自然免疫システムと遠隔転移の関係を究明し、人々が安心してがん治療に向き合える未来へ「がんの遠隔転移は予防できるのか?」
医学部附属病院 放射線部 助教
中島 良太
白眉センター 特定准教授
中村 秀樹
京都大学創立125周年記念事業の一つとして設立された学内ファンド*「くすのき・125」。このファンドは、既存の価値観にとらわれない自由な発想で、次の125年に向けて「調和した地球社会のビジョン」を自ら描き、その実現に向けて独創的な研究に挑戦する次世代の研究者を3年間支援するというものだ。
*「学内ファンド」とは、京都大学がめざす目標に向けて、京都大学が持つ資金を学内の教職員等に提供する制度のことです。
2022年度に「『細胞内マイクロ建築学』の創成」というテーマで採択された白眉センターの中村秀樹先生は、さまざまな分子や構造体が動き回る細胞構造をひとつの社会に見立て、その内部を自在にデザインする技術を研究している。生命現象への理解を深め、病に対抗する新たな戦略にもなりうるという研究内容について、メッセージ動画とインタビューで伺った。
先生のご専門分野について教えてください。
「私の専門は合成生物学、英語ではSynthetic Biology(シンセティックバイオロジー)という分野です。伝統的な生物学は、生きているものやその内部にある分子のあるがままの姿を観察・解析するというアプローチで発展してきました。これに対して、ここ20年ほどで新しいアプローチの研究が発展してきています。それが合成生物学と呼ばれる分野で、対象を人工的に操作したり、その一部をデザインしたり、外部から能動的に働きかけることによって生命を理解しようとするものです。
正確に定義することは難しいのですが、物理学者のリチャード・ファインマンが遺した『What I cannot create, I do not understand.(つくれないものは理解できない)』という言葉を借りて、合成生物学は『つくることで生命現象を理解する』ことをめざす学問だと説明されます」
生命をつくる、デザインするとお聞きして、遺伝子操作がまず思い浮かびました。
「それも合成生物学のアプローチの一つですね。各国で事情が異なっていて、日本の合成生物学においては、生命を構成する分子を集めてきて合成することで生命を模倣したものをつくるアプローチが主流になっています。分子というベーシックな階層から組み立てることによって生命を理解しようとする、ボトムアップ型のアプローチです。海外ではこれに加えて、生物のゲノムを操作することで、どの生命機能がどんなゲノム情報に基づいているかを明らかにする方法も盛んに追求されています。生きているものを実験・研究の場としてその機能を操作・デザインしながら理解を深める、トップダウン型のアプローチですね。
私のアプローチもトップダウンではあるのですが、ゲノムを操作するわけではありません。ゲノム操作はいわばタンパク質の設計図を書き換える技術で、書き換えてから実際にタンパク質が生成されるまでには少なくとも数時間から一日ほどの時間がかかります。そのためこれよりも短い時間で起こる現象を操作することはできず、したがって解明できることも限られてきます。そこで私は、細胞内にすでにある分子に直接手を加えることで、リアルタイムで起こっている現象を自在に操作・デザインできるような技術を確立したいと考えています」
細胞内の分子を操作することで、どんなことを明らかにしようとされているのでしょうか。
「細胞は生命の最小単位と言われますが、さらに細かく見ていくと細胞の中ではタンパク質などさまざまな機能をもつ分子が働いています。多細胞生物、とくに私の研究している哺乳類の細胞では、タンパク質は細胞内に均一に閉じ込められているわけではありません。ある機能をもつタンパク質はある場所に集中しているというふうに、細胞全体を俯瞰するとそれぞれの場所ごとに異なる機能のタンパク質が分布しているんです。この様子は人間の社会によく似ています。たとえば、私たちの暮らす都市は、ものを輸送する鉄道や道路、エネルギーを生産する発電施設といったインフラストラクチャーが正しく配置されることで全体として社会機能が維持されています。細胞も同じで、構成要素が正しくオーガナイズされることで生命機能が維持されている。違うのは、その社会をつくって動かす主体も、構成要素も、すべてがタンパク質などの分子であるということです。
しかも、これらのタンパク質の多くはブラウン運動によって細胞内を素早く動き回っていて、おおよそ1分間もあれば細胞内を一巡りしてしまいます。ひとつひとつは動き回りつつも、全体として見ると必要な場所に必要なタンパク質が集まって機能を果たしているのです。このシステムがどのように成り立っているのかを明らかにすることこそが、生命現象を理解する上で重要な鍵になると私は考えています。
