Behind Kyoto University's Research
ドキュメンタリー
Vol.38

子どものこころの発達を見守り、健やかな成長を支援する。「子どもが未来を選べる社会の実現:未来開拓学」

文学研究科 准教授
森口 佑介

くすのき・125

京都大学創立125周年記念事業の一つとして設立された学内ファンド*「くすのき・125」。このファンドは、既存の価値観にとらわれない自由な発想で、次の125年に向けて「調和した地球社会のビジョン」を自ら描き、その実現に向けて独創的な研究に挑戦する次世代の研究者を3年間支援するというものだ。
*「学内ファンド」とは、京都大学がめざす目標に向けて、京都大学が持つ資金を学内の教職員等に提供する制度のことです。

2021年に採択された文学研究科・森口佑介先生の研究テーマは「子どもが未来を選べる社会の実現:未来開拓学」。乳幼児期のこころの発達は、将来の収入や健康状態とも密接に関わっていることがわかっている。経済環境や家庭環境にかかわらずすべての子どもが健やかに成長し、望む未来を選択できる社会を実現するため、森口先生が取り組む研究とは? メッセージ動画とインタビューで伺った。

自制心の発達は、子どもの将来を左右する重要なファクター

まずは森口先生のご専門分野について教えてください。

「私は発達心理学という分野を専門にしています。赤ちゃんから小学校に入るぐらいまでの年齢の乳児、幼児、児童を対象にして、子どもたちが世界をどう見ているのか、もう少し具体的に言いますと、他者や自分自身をどう認識しているのかを明らかにするというのが大きなテーマになります。

その中でも、私の一番の研究テーマは『自制心』、つまり自分自身をコントロールする能力の発達についてです。生まれたばかりの赤ちゃんは我慢するということを知りませんが、小学生になる頃には多くの子どもは椅子にきちんと座って勉強できるようになります。自制心とは、未来の自分が得られる利益を予測し、その利益を得るために今何かを我慢する能力、と言い換えることもできるでしょう。そうした自制心がどのように発達し、どうして個人差が生じるのかを、脳の働きや、家庭環境、ジェンダーといった要素との関わりに着目して研究しています」

発達心理学のなかで、自制心はどのような位置づけになるのでしょうか。

「発達心理学では、これまで、子どもの能力の発達が将来の経済状況や健康状態にどう影響するかという研究が世界中でなされてきました。たとえば、子どものときのIQ(知能指数)と将来の収入の関係を示す研究データも報告されています。

その一方で、IQ以外にも重要なファクターがあるのではないかということで研究が進められ、浮かび上がってきたのが自制心でした。国外のデータにはなりますが、赤ちゃんから小学校に入るぐらいまでの間の自制心の発達が、将来の年収や職業、健康状態に影響しているという研究結果がたくさん出てきたのです」

自制心が子どもの将来を左右するひとつの要素になっているのですね。森口先生はどのような視点で自制心の研究に取り組まれているのですか?

「子どものこころの発達にはさまざまな社会的・文化的な要因が関わっていますが、私はそれらの根本にある生物学的な発達の仕組みを解明することが大切だと考えて、子どもの脳機能を長期間にわたって調査してきました。子どもは脳機能を測定するのが特に難しいと言われていて、世界的にも例の少ない研究だと自負しています。

これまで、大人を対象とした研究で明らかになった自制心を司る脳領域(外側前頭前野)に着目して、自制心が身につく前と後では脳領域にどのような変化があるのかを研究してきました。その結果、まだ自制心が身につく前の3歳では働いていなかった自制心を司る脳領域が、自制心が身につき始めると言われている4歳半ぐらいから働き始め、5歳ではしっかり働いていることをつきとめました。そして現在取り組んでいる研究では、子どもをとりまく環境が脳機能の発達に与える影響も重要なテーマになっています」

森口先生はいつごろから自制心というテーマに興味を持たれていたのでしょうか?

「私が中学生から高校生だった1990年代後半に、世間では酒鬼薔薇聖斗事件をはじめ若者による残虐な事件が相次いで起こりました。『キレる若者』という言葉が盛んに叫ばれた時代です。私自身は『キレる』ことはなかったので、事件を起こしてしまった人たちと自分とで何が違ったのだろうか、と素朴に疑問を抱きました。

当時は発達という言葉もよく知りませんでしたが、そうした背景にはこころの成長の問題があるのではないかと思って、心理学を勉強してみたいと考えるようになったんです。それ以来、ずっと同じ疑問を突き詰めていることになりますね」

お話を伺った森口佑介先生

自制心の健全な発達を支援することで、子どもの将来の可能性を育む。

くすのき・125では、125年後に実現させたい調和した地球社会のビジョンをお聞きしています。森口先生のビジョンとはどんなものでしょうか?

