Behind Kyoto University's Research
ドキュメンタリー
Vol.55

小さな木片を通じて古代の人々の心に寄り添い、その息遣いを未来に届ける。「東アジアの木彫像の用材をめぐる学際融合研究」

生存圏研究所 講師
田鶴 寿弥子

くすのき・125

京都大学創立125周年記念事業の一つとして設立された学内ファンド*「くすのき・125」。このファンドは、既存の価値観にとらわれない自由な発想で、次の125年に向けて「調和した地球社会のビジョン」を自ら描き、その実現に向けて独創的な研究に挑戦する次世代の研究者を3年間支援するというものだ。
*「学内ファンド」とは、京都大学がめざす目標に向けて、京都大学が持つ資金を学内の教職員等に提供する制度のことです。

2022年度に採択された生存圏研究所の田鶴寿弥子先生のテーマは「東アジアの木彫像の用材をめぐる学際融合研究」。さまざまな学術分野の専門家とともに、東アジアで木彫像に使われている木材の樹種を調査し、その歴史や文化を紐解くことで古代の人々の心に迫るという。各時代、各地域で木彫像に選ばれてきた樹種を知ることで、見えてくるものとは? インタビューで伺った。

文化財に選ばれた樹種を同定することで、人々の木への想いを推測する

まずは、田鶴先生のご専門分野について教えてください。

「私が専門としているのは、木材解剖学です。この学問では、顕微鏡などを使って木材の組織を観察し、樹種を同定することを主な目的としています。たとえば広葉樹にはある道管が針葉樹にはないなど、木材を構成している組織や細胞は木の種類によって違いますし、同じ広葉樹であっても、樹種によって道管の並び方や数、大きさなどが異なります。そんなわずかな違いや特徴を見つけて樹種を絞り込んでいくのです。私たちの身の回りにはいたる所に木材がありますが、中でも歴史的な建造物や木彫像などに着目し、国立博物館の修理所をはじめとしたさまざま機関から依頼を受け、どういった樹種が選ばれてきたのか調査する研究を進めています」

材鑑調査室。京都大学木材研究所、木質科学研究所、生存圏研究所へと引き継がれてきた貴重な木材標本を管理している

文化財に使われている木材は、具体的にどうやって観察されるのでしょう。

「私の場合、数 mmほどの木片を木口・板目・柾目の3方向に手で薄くスライスしたものを顕微鏡で観察します。センチ単位の大きさがあればいいのですが、そんなに大きなサイズをご提供いただけることはほとんどありませんので、自分の指まで切ってしまわないよう慎重にスライスしなければなりません。いざ顕微鏡で見てみても、樹種同定できないこともあります。例えば古い木片の場合、木材組織が劣化していることも少なくなく、樹種の判断が難しくなることも多いです。

これは責務ある仕事なので、プレッシャーは大きいです。時代を超えて伝わる木製の文化財や美術品、建造物は、たくさんの人の手によって材料が選ばれ、心を込めてつくられ、守られてきました。それらに使われる樹種には、扱いやすさや頑丈さなど物質的な理由だけではなく、人が木とともに歩んだ歴史や環境、そして木に対してもっていた信仰や思想までも照らす情報が含まれています。古代の人々の木に対する思いを正しく理解したいと思う一方、樹種同定は非常に難しいことも多くプレッシャーに辛くなるときもあります。それでも、顕微鏡を覗くと見えてくる木材組織の美しさや複雑さには心から魅了されますし、文化財の修復現場で木の香りをかぎながら、何百年前の仏師さんや大工さんと同じ匂いを嗅いでいることに思いを馳せると、心が震えるほど感動したりするのです」

木材を同定するのはとても大変なことですが、それを凌駕する魅力があるのですね。田鶴先生は、今のご研究をどのような経緯で始められたのでしょうか?

「小さい頃は山の近くに住んでいたので、木や森は生活する中で毎日当然そこにあるもの、という感覚で過ごしていました。ただ、巨木やうっそうとした里山を前に、自分のちっぽけさを感じるたび、自然への畏敬の念、壮大な歴史や古代の人々の心への興味は徐々にふくらんでいったように思います。それに考古学に携わる父や伯父から、古いものを調べることで当時の人々の暮らしや物流など、さまざまなことがわかるという話を聞くたびに、時を経た文物への興味も増していました。大学では京都大学農学部に進学したのですが、古い書籍を読むのが好きで、中でも『金枝篇』や各国の神話などを読み進めるうちに古代から今までの人と木とのつながりについて興味を持つようになっていったのです。日本に限らず、世界中の伝承や書物には必ずといってもいいほど木が登場します。そこには、木とは書かれず、具体的な樹種名が書かれていることが多いです。なぜその樹種がその地域で選ばれているのかとても興味を持ちました。そんなとき木質科学研究所(現・生存圏研究所)で文化財の樹種を調査・研究していることを知り、扉を叩いたのが、今に続く研究の原点となりました。

それからシルクロードの遺物、歴史的建造物や木彫像などの調査を手がけさせていただき、木が教えてくれる情報に夢中になりました。何百年と生き、さまざまな時代の歴史を年輪に刻んできた木々が、人の手により選別され加工され、文物としてまた新しい歴史を生きていく過程に強く惹かれたのです。これまでの研究でさまざまな木質文化財に出会い、顕微鏡を通して木材に秘められた歴史に向き合ってきましたが、そのたびにレンズの向こうで昔の大工さんや仏師さんたちがいたずらっぽく笑っているのが見えるようです」

精神的な充足や安定が叶う、自然と手を取り合った豊かな社会へ

くすのき・125では、125年後の実現をめざす「調和した地球社会のビジョン」について伺っています。田鶴先生のビジョンをお聞かせください。

「真の意味で調和のとれた地球社会とは、精神的な充足や安定が叶う、人と自然が手を取り合った豊かな社会を指すと考えています。地球上に人類が生まれてから500〜600万年ほど経ったと言われていますが、その多くの時間、人は木と深くつながって暮らしてきました。近年は高度なテクノロジーの発展に伴い木よりも便利な材料が世にあふれ、人と木の関わり方は変わりつつあります。ですが今でも私たちは、木製の仏像を拝み、四季折々の木々を愛で、街路樹に魅了され、赤ちゃんが生まれれば木製のおもちゃを送り、故人を樹木葬で見送ることもあります。木はいつも人の暮らしの中にあり、精神の安定になくてはならないものなのです。

125年後の未来では、テクノロジーがもっとずっと発展していると思いますが、木は人々の心を支え続けているはずです。そう考えると、古きを温めて新しきを知るという言葉にあるように、過去に目を向けて古代の人と木の関係をひもとき、その樹木観や死生観を明らかにすることは、これからの人々の心の安定に木が果たす役割を考えていく上で何かしらの意味をなすのではないでしょうか。材料としての木というハード面だけではなく、木を媒体とした心というソフト面も豊かな地球社会になるよう、寄与できたならうれしいです」

ビジョンの実現に向けて、どのようなことに取り組んでいきたいですか?

「木材解剖学を深化させ、これまで以上に正確に樹種を同定できるようにしたいです。そうして得られた樹種情報に、民俗学的視座や宗教や信仰などの文化的背景を重ねることで、文化財に用いられた木材に対して人々が抱いていた想い、すなわち『樹木観』を明らかにしていきます。そうすれば、人と木の精神的なつながりに、科学的・文化的根拠を与えられるのではないかと思うのです。

例えば仏像の材料は時代ごとに徐々に変化してきたようです。ただ彫るだけであれば身近に生えている木ならなんでもよかったはずです。でもそうはせず、当時の人たちが『良い』と思った木が選ばれていることが、研究によってわかってきています。日本文化の礎にある神や仏への信仰に用材観が深く関わっているからこそ、『日本は木の文化の国』だという認識が定着しているのでしょう。ですが一方で、今を生きる私たちは、木と日本人がどうつながってきたのかをあまり知りません。木材解剖学の視点から見えてくる人の心と木の関係性を、未来に伝えられたらと思っています」

「難しいこともたくさんあるけれど、顕微鏡を覗いて過去の人々を思い浮かべながら心に寄り添っていきたい」と語る田鶴先生

東アジアの木彫像から、当時の文化交流や信仰の相違などをひもとく

くすのき・125では、具体的にどんな研究に取り組まれるのでしょうか。

「テーマの柱としているのは東アジアの木彫像です。日本では神や仏をめぐる考え方が、時代とともに大きく変化してきました。仏教の伝来や政治の変化、自然災害など、要因はさまざまでしょうが、その時々で不安や危機を乗り越えるための拠りどころとされてきたであろう樹種も、一緒に変化してきたと考えられます。そこでそれぞれの時代にどのような樹種が用材として使用されたのか、民俗学や宗教学、美術史学などの専門家とともに歴史や文化的背景も含めて明らかにしようとしています。

日本では、6世紀半ばに仏教が伝来した際、仏像がつくられるようになりました。当時はクスノキが用材として使われていた例が多いようですが、8世紀になると、使われる樹種に変化が起こります。その頃、インドから日本へ伝わった仏典には『白檀がなければ栢木(ハクボク)を使って造像せよ』と書かれていました。白檀が育つには寒すぎる日本で仏典に従うには栢木を使うしかなかったため、クスノキに代わって栢木が使用されるようになったと考えられます。この『栢木』とは一体何の樹種なのかが長年問題となっていましたが、東京国立博物館や森林総合研究所の研究で、おそらくカヤという木がそうなのだろうということがわかってきています。カヤが選ばれた背景には、彫りやすさだけではなくカヤへの信仰があったのかもしれません。

さらに時を経るに従い、仏像に使われる木材はヒノキやカヤに加え、サクラ、ケヤキなどさまざまな樹種も使われるようになります。私が今興味を持っているのはモクレン属なのですが、調べていくうちにある地域ではモクレン属が使われていたことを示す事例をいくつか発見しました。こうした樹種がどうして選ばれたのか、10世紀以降の変化はまだよくわかっていないので、その理由を神仏習合や民俗学的側面からも調べているところです」

同じ仏像をつくるにしても、時代によって樹種が変化しているのですね。「東アジア」ということは、日本以外の国にも注目されるのでしょうか?

「はい。中国や韓国ではどうだったのか興味があり、共同研究者らとともに、海外の美術館などと数年前から調査を始めています。中国と日本ではタイプの違う樹種が使われていた例も見つけています。まだはっきりしたことが言えるほどの数を調査しているわけではないので確かなことは言えませんが、国や地域ごとの差異を見つけていくことで、それぞれの文化的背景を探っていきたいです。

もう一つ、仏教に影響されてつくられたとされる神像にも着目しています。日本ではこれまで神像の調査はあまり進んでいなかったのですが、仏像に使われた用材との比較を進めています。神仏習合の観点からも、継続して研究を進めていこうと思います」

倫理観をもって人の英知の証を研究していきたい

最後に、田鶴先生の研究に対する思いを聞かせてください。

「木質文化財の樹種調査を通じて見えてくる古代の人々の樹木観や死生観が、直接私たちの今の生活を便利にするわけではないでしょう。しかし古代の人々と同じく、現代を生きる私たちも戦争や気候変動、コロナ禍など、おびえることが少なくありません。そんななか、不安や危機を乗り越えるために必要な精神の在り方や、自然との向き合い方、よりどころとしての木材への向き合い方を過去から学ぶのは、きっと大事なことなのではないかと思うのです。

地道で時間のかかる研究でもあり、重責に心がつぶれそうになることもあります。そんなときには、宇宙の研究をされていた先生の生前の言葉を思い出しています。『顕微鏡ばかりみていて樹種識別は難しいし、責任も感じるし、不安もいっぱいです』とこぼした私に、先生は『小さいスケールで見ていると見えないことも、ある種の大きいスケールで見ると見えてくることがある。』とおっしゃいました。宇宙を研究されている方だからこその言葉だなとその時は感じましたが、人の心と木との関わりの歴史に向き合おうとしている今、たくさんの先生方からいただいたたくさんの教えや励ましの言葉とともに、その時の先生の言葉が私を強く支えてくれています。

木彫像の修理時に提供される直径1~2 mmの極小の木片は、金属製の筒の先端に固定し、放射光X線CTをつかった樹種調査に供されることもある

文化財の樹種には、人々が生きた証、人々の長年の英知の証が込められています。それと同じように、顕微鏡などを使って木質文化財の樹種を調べる研究にも長い歴史があり、たくさんの先生方がこれまで明らかにされてきた膨大な研究成果の蓄積の上に成り立っています。倫理観と敬意をもって、研究を進めていきたいと思っています。

生存圏研究所にある材鑑調査室には、そうした先人の先生方が集められた木材標本が保管されていて、これらを維持管理することも重要な仕事の一つです。受け継がれた貴重な木材標本は、京都大学だけでなく人類の宝でもあります。これらを正しく保管し、次世代に託すことも、私の大事な使命だと感じています。

京都大学のシンボルである時計台の前のクスノキは、のびのびと枝葉を伸ばし、広い目で眺め、いろいろな声を聞き、哲学とはなにか、と私たちに語り掛けているようにみえます。じっくりと、おおらかな気持ちでたくさんの声に耳を傾け、ひとかけらの木片が教えてくれる古代の人々の歩みや才知に向き合い、未来へとその英知をつなげていきたいです」

田鶴 寿弥子(たづる すやこ)

生存圏研究所 講師

京都大学大学院 農学研究科 森林科学専攻 博士課程 修了。京大博士(農学)。京都大学 生存圏研究所 博士研究員、ミッション専攻研究員、同研究所 助教を経て、2022年より現職。専門は木材解剖学。樹種識別ならびに新規識別手法の開発や、木質文化財における樹種データベースの構築、新旧手法を併用した木質文化財の科学調査による東アジアの木の文化の総合知獲得へむけた文理融合型研究を進めている。著書に、『ひとかけらの木片が教えてくれること 木材×科学×歴史(淡交社)』。材鑑調査室として企画した木材組織カードが、京大生協にて販売されている。

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