そのためにはまず新しいツールが必要です。これまでの技術でもタンパク質の動きを観察することはできますし、タンパク質それぞれの機能を知ることもできます。しかし、ある場所にタンパク質が集まることの意味となると、観察するだけでは見えてきません。外からタンパク質を操作して、細胞内にバラバラに存在している状態と任意の場所に集まっている状態をつくり、働きに違いが出るかを比較する必要があります。このように、細胞内のインフラストラクチャーをつくったり、壊したり、つくりかえたりと自在に操る技術があってはじめて、生命機能の根幹をなす細胞の中の社会の成り立ちをひとつひとつ検証することができるのです」
くすのき・125では、125年後に実現させたい調和した地球社会のビジョンについて伺っています。中村先生のビジョンについて教えてください。
「『細胞内マイクロ建築学』、つまり細胞内のインフラストラクチャーを自在にデザインする学問領域を打ち立てることで、さまざまな疾病に対する新たな治療アプローチを開拓したいと考えています。
病気にはさまざまな治療法がありますが、成功を収めているアプローチのひとつに「分子標的薬」があります。これは簡単に言えば、異常に働きすぎているタンパク質に対して、その働きを止める物質をくっつけてやるというアプローチです。これを人間社会に置き換えるならば、ある職業の人たちが仕事を頑張りすぎているので、その人たちにだけ休んでもらうことで全体のバランスを整えるようなことです。ですが日常の感覚で考えると、特定の職業の人が仕事を休むことで解決する社会問題は極めて限られていますよね。そこでインフラストラクチャーそのものを整備することができればどうでしょうか。新しい機能を持った場所をつくったり、過剰になっているところを減らしたりすることで、もっと根本的に問題を解決できるかもしれません。同じように、細胞の社会でもタンパク質ひとつひとつを狙うのではなく細胞内のインフラを変える手法を取り入れる、すなわちこれまで成功を収めてきたアプローチと合成生物学的アプローチを組み合わせることで、人類が病気と戦ううえでの選択肢を格段に増やすことができるはずです」
たとえばどんな病気への効果が期待できるのでしょうか。
「代表例はウイルス性の感染症です。ウイルスは宿主の細胞に感染してそのシステムを乗っ取って増殖するのですが、多くのウイルスは、宿主の細胞内にはなかった構造をつくり、その中で増殖することが知られています。ということは、その構造をつくれないように細胞内をデザインすれば、ウイルスの増殖を未然に防ぐことができるでしょう。
細胞内に余計なものができてしまう病気は他にもあります。アルツハイマーやパーキンソン病といった神経変性疾患は、神経細胞の内外に分解できないタンパク質の塊が蓄積し、神経細胞が死んでいくことで進行します。タンパク質が集まってできる塊は最初は柔らかくて分解することもできるのですが、それがだんだん凝集して分解できない状態になり、毒性を発揮すると考えられています。厄介なのは、原因となるタンパク質がいつから蓄積しはじめるのかがわからず、先ほど説明したような、働きすぎているタンパク質もないということです。現在の医学では、発症してから病状の進行を遅らせることが精一杯という状態です。そこでたとえば、タンパク質が集まるときの条件をデザインして、凝集する前に自動的に分解する、あるいは凝集し始めるとその都度勝手にバラバラになるように工夫してやれば、発症を食い止められるようになるかもしれません。
このように、細胞内を直接デザインする技術を応用すれば、今まで有効な治療法が存在しなかった厄介な病気を治すことや、予防することも可能になると考えています」
ビジョンの実現に向けて、実際に取り組まれている研究について教えてください。
「神経変性疾患を引き起こすタンパク質は水に浮かべた油の雫のような、ふよっとした柔らかい状態で動いて周囲から分離した塊をつくります。こうした細胞内での分離は専門的には『相分離』と呼ばれ、近年注目されています。私もこの現象に着目し、そうした構造体を人工的につくったり、壊したりする技術を開発しました。この研究を発展させていけば、治療法への応用につながる可能性があります。しかし、細胞内にはそのほかにもさまざまな姿かたちの構造体があるので、1種類の塊をデザインできるだけでは技術として不十分です。くすのき・125ではその次の段階として、細胞の外からの操作によって細胞内に自由な形の構造体をつくることをめざしています」
箱に入ったブロック玩具を外から組み立てて思い通りの形をつくるようなものでしょうか。そんなことが可能なのでしょうか?