「子どもの発達やその将来に影響を与えるIQや自制心といった能力は、子ども自身が選びようのない家庭環境から大きな影響をうけていることがわかりつつあります。だから私は、子どもが生まれ育った環境によって将来の選択肢を狭められるようなことがない社会を実現したいと考えています。そのために、発達心理学の知見を社会に還元する新しい学問、いわば『未来開拓学』を創出したいというのが、私のビジョンです。

こうした社会を実現するために、研究と実践の2つの取り組みが必要だと考えています。まずは基礎研究で、子どもの未来に影響を与えうる発達上の要因を明らかにし、そうした発達の個人差がどんな環境の違いから生じるのかというメカニズムを解明することが必要です。同時に、自制心やあるいはこれから明らかになってくるであろう要因に問題を抱えている子どもたちに対して、問題を改善できるように支援する仕組みづくりも行っていくつもりです」

家庭環境にもさまざまな側面があると思いますが、自制心の発達に影響するのはどのような側面でしょうか?

「まずは経済的な側面です。一般的に、家庭が経済的に不安定だと、それだけ子どもがストレスを受けやすい傾向にあるといわれています。貧困が要因のひとつとされる児童虐待は、子どもにとってストレスの最たる例ですね。もちろんこれは割合の問題で、すべての家庭に当てはまるわけではありませんが、ストレスを慢性的に受けやすい環境では、子どもの自制心の発達に悪影響が生じることがわかってきました。自制心を司る外側前頭前野はゆっくり時間をかけて成長する部位のため、慢性的なストレスの影響が蓄積されやすいのだろうと考えています。

一方で、親子の間に親密な関係があることが自制心の発達を助けることもわかってきました。たとえ経済環境が悪くても、親子関係が良好な家庭では自制心は健全に育まれますし、経済的に余裕がある家庭であっても親子の関係が希薄だとネガティブな影響が現れます。また、親が子どもに関わるのが難しい場合には、保育園や学校の先生など周囲の大人が積極的に接することで発達が改善されることもわかっています。この点は支援を考える上で重要なポイントになります」

経済環境が間接的に自制心の発達に影響しているならば、貧困の連鎖という問題にも関わってきそうですね……。自制心のほかにも注目されている能力はありますか?

「自制心の他に注目しているのは、思いやりの能力です。向社会性、利他性ともいいますが、たとえばお弁当を忘れた子に自分の分を分けてあげるなど、他人に親切にできる能力ですね。こうした行動はその場では損をしているように見えますが、長期的に見れば相手との良好な関係性を維持するというメリットにつながります。実際、思いやりが備わっていると先々の人間関係が円滑になり、将来的に成功しやすいというデータもあります」

自制心も思いやりも、未来のことを見据えて自分を抑えるという面が共通しているように思います。

「おっしゃるとおりで、人がうまく社会に順応していくためには両方の能力が必要です。逆に、どちらの能力にも問題を抱えた子どもはかなり心配ですね。思いやりのこころを育むのにも、自制心と同じく親子の親密な関係が大切です。きちんと世話をされているという感覚が『自分の行動に対して相手は応えてくれる』という他者への信頼感、ひいては自分と他者との関係のなかで未来を予測する能力につながるからです。周囲の人間との信頼関係を築いていくことができれば、自制心も思いやりも健全に育むことができます」

自制心や思いやりの発達には様々な要因が関わっているが、健全な発達には周囲の人との信頼関係が欠かせない

自制心の発達の解明に欠かせない長期の追跡調査

実際にはどんな方法で研究をされているのでしょうか?

「何種類かあります。1つは、京都大学周辺で小さいお子さんのいるご家庭に呼びかけて実験参加者のデータベースに登録いただき、学内の調査室で調査にご協力いただくというものです。調査の内容は、親子で遊んでいるときの行動や表情のやりとりを調べたり、モニター上に映し出された映像に対する反応を記録したりといったものです。他にも、京都大学周辺だけではなく、共同研究をしている先生方のデータベースでも研究を行っています。さらに、参加者を募るだけですと数が限られてくるので、近隣の保育園などに出向いて、園や保護者の方の許可をいただいた上で調査させていただくこともあります。

調査は一度で終わるわけではなく、ご協力いただける範囲で可能な限り追跡調査をさせていただきます。長期間追跡することで、発達の特徴と健康状態や就職・進学状況との関係性をデータとして示すことができると考えています」

継続して調査するのは、重要なこととはいえかなり大変そうですね。

「はい、年齢が上がるにつれてご家庭やご本人の事情も変わってくるので、継続してご協力いただくのはなかなか難しいです。継続して参加していただきやすい仕組みづくりが今後の課題です。

また、これは私に限らず長期に渡る研究全般の課題ですが、継続的に研究資金を確保することも簡単ではありません。どこかで資金が尽きて研究がストップしてしまうとデータに穴が空いてしまいますから、そうならないように、くすのき・125の資金も大切に使わせていただきます」

くすのき・125の3年間ではどのように研究を進められるのでしょうか?

