることになりました。辛かったのは病気だけではなく、小学校でも中学校でも周囲の無理解からいじめを経験したことでした。だから、自分は医療に命を助けていただいた身として、同じように周囲に理解されない苦しみを抱え、学校に通いづらくなっている子どもに対して何かできることがあるのではないかと考えました。それで選んだのが、私自身が助けていただいた京都大学医学部附属病院で、作業療法士として患者さんを支える道でした。

京都大学医学部附属病院は、多くの患者さんに信頼される『がん拠点病院』です。作業療法士としてその信頼に応えることを使命として患者さんお一人お一人に接してきました。一方で、附属病院の優れた研究環境や社会的な発信力の強さを知っていく中で、研究を通して目の前の患者さんだけでなく、もっと多くの人の力になることができるのではないかと考えるようになったのです。現在は、私が脳腫瘍になって経験したことをいつか社会に還元できればという気持ちで研究に取り組んでいます」

CureからCareへ。医療人、教育者、当事者としての取り組み

「くすのき・125」では、125年後に実現したい調和した地球社会のビジョンを伺っています。先生のビジョンをお聞かせください。

「脳腫瘍に関して、これまでCure(治療)に力が入れられてきましたが、これからは、Care(支援)の充実をめざす必要があると考えています。

脳腫瘍はもともと生命予後が悪い、つまり長く生きることが困難な疾患だったため、これまでは生命予後改善のための医学的な治療に重点が置かれてきました。命が助かったあと、社会生活での困難をいかにケアするかについて考えられ始めたのはここ最近のことです。特に、海外と比べて日本ではケアの視点が遅れています。病院で困りごとを相談しても、『命は助かったんだから』と、なかなか親身に対応してもらえないことも少なくありません。脳腫瘍に伴う障がいの実態があまり知られておらず、医療現場でも理解が進んでいないのです。

そこで私は、生命予後が改善されつつある今こそ、2つのビジョンに取り組むべきだと考えています。

1つは、脳腫瘍についての正しい知識を全ての人に持っていただいて、子どもでも大人でも、ライフステージに応じた支援が必要であるという共通認識を持った社会を築くこと。もう1つは、医療と地域社会が連携した、長期的な支援体制が構築された地球社会を実現することです」

田畑先生が「くすのき・125」で掲げるビジョン

医療現場、そして社会全体が変わっていく必要があるのですね。そのビジョンに対して、先生はどのように取り組んでゆかれるのでしょうか?

「私が生涯をかけて取り組み、125年後につなげてゆく研究として、3つの視点で取り組みたいと考えています。

1つ目は医療人としての視点で、医療現場における連携システムの構築を進めていくことです。患者さんがスムーズに回復して社会復帰を果たすためには、化学療法、放射線療法、手術などの治療が始まる前から私たち作業療法士が介入して、患者さんの生活や困りごとの評価を行い、治療中、治療後も継続して支援を行うことのできる体制が理想です。しかし実際は、現場のマンパワーが不足していたり、支援の重要性が認知されていなかったりするために、ほとんどの病院では作業療法士は治療が終わった後からしか介入できないという課題があります。さらに、患者さんが社会復帰された後の支援にも課題があります。リハビリでは可能な限り機能の回復に努めますが、脳そのものは腫瘍ができる前の状態に戻るわけではありません。退院してからもほとんどの患者さんは『元どおり』ではない状態でずっと生活していくことになりますので、支援が途切れてしまうことのないよう、ライフステージの変化に寄り添った支援を、全国どこでも受けられるようにすることも必要です。こうした支援の重要性を医療現場で共有して、治療前から一生涯に渡って安定した支援が行える体制が構築できるように働きかけていきたいと考えています。

2つ目は教育者として、知識や情報の発信に取り組みたいと考えています。まず医療専門職の方に対しては、病気のことだけでなく、病気に起因して起こる症状にどのようなものがあるか、そうした症状によって社会生活上どのような困りごとが生じるかを正しく知っていただくことで、先ほどお話ししたように患者さんが医療現場で適切な支援を受けられるようにしていきたいです。次に、学校や職場といった地域社会にも正しい知識を発信し、理解不足によるいじめや、合理的配慮を受けられない状況をなくしていく必要があります。最後は患者さんご自身、そしてご家族です。抱えている症状や生きづらさの原因が脳腫瘍由来であることがわからず、葛藤を抱いてしまう患者さんや、『育て方が悪かったのでは』と思いつめてしまうご家族もいらっしゃいます。ご本人やご家族が抱え込む必要はなく、適切に環境を調整することで生活しやすくなるということをお伝えしていきたいです。