「ベースになるのは2種類のタンパク質をくっつける技術です。これには光刺激に反応するタンパク質を使う方法や化合物を使う方法などがありますが、ここではより扱いやすい光を使う方法を説明しましょう。
まず、光を当てると互いにくっつくように細工を施したタンパク質AとBを用意します。例えば、細胞膜上にタンパク質Aを配置して、もう一方のタンパク質Bは細胞内全体に分散させておきます。この状態で細胞膜に四角形の光を当てると、その部分だけAとBがくっつくので、細胞膜上に四角形になるようにBを集めることができるのです。これだけでは光を消すとまた分散してしまうので、もうひとつBに仕掛けを施します。それは、密度が高い状態のまましばらく置いておくことで、B同士が手をつなぐように結合して塊をつくるという仕掛けです。
特定の機能を持ったタンパク質を、光を使って任意の場所に集めて、ゆっくりとつなげる。このような要素技術の組み合わせによって、思い通りのかたちのタンパク質構造体をつくることができるはずです。ちなみに、光に反応するタンパク質は主に植物細胞に由来するもので、通常の動物細胞に含まれるタンパク質は光の影響を受けません。なのでこの方法は、デザインしたタンパク質のみに作用し、動物の生体内にあるタンパク質の機能を邪魔しないという利点があります」
細胞内に自由な形の構造体をつくれたとして、その技術を使うことでどんなことができるようになるのでしょうか。
「まず、自由な形の構造体をつくること自体が技術的なデモンストレーションになります。たとえば細胞の中に仕切りをつくって、毒性のあるものを閉じ込めてしまうというような使い方もできるでしょう。また、細胞内の動きや力を操作するのにも使えるのではないかと考えています。細胞の表面を押すことで外側から力をかけるのは簡単ですが、細胞の中にあるものに直接力を加えて動かす技術はこれまであまりありませんでした。先ほど構造体をつくったり壊したりする技術を開発したというお話をしましたが、実はこの技術、最初はこの『細胞の中のものを押す』ためにつくったものだったんです。これがそのまま、細胞内のインフラストラクチャーをデザインする際にも使えると考えています。
生体内には、たとえば免疫細胞のように活発に動き回っている細胞があります。これらの細胞は、細胞膜のすぐ内側に張り巡らされているアクチンというタンパク質が紐状に伸びていく際に、細胞膜が内側から押されることで移動が可能になっていると言われています。この仕組みを利用して、動かしたい構造体の近くに光を使ってアクチンの伸びる作用を促進するタンパク質を集めてやると、その構造体を押して動かすことができるでしょう。ここで難しいのが、押す力の向きをコントロールできないということです。たとえばこの方法で球体を押しても、球体全体に力がかかり、たまたま力が強く働いた方向に細胞が動いてしまうでしょう。ですがたとえば手裏剣のような対称ではない形をつくれるならどうでしょう。押す力を受け流す方向に回転しそうだと予想がつきますよね。このように、押す力と受け止める構造体の形状さえコントロールできれば、回転運動や並行運動がつくれるはずです。それをさらに組み合わせていけば、細胞内に意図した動きをつくりだす機械をつくることもできそうですよね。
こうして細胞内でできることをひとつひとつ増やしていかなければ、何ができるのかという想像すらつきません。ひとつひとつは用途のわからない技術でも、点と点とがつながることで可能性が拓けると信じて研究に取り組んでいます」
細胞の中に機械をつくることができるとすれば……生命の常識が覆りそうです。くすのき・125の採択期間中は、どのように研究を進められるのでしょうか。
「光を使ってタンパク質を集合させる技術と、集めたタンパク質をゆっくりつなげる技術、この2つを並行して進めます。1つ目の集合させる技術については、光に反応して結合するタンパク質がすでにいくつも知られているので、私は光を照射するタイミング、強さ、形を自由に操作できるようにブラッシュアップしていきます。通常、細胞に光刺激を与えながら観察するためによく使われているのは共焦点顕微鏡なのですが、これは細いレーザー光線が移動しながら対象の形をとらえる仕組みのため、一度に広範囲に任意の形の光を当てるということができません。そこで、光を自由な形に反射できるデジタルミラーデバイスという装置と光学顕微鏡を組み合わせ、照射用と観察用の2種類の波長の光を取り入れることができるシステムをつくりました。二段になった顕微鏡の一段目からデジタルミラーデバイスで任意の形の光を細胞に照射し、二段目から観察用の光を取り入れるという仕組みでこの課題を解決しようと取り組んでいます。もうひとつのタンパク質同士をつなげる技術も、複数の方法を試しながら足りない部分を補完していこうとしているところです。
両方の技術を一定の水準以上に高めることができてはじめて、自在な形の構造体をつくることができるようになるというわけです」
最初に「つくることで理解する」のが合成生物学だと伺いましたが、中村先生の考えていらっしゃる研究のゴールについてお聞かせください。
「ひとつのゴールを見定めているわけではありません。生命とは何か、生きているとはどういう状態なのか……そうした問いについて自分が“ピンとくる”瞬間を求めて研究しています。ある課題でこういう結論を出した、という論文を出して認められることも重要です。しかし、誤解を恐れずに言うなら、他の人に認められるかどうかは“ピンとくる”かどうかとあまり関係ないと思っています。生命というものをいろいろな角度から研究して、それを自分のなかで総合したときに、『ああ、生命はこうやって動いているのか』と腑に落ちる瞬間が来れば、それが私にとってのゴールなのでしょう。
私はもともと生命の最小単位としての細胞に興味があり、まずは細胞内の分子のブラウン運動を解明しようと非平衡物理学から生物学の道に入りました。そのうちに動きを解析するだけでなくコントロールできるようになればいいのではと考えるようになり、分子生物学の研究室を経て、最終的に出会ったのが合成生物学でした。これまでにたどってきたさまざまな専門分野の知見を総合して、最終的に自分が納得できる答えにたどり着くこと。私にとってその一番の方法が、対象を分解したり、部品をつついて動かしてみたりしながら意味を理解するということなのです。
もちろん、研究成果を社会に還元することも重要な役割です。人の病気を治すという大きなビジョンを達成するまでの道程のどこかに、自分が“ピンとくる”瞬間が転がっているのではないでしょうか」
白眉センター 特定准教授
東京大学大学院理学系研究科 修了。理化学研究所、早稲田大学に勤務し、2014年よりジョンズ・ホプキンス大学留学。2019年に京都大学に着任し、2021年より現職。非平衡物理学、分子生物学といった分野を経験し、現在の専門は合成生物学。生きた細胞内のタンパク質を「操る」技術を基盤に、生命現象を理解することをめざしている。