藤原辰史 人文科学研究所 准教授
京都大学人文科学研究所、藤原辰史准教授の専門分野は農業史。私たちの生活に欠かせない食べものに関わる分野のため、その研究は現代の「食」を取り巻くさまざまな問題を浮き彫りにするとともに、解決へと導くヒントに繋がるといいます。農業史をテーマに選んだきっかけや、「農業」という理系分野で「歴史」を研究する意義と重要性について伺いました。
藤原辰史
京都大学 人文科学研究所 准教授
食料の自給自足を目指したナチスの農業政策に着目
――農業史の研究を始めたきっかけは何ですか
藤原准教授 農業の技術と思想に関心があり、今は食べ物にまつわるさまざまな科学技術や思想、制度について研究しています。
島根で育った私は小学校の修学旅行で広島に行き、原爆ドームや広島平和記念資料館を見学しました。それで「なぜ戦争が起こるんだろう」という素朴な疑問をずっと持ち続けていたんですね。京大に入学したとき、国際関係論を勉強しようと思ったんですよ。世の中が平和になるためには、外交が大事だろうし、なんといっても「国際関係論」という五文字がかっこいいと思って(笑)。
ところが勉強してみて、少し違和感を覚えました。国際関係論では主人公が国と国なので、そこに生きている人間の顔が見えない。自分は、制度よりも人間そのものに関心があったんですね。そんなとき、おもしろい先生と出会いました。ナチスの文化について研究している先生で、当時を生きた人の話をよくしてくれました。例えば、かつて重要産業だった石炭の歴史を話す中で、炭鉱で働いていた人がいったいどういう人々だったのかを語り、いきなり福岡県民謡の『炭坑節』を歌い出すんですよ。「月が~出た出た~♪」って。
――おもしろい先生ですね
藤原准教授 びっくりしたと同時に、坑夫がどんな歌を歌っていたのか、といった視点も学問になる、そんな研究もアリなんだと気づきました。私が農村出身だったこともあり、「なぜ世界から飢えがなくならないのか」という、子どものころからの素朴な疑問を出発点として、農民たちはどうやって生きてきたのか、という関心につながり、ナチスの農業政策に関する卒業論文を書きました。
――ナチスの農業政策に注目された理由は?
藤原准教授 ナチスは食料の自給自足を目指していたんです。食料自給率の低い日本から見ると、素晴らしい政策にみえますよね。「僕の嫌悪するナチスがこんなことをしていたとは!」という興味から、ナチスの農業政策というテーマに入っていきました。
――なぜナチスは、食料の自給自足を目指したのでしょう?
藤原准教授 ナチズムを考えるとき、第一次世界大戦を知ることが重要です。なぜかというと、アドルフ・ヒトラーを始めとしてそのほかの幹部の少なからぬ人たちが、第一次世界大戦で兵士として戦っていました。そのときドイツは、イギリスの海軍力によって、南北アメリカ大陸からの肥料や飼料、食料の輸入を断ち切られたために、76万人もの餓死者を出した。しかも半数は子どもです。本当に悲惨な体験をし、戦闘そのものではなく銃後で負けた。そこで、ヒトラー率いるナチスは「二度と子どもたちを飢えさせない」という政策を訴え始めました。当時、「飢えをなくす」と主張することは、選挙に勝つ上で非常に効果的だったんです。
――人々の支持を得るために「食」を利用したんですね
藤原准教授 人間は食べずには生きていけませんからね。ナチスは幼い男の子がパンを食べている絵に「僕たちを飢えさせないで」と書いたポスターを作っている。これは飢えを体験した人々には特にインパクトがあったでしょう。世界恐慌が起こった後は、毛布や食料を配って、飢えから失業者たちを守る運動も展開している。アウシュヴィッツで600万人ものユダヤ人を殺したナチスが、人の胃袋に寄り添った政策を打ち出しているんです。ヒトラーというカリスマに人々がマインドコントロールされて…という話ではない。「おなかが減ったら困る」という、人間としてごく普通の感覚に訴えるやり方で人心をつかんでいったんです。もちろん、ナチスが反ユダヤ主義だということはみんな知っていた。けれど、「飢えさせない」という言葉は非常に力があったということです。
理系分野で歴史を研究する意味とは
――そこからナチスの時代の農業に興味を持ったんですね
藤原准教授 ナチスの激動の時代に農業がどう変化していったのか。それを調べてみると、技術の問題が出てきます。最も顕著なのがトラクターの登場ですね。当時のドイツにおいて、重要な作物だった甜菜(サトウダイコン)を育てるには、畑の土壌を深く掘る必要があります。そこで、トラクターを導入するようになったんです。
20世紀にアメリカでトラクターが登場してから、世界の農業は大きく変化しました。トラクターで広大な土地を一気に耕せるようