Behind Kyoto University's Research
ドキュメンタリー
Vol.54

物質の構造の歪みや乱れに着目し、元素の潜在能力を引き出す。 「『乱雑さ』の科学から生まれる新しい物質開発」

理学研究科 助教
向吉 恵

くすのき・125

京都大学創立125周年記念事業の一つとして設立された学内ファンド*「くすのき・125」。このファンドは、既存の価値観にとらわれない自由な発想で、次の125年に向けて「調和した地球社会のビジョン」を自ら描き、その実現に向けて独創的な研究に挑戦する次世代の研究者を3年間支援するというものだ。
*「学内ファンド」とは、京都大学がめざす目標に向けて、京都大学が持つ資金を学内の教職員等に提供する制度のことです。

2022年度に採択された理学研究科の向吉恵先生が挑戦するテーマは、「『乱雑さ』の科学から生まれる新しい物質開発」。民間企業での経験から着想を得た、“乱れ”や“歪み”に着目する新しいナノ材料の可能性とは? メッセージ動画とインタビューで伺った。

想像以上にカオスな工業用触媒に触れ、「乱雑さ」の可能性を探究する研究の道へ

まずは向吉先生のご専門について教えて下さい。

「専門は無機化学で、そのなかでも主にナノ材料の研究をしています。現在とくに注力しているのが、きれいな結晶構造ではなく、構造に“歪み”や“乱れ”のあるナノ粒子をつくることです。そうした構造がナノ粒子の物質としての性質、すなわち物性にどのような影響をおよぼすのか、また触媒として利用する際にはどのように働くのかを明らかにすることをめざして研究に取り組んでいます」

きれいな構造のほうが触媒としての品質が良いのではないかと考えてしまいますが、なぜ歪みや乱れに注目されたのでしょうか?

「はい。現在のポストにつく前、民間企業に勤めていたときの経験がきっかけでした。学生の頃、私はもっぱら錯体と金属ナノ粒子の合成に取り組んでいて、その時点ではつくったものが触媒としてどのように使われるのかまではあまり意識していなかったんですね。就職してはじめて実際に触媒を扱うようになったときに、実用の観点からしかわからないことがいろいろあるということに気がつきました。そのひとつが、工業用触媒の乱雑さです。

大学で合成・解析する触媒は、基本的には粒の揃った、構造的にもきれいに整ったものばかりです。それに対して、民間で実際に使われている触媒を見てみると、大きさがバラバラだったり、構造的にも歪んでいたり、想像以上に乱雑だったのです。工業用触媒はこんなにもカオスなのかと衝撃を受けました。考えてみれば当たり前で、大学の研究室とは違い実用ではあくまで量産しやすい手法を取るので、たとえ粒が揃っていなくても性能上問題無ければそれが最適解なのです。けれども、そうした乱雑さが実際の触媒の性能にどう影響しているのかをきちんと解析した例はほとんどありませんでした。

このことに気づいて、もう少し基礎のアプローチからやりなおしたいなと思っていたちょうどそのときに、指導教官だった北川宏先生からお声がけをいただき、京都大学に戻って来ることになったんです」

向吉先生が着目されている乱雑さとはどういうことなのでしょうか。もう少し詳しく教えてください。

「粒子の大きさのばらつきなども乱雑さといえますが、私が研究対象としているのは物質そのものの乱雑な構造、『アモルファス構造』というものです。

固体の構造は、大雑把に言いますと『結晶』か『アモルファス』かに分類することができます。結晶とは、同じ大きさのボールを箱の中にきれいに並べたように、原子や分子が繰り返し規則正しく並んでいる構造を指します。それに対して、結晶ではない不規則な構造のことをアモルファス構造と呼びます。有名なのはガラスですね。そのほかでは、酸化した金属の表面だけがアモルファス構造になっている場合もあります。