「基本的にはこれまでの研究を途切れさせずに続けるということになります。共同研究になりますが、10年ほど前に、全国の幼児期の子ども100人ほどを対象として始めた追跡調査があり、この調査の動向に注目したいと考えています。なぜかというと、海外の研究で、幼児期から青年期までの発達を追うと中学生、高校生ぐらいの年齢で一時的に自制心が機能しなくなるという報告があるのです。この現象が日本の子どもたちでも観察できるかどうか、ちょうどこの3年間がその追跡調査の子どもたちの青年期にあたるので、検証したいと思っているんです」

いわゆる反抗期にも自制心の低下が関わっているかもしれない、と考えると興味深いですね。これから新しく取り組まれることは何かありますか?

「実は現在、いくつかの自治体とともに、保育園や小学校、中学校に通う子どもたちを対象に数千人単位の大規模な調査を行っています。長期的な追跡調査につながれば学術的に大きな意味があります。それに加えて、協力してくださる自治体やご家庭にとっても意義のあるものにするため、調査の結果をなんらかの形でフィードバックすることを考えています」

なんと、すごい規模ですね!

「対面で脳活動を測るような調査が可能ならばそれに越したことはないのですが、対面で多数の人を対象に調査をするには、どうしてもマンパワーが足りません。そこで情報系の先生とも協力して、オンラインのツールを活用して目の動きや表情などから発達状況を測定する方法を検討しているところです」

大規模な調査方法が確立できれば、ビジョンの実現に向けて大きな一歩になりそうですね。

すべてのこどもが自ら未来を選べる社会へ

今後、研究を社会実装につなげるためにはどんな仕組みが必要になるでしょうか?

「それが今後一番に考えていかなければならないことだと思います。たとえば自治体単位で、園や学校で行う定期健診と同様にこころの発達の検査を行い、リスクがある子が見つかった場合に、保護者に対してアドバイスをするという仕組みがありえます。ただ、家庭に直接介入することはなかなか難しいかもしれませんので、その場合は、保育園や学校の先生を巻き込んで、家庭の外の環境で子どもを支援できる体制を作っていくというのもひとつの考え方になるでしょう。

とはいえ、どんな方法でも全体をカバーするのは難しいので、取り残される子を出さないためには、ひとつのやり方だけではなくマルチに取り組んでいくことが重要になりそうです」

家庭の問題にするのではなく、社会全体で子どもを育てるという視点も大切になりそうですね。最後に、先生ご自身の研究としては、この先どのような展開を考えていらっしゃいますか?

「私の研究のめざすところは、一人でも多くの子どもが自分の力で幸せをつかめるように障害を取り払うことです。ですが、幸せのありようは必ずしも経済的な成功だけではないかもしれませんし、そもそも自制心をどう捉えるかについても、さまざまな背景を考慮しなければなりません。

たとえば、小さい子どもの前にマシュマロをひとつ置いて、食べるのを10分我慢すればふたつ食べていいというシチュエーションで我慢ができるかどうかを見るマシュマロ・テストという実験があります。欧米の子どもでは我慢できる子とできない子に分かれるのですが、日本の子どもはみんなで揃って「いただきます」をして食べ始める習慣があるため、がまんがそれほど難しくありません。この結果は、どんな場面で自制心が発揮されるかが文化的背景に影響されることを示しています。

一口に自制心と言っても、文化に依存する部分と、脳の機能構造のように文化を超えて普遍的な部分があります。このことを踏まえて、今後は文化を考慮した支援のあり方を考えることも必要になってくると考えています。

また、子どもの未来を支援するうえで自制心という要素にどれだけ普遍性があるのか、あるいは、経済的な成功だけではない幸福の価値観にはどんなものがありうるかといった問題を、たとえば文化人類学者の先生と協力して探究していくのも面白いかもしれませんね」

森口 佑介(もりぐち ゆうすけ)

文学研究科 准教授

2008年 京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。上越教育大学学校教育研究科・講師、同准教授、JSTさきがけ「脳情報の解読と制御」研究者(兼任)などを経て、2016年に京都大学大学院教育学研究科に着任。2020年より現職。専門は発達心理学。乳幼児の認知的世界が成人のものとどのように異なるのかに関心を持ち、主に自制心や思いやりといった能力の発達について研究している。

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