3つ目は、当事者としての視点です。近年、病気などで同じ経験をされた方同士の支え合いの場である『ピアサポート』の存在が重要視されています。しかし、脳腫瘍の場合は患者さんによって重症度がまちまちであったり、自分の生活で精一杯だったりという方も多く、困りごとを共有できる場自体がまだ十分に構築されていない状態です。そこで私は、miracle brain(ミラクルブレイン)という近畿地方にある患者会に参加して、患者さんが相談できる場の構築に取り組んでいます。そうした場でご本人やご家族からお聞きした困りごとを、データではなく生の声として医療現場や地域に届けていくことで、社会全体として支援のあり方を考えていく契機にも繋げていけたらと思っています」

田畑先生の「3つの視点」での取り組み

先生が生涯をかけて社会の認識を変えていこうとされている熱い想いが伝わってきます。「くすのき・125」の採択期間の3年間ではどのようなことに取り組まれる予定でしょうか?

「この3年間は、ビジョン実現に向けて長期的に取り組むための土台作りに使わせていただきたいと考えています。

患者さんと向き合う時間をしっかり取るために事務補佐員さんを雇用したり、新型コロナウイルスの感染対策や、支援体制や相談の場を構築したりするための資金として活用させていただく予定です。今日お越しいただいたこの部屋も、普段は患者さんの状態を評価するために使用していますが、今後はピアサポートの場としても使えるように整備していきたいと考えていて、そうした物理的な環境整備にも使わせていただければと思っています。

研究の面では、患者さんをお一人ずつ評価し、データを収集していくにはとても時間がかかります。この研究自体は2019年から初めて、当初は5年間かけて患者さんを集めていく計画でしたが、新型コロナウイルスの流行でスケジュールが後ろ倒しになってしまいました。この3年で研究結果をまとめることは難しいのですが、一連の症例(ケースシリーズ)の報告という形で発表したり、先行研究の論文レビューを着実に進めたりすることで、まずは全体像の把握につなげたいですね」

今回のインタビューで訪問した家族・発達支援研究室

社会全体で理解が進めば、一人で抱える困りごとは減らしてゆける

お話をお聞きして、社会に暮らす私たち一人ひとりが理解を進めていくことが必要だと感じました。脳腫瘍といってもさまざまな症状の方がいらっしゃると思いますが、社会としてどのように考えていくべきかを最後にお聞かせいただけますか?

「一人の患者さんの中で、できることとできないことの『でこぼこ』が非常に大きいのが脳腫瘍の特徴だと言われています。脳のどこに病巣ができるか、発症する年齢、治療方針などによって、出てくる症状やその程度もまちまちです。周囲から見えづらい困りごとを抱えている方はもちろんですし、逆に、大きな損傷を受けて重度の障がいを負われたからと言って、その方が何もできなくなってしまったかというと、そういうわけでもありません。ですから、そうした特性を周囲が理解して、合理的配慮を受けられる環境であれば、でこぼこのある患者さんも他の人たちと一緒に社会生活を送っていくことができるのだということをぜひ知っていただきたいです。

研究を進める上では、患者さんごとに個別性の高い症状をどのように解析してまとめていくかという点で難しいところはあります。しかし、実際に患者さんがそうしたさまざまな症状で苦しんでおられるというのは事実なので、『こうした症状が出てくる可能性があって、それに対してこういう対応や支援の方法がある』という形で、ご自身や周囲の人々が症状と付き合っていくのに必要な情報を具体化していきたいと考えています。そうした指針を共有することで、社会を一歩ずつ変えていくことができるのではないでしょうか」

田畑 阿美(たばた あみ)

医学研究科 助教

2018年3月 京都大学大学院医学研究科博士後期課程 研究指導認定退学。2018年7月 京都大学博士(人間健康科学)取得。京都大学医学部附属病院 リハビリテーション部 作業療法士などを経て、2019年より現職。脳腫瘍を中心としたがん患者のリハビリテーションを研究しながら、社会復帰に向けた支援体制の構築をめざし、ピアサポートなど支援の場の環境整備にも取り組んでいる。

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