結晶については解析手法が確立されていて、原子がどのように並んでいて、その構造と物性がどう関係しているのかといったこともよく研究されています。ところが、アモルファス構造については有効な解析手法がいまだ確立されていません。そのため、工業用触媒をはじめ実用化されている材料に多く含まれているにもかかわらず、研究対象としては手つかずのまま放置された存在だったのです。私が研究をはじめたのは、そんな未開拓の領域に可能性を感じたからです」

原子が規則的に並んでいて乱雑さが全くないものが結晶(左端)、少しでも乱雑なものがアモルファスと呼ばれる。通常は「アモルファスか、そうでない(結晶)か」の解析にとどまっており、詳細な構造については未解明な点が多い

希少な元素の力を最大限に引き出し、調和した世界を実現したい

くすのき・125では、125年後に実現させたい調和した地球社会のビジョンについて伺っています。向吉先生のビジョンをお聞かせください。

「『乱雑さ』の科学を開拓することによって、資源供給の状況に左右されない平和で豊かな社会を実現したいと考えています。

人間はこれまでにさまざまな元素を発見し、利用してきました。その中には扱いやすく有用な元素もあれば扱いにくい元素もありますが、それぞれの元素の埋蔵量には限りがあり、その偏りが国と国との争いのもとになってしまうこともしばしば起こっています。また逆に、戦争によってこうした資源の利用が阻まれることもあります。工業用触媒にも使われるパラジウムはロシアで多く産出されますが、ロシアによるウクライナ侵攻の影響で輸出が制限され、世界の産業に打撃を与えました。

そこで私は、それぞれの元素のもつ力を最大限に引き出せるような技術を開発することが必要だと考えました。貴重な元素がごく少量で従来以上の働きを発揮できるようになったり、これまで扱いづらいとされていた元素が簡単に扱えるようになったりすれば、限りある元素を持続的に利用し、資源を巡る争いを防止することにもつながるでしょう。私は物質の構造という観点から研究を進め、その助けになることができればと考えています」

同じ元素であっても、構造が変われば今以上の力を引き出すことができる可能性があると。そんな構造として注目されているのがアモルファスの「乱雑さ」なのですね。

「そのとおりです。ここでは無機触媒について考えてみましょう。触媒となる物質は、多数の原子同士が手をつなぐように結合して立体構造をつくっていますが、触媒として作用するのはその表面だけです。原子同士の結合に使われていない“手”が表面に露出していて、基質となる分子にはたらきかけて化学反応を助けるのです。

原子同士が規則的に結びついている結晶構造の場合、原子の並び方に応じて触媒表面に露出する手の数や原子同士の距離が決まることで、この分子にだけ反応する、この分子には反応しないといったような触媒としての反応性や選択性も決められることが知られています。ある種の法則性とも言えるような構造の特性を利用して、これまでにも、結晶の範囲内でどのように材料の構造を最適化していくかという研究はなされてきました。

一方、アモルファス構造についての研究はまだまだ少ないのですが、一般的な仮説としては、結晶よりも触媒としての性能が上がるのではないかと言われています。原子間の結びつきや距離が不規則なため、結晶構造では働かなかったような分子に対しても働きかけることができると考えられるからです」

結晶は原子の規則的な配列によって触媒性能が決まっているのに対して、アモルファスは配列が不規則ゆえに、結晶と同じ元素でさらなる触媒性能を引き出せる可能性がある

白金族をターゲットに、アモルファス構造と物性の関係を探求する

研究手法が確立されていないなか、向吉先生はアモルファス構造にどのようにアプローチしておられるのでしょうか。

「実はこれまでにも、結晶構造とアモルファス構造で触媒の性能に差が出ているという報告は上がっています。しかし、具体的にどの程度の“乱れ”や“歪み”が性能にどのように作用しているのかまではよくわかっていません。私はこの構造と物性の結びつきを明らかにしたいと考えています。

くすのき・125では白金族系、つまりパラジウム、白金、ルテニウム、ロジウム、オスミウム、イリジウムの6種の元素に対象を絞って、単成分でアモルファス構造をもつ粒子の合成と解析に取り組みます。白金族系は触媒によく使われるほか、装飾品としても利用される希少な金属群です。一般的に単成分の物質はアモルファス構造をとりづらいとされていますが、それに加えて白金族は結晶構造が非常に安定なためアモルファス構造に関する先行研究が少なく、新しいものづくりという意味でもチャレンジングな対象として選択しました」

採択期間の3年間、どのようなステップで研究に取り組まれるのでしょうか?

「今はまさにアモルファスな白金族ナノ粒子の合成に取り組んでいるのですが、これがなかなか一筋縄ではいきません。結晶の場合は小さな核が成長していくことで規則正しい構造ができるのですが、アモルファス構造を意図的につくるには、その成長速度を上回る速さで粒子化させなくてはなりません。こうした方法として、低温状態やレーザーを利用した合成法にチャレンジしています。またその他には、もとの元素と混ぜるとアモルファス構造をつくりやすい元素があるので、そうした元素と白金族元素とを混ぜてアモルファス構造をつくって薬品で不要な成分のみを取り除く方法や、アモルファス構造になりやすい元素のみで粒子をつくり、表面に白金族の層を乗せてアモルファスにする方法などもあります。これまで培った知見を総動員して、合成の突破口を見出したいところです。

合成に成功したものから、次々と解析に入っていきます。解析に関してはひとつ試してみたい手法があります。それは、1個の原子を中心に置いて、その周囲に何個、どれくらいの距離に原子が分布しているかを平均値として出す方法です。この方法であれば不規則なアモルファス構造を部分的にではありますが定量化して捉えることはできるので、そこから実際に物性との関連を見出していきたいと考えています」

合成と解析ができれば、その次は社会実装につながっていくのでしょうか。

「そう考えています。すでに社会実装されているアモルファス構造の材料としては、東北大学などが開発した『金属ガラス』がよく知られています。これは3種類以上の金属からなる合金で、強い耐久性などユニークな特徴をもち、さまざまな用途に使われています。このように、複数成分を混ぜるとアモルファス構造になりやすいということは経験則としてよく知られているのですが、私が挑戦しているのは、それをあえて単成分で生成するというハードルの高い課題です。周囲からは『無理じゃない?』と心配されることもありますが、成功すれば他に例のないものになるでしょう。

単成分のアモルファス構造は材料として新しいだけではありません。その解析手法を確立し、アモルファス構造の作用原理を解明することができれば、さまざまな材料の解析に応用できると考えています。これまでは乱雑さゆえに解析の手立てがなかった工業用触媒をはじめ、すでに使われているアモルファスな材料が実際にどのように生産性に影響しているのかを検証することも可能になるでしょう。研究で得られた合成や解析の手法が社会のいろいろな場面に広がっていくと嬉しいですね」

難しいからこそ挑戦のしがいがあるテーマですね。最後に、今後のビジョンや目標を教えてください。

「大学で研究者としてのキャリアを歩むことを選択したので、学生を含めいろいろな人と一緒に面白い発見をしていくような研究者になりたいです。それと並行して、やはりアカデミアと民間企業の両方を経験したことが私の強みでもあるので、大学の基礎研究と実社会との間をつないでゆく研究にも取り組んでいきたいと思っています。教育と産業界、両方に貢献できれば、これほど嬉しいことはありません」

研究室の学生と研究に取り組む向吉先生

向吉 恵(むこよし めぐみ)

理学研究科 助教

京都大学大学院理学研究科修士課程修了後、昭和電工株式会社(現:株式会社レゾナックホールディングス)、ダイキン工業株式会社での研究職を経て2022年に同研究科 特定助教に着任。2023年より現職。専門は無機化学。民間企業での経験からナノ材料のアモルファス構造に興味を持ち、白金族元素を対象にアモルファス構造とその物性の関係を明らかにすることをめざして研究に取り組んでいる。

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