岩石の物性を切り口に、大地の恵みをもたらす地中世界の物理法則を探究する「地球熱システムの包括的理解が拓く地球と共存する社会」
理学研究科 助教
澤山 和貴
医学部附属病院 放射線部 助教
中島 良太
京都大学創立125周年記念事業の一つとして設立された学内ファンド*「くすのき・125」。このファンドは、既存の価値観にとらわれない自由な発想で、次の125年に向けて「調和した地球社会のビジョン」を自ら描き、その実現に向けて独創的な研究に挑戦する次世代の研究者を3年間支援するというものだ。
*「学内ファンド」とは、京都大学がめざす目標に向けて、京都大学が持つ資金を学内の教職員等に提供する制度のことです。
2022年度に採択された医学部附属病院の中島良太先生のテーマは「がんの遠隔転移は予防できるのか?」。ひとが元々持っている自然免疫システムを利用することで、現状では根治が非常に困難ながんの遠隔転移を予防しようとしているという。これまで見過ごされがちだったがんの予防に向けた先生の思いとは?メッセージ動画とインタビューで伺った。
まずは中島先生が現在、取り組まれている研究テーマについて教えてください。
「私は京都大学医学部附属病院で、がん放射線治療の専門医としてがん患者さんの治療にあたりながら、ひとが持つ自然免疫システムの一つ『好中球細胞外トラップス』、 略してNETs(Neutrophil Extracellular Traps:ネッツ)と呼ばれる現象とがんの遠隔転移の関係について研究しています。
少しややこしいお話ですので順を追って説明しますと、まず免疫反応には獲得免疫と自然免疫の2種類があります。獲得免疫とは文字通り、体の外から侵入した病原体などが持つ特徴を学習することで後天的に獲得する免疫応答です。獲得免疫を使ってがん細胞の増殖を抑制する治療法は、ノーベル賞を受賞された本庶佑先生のご研究を筆頭に非常に盛んに研究され、免疫チェックポイント阻害剤という薬まで登場するに至っています。一方、自然免疫とは、白血球などの免疫細胞が体内に侵入した細菌などをそのまま食べるという『貪食』を行うことで、体内を殺菌する免疫応答です。この自然免疫の中心的な存在が、白血球の4割から7割程度を占める好中球になります。この好中球が、貪食だけでなく、自分自身のDNAに複数の抗菌性タンパク質を絡ませた網状の構造物(NETs)を細胞の外に放出することで、自らの死(NETosis:ネトーシス)とひきかえに、細菌などの外敵を絡め取って殺菌することもあるとわかってきました。2004年に海外の研究者によって報告された近年注目されている自然免疫システムの一種なのですが、がんが遠隔転移して症状が悪化した患者さんの血清を調べると、このNETsが生じていることが国内外の研究で示されました。なぜ、がん患者でNETsが起こるのかまではわかっていませんが、NETsが遠隔転移の原因の1つであることは明らかと考えられています」
本来ひとの体を守るはずの自然免疫反応が、がんの遠隔転移を促進させるかもしれないというのはにわかには信じ難いですが、どうしてそんなことが起こるのでしょう?
「それがよくわからないんです。がん自体が炎症を起こす疾患なのだからNETsが起きるのは当たり前だという考え方もあるんですが、そうは言っても体の外から入ってきたばい菌などに比べれば炎症反応は弱いので、そこまで強い自然免疫反応が起こるはずがないと思うんです。
例えば肺転移の場合、肺の血管に網目のように張られたNETsにがん細胞がふよふよっとやってきてその網にかかります。このとき、普通なら殺菌されてしまうはずのがん細胞が何らかの理由で生き残って増殖することで、遠隔転移につながるのではないかという仮説を多くの人が思い描いているところです。NETsは今とても注目されていて、世界中で多くの研究者が取り組んでいるテーマでもあり、NETs自身が組織の中で刺激を出すことによって寝ているがん細胞を叩き起こすのではないかなど、NETsが遠隔転移を引き起こすのではないかとされるメカニズムがいくつか報告されてきていますが、まだまだ謎の多い現象です」
NETsががんの遠隔転移を引き起こすのであれば、その方法にはいくつかのパターンがあるかもしれないのですね。中島先生は放射線治療の専門医とのことですが、NETsと放射線治療にも何か関わりがあるのでしょうか?
「はい。と言ってもそれに思い至ったのは最近で、実は最初からNETsに注目していたわけではないんです。放射線治療はがんに対して高い治療効果があるのですが、この治療法の鍵となるのが『活性酸素種(Reactive Oxygen Species:ROS)』です。ROSは生活習慣病や老化に関わる厄介なものなのですが、放射線治療では放射線を照射することでROSを体内に発生させ、このROSにがん細胞のDNAを損傷させることで細胞死を誘導しています。特にがんになった部位が限られている局所がんへの治療に優れていることが知られていますが、臨床医としての経験上、1年に1〜2人ほど、放射線を照射するのとほぼ同時にがんが全身に転移してしまう患者さんがいらっしゃいます。元はとても小さながんであったにも関わらずです。もしかすると放射線の照射が何らかの理由によってがんの遠隔転移を引き起こしているのではないかと思い、それを明らかにしたいと考えるようになりました。
そんなとき、留学先の研究室でNETsに出会ったのです。NETsが生じるメカニズムも複数あると言われていますが、そのうちの一つの鍵となるのがこのROSです。好中球は貪食した病原体を殺菌するためにROSを産生しますが、このROSがNETsを引き起こしているのではないかと言われています。放射線照射によってROSが発生している状況であれば、同じようにNETsが発生しても不思議ではありません。つまり、放射線を照射することがNETsを引き起こす引き金になっていて、それによってがんの遠隔転移を促進させてしまうことがあるのではないかと考えました」
くすのき・125では、125年後に実現させたい調和した地球社会のビジョンについて伺っています。中島先生のビジョンについてお聞かせください。
「がんという病気は、以前に比べればかなり効果のある治療法が出てきたとはいえ、今なお世の中の人からすると命に関わる怖い病気です。一度がんと診断された患者さんは、転移しないか、完治できるか、常に不安な気持ちを抱いて暮らしています。そうした不安を抱くことなく、たとえがんになったとしても誰もが前向きに治療できる社会を目指したいと思っています。
がんが恐れられている一番の原因はおそらく、遠隔転移の存在でしょう。現在、がんの治療法としては放射線治療のほかに、手術と抗がん剤の2つの方法があります。いずれも進歩が目覚ましいですが、特に局所がんであれば制御率はかなり上がっていますし、治療後の患者さんのQOL(Quality of life)も格段に上がっています。 私たちも局所がんの患者さんには、たとえステージが進んで生存率が50%を切る場合でも「根治を目指せます」という言い方をします。ですが、遠隔転移があるとどうしても「治すことは難しいです」と言うしかない。実際,がんで亡くなられている方のほとんどは遠隔転移が起こっているんです。ですから遠隔転移を何とかしない限り、がんを『ありふれた治る病気』にすることはできないと考えています」
それが先ほどのお話とつながっていくのですね。実際にはどのように放射線治療とNETsの関係性を調べるのでしょうか?
「まずはマウスでの実験で、放射線治療によってNETsが引き起こされるのかを確かめていきます。本当に放射線がNETsを発生させているのであれば、次はそれがどのようにがんの遠隔転移を促進しているのかを調べます。もしNETsががんの遠隔転移を促進しているとすると、放射線治療以外のメカニズムで発生するNETsでも同様のことが言えるかもしれません。それを調べるためには、マウスにがん細胞を移植することでがんの遠隔転移がどのように、どれくらいの頻度で発生するのかも検討していく必要があります」
実験を進められる上で困難なことはあるのでしょうか?
「はい、実際にはかなり難しくて、非常に多くの研究者が苦労してNETsの研究に取り組んでいます。マウスの実験だけでは限界があるので、ヒトの好中球を使って人工的にNETsを再現することでそのはたらきを調べる必要があるのですが、使える手法が少ないことが困難な課題のひとつです。というのも好中球には実験に使えるように確立した細胞株が無いですし、血中から取り出した好中球は寿命が短く、体外に取り出されてからは24時間ほどしか生きていられないため、その間にNETsを誘導するのは至難の業だからです。
また、どのような状況でNETsが起きるのかを知るには、NETsを正確に定量できるようになる必要があります。既存の定量法も色々あるのですが、まだまだ試行錯誤が必要です。先ほども申しましたように、NETsが生じるときには、好中球に含まれるDNAや好中球エラスターゼなどの様々なタンパク質が放出されますので、このタンパク質を「サンドイッチELISA(エライザ)」という手法で定量するのが一般的です。しかし私たちは、これよりもさらに精度の高い定量方法を開発しています。まずNETsが生じた際に放出されたDNAを免疫沈降法という手法で集めます。するとDNAと一緒に放出された好中球由来のタンパク質も一緒に集まりますので、このタンパク質を、その性質に応じた手法で測定することでNETsを定量するわけです。
私はあくまで患者さんの治療に従事する医師ですので、研究を通じてわかったことは患者さんの治療に応用できるようにしたいという思いがあります。そのためにも、まずは起こっている現象を一つ一つ着実に理解していくことが大切です」
将来的には先生のご研究ががんの遠隔転移の治療につながるのでしょうか?
「いえ、治療というよりも予防ができないかと考えています。NETsががんの遠隔転移を引き起こす鍵となっているのであれば、そもそもNETsが起こらないようにしてしまえばいいわけですよね。実はすでにNETsを抑制する薬として有力な候補があり、くすのき・125の研究ではこちらを重点的に検討しています。ここでは詳しくお話できませんが、この薬が実用化されれば、自然免疫システムを応用してがんの遠隔転移を予防することができるようになるはずです。
今の放射線治療の技術は精度が上限にまで達しつつあり、頭打ちのような状況になっています。がんの遠隔転移を予防することができれば、この現状を打破し、さらに効果の高い放射線治療を行うことが可能になるでしょう。
そうした放射線治療の現状を打破する研究としてもう一つ着目しているのは、放射線をどれだけ照射してもがんが治らない患者さんの存在です。同じがん種であっても、放射線治療によって治る人と治らない人とに分かれてしまうのです。どうしてそんなことが起こるのかを考えていくうちに、もしかすると放射線に抵抗する何らかの隠れたメカニズムがあるのではないかと思い至りました。それを『放射線治療抵抗性因子』と呼び、網羅的にスクリーニング実験をしてその因子を見つける研究にも取り組んでいます。こちらの研究は今はまだサブテーマですが、ゆくゆくは遠隔転移の予防法開発のテーマとつなげていきたいと考えています」
がんの遠隔転移が予防できれば、がん患者さんにとって希望の光になりますね。そもそも中島先生が、がんに興味を持たれたのには何かきっかけがあるのでしょうか?
「実は最初はがんではなくて、放射線診断の方に興味がありました。大学生時代、所属していたクラブの先輩に誘われて、放射線診断科で行われている画像診断のカンファレンスに週に一度参加することになり、だんだんと放射線に関わるようになったんです。その後、通称『ポリクリ』と呼ばれる臨床実習に入ったときに、最新の放射線技術の魅力を熱く語られる先生に出会いました。今から18年ほど前になるのですが、当時はちょうど放射線治療の装置がすごく進歩した時期で、それまでは体の広い範囲にドンと均一に放射線を当てていたのが、『強度変調放射線治療』という技術によって、照射範囲を自在に変えながら当てたいところにだけ放射線を当てることが可能になったのです。そのお話を聞いて放射線診断ではなく放射線治療の方にちょっと興味が出たのですが、他の診療科にもこころ惹かれるところがあり、どの道に進むか決めきれないまま実習でいろいろな診療科を回るうちに、どの科に行ってもがんの患者さんがおられることに気がつきました。消化器内科に行けば胃がんや大腸がんの人が、呼吸器内科に行けば今度は肺がんの人がたくさんいて、しかも思ったほど根治される方が少ない。そうした現状を目の当たりにして『がんしかない』と思ってがん治療の道に入り、今は放射線腫瘍医(放射線治療医)としてすべての科におられるがん患者さんの治療にあたっています。
がんの領域としては頭頸部がんという首の周りのがんと核医学治療が専門なのですが、『がんを何とかしたい』という思いは放射線治療の道を選択した時から一貫してずっと持ち続けています。一人でも多くの患者さんが安心してがんに向き合えるように、これからも医師として、そして研究者として、患者さんを支えていければと思います」
医学部附属病院 放射線部 助教
2018年、京都大学大学院医学研究科博士課程医学専攻修了。学位取得後、3年間のカナダ・トロント大学留学を経て、2021年4月より現職。専門はがん放射線治療で、専門医として臨床に携わりながら研究に取り組んでいる。研究テーマは好中球細胞外トラップス(NETs)を介したがん遠隔転移メカニズムの解明と予防法開発、放射線治療の妨げとなる放射線治療抵抗性因子の究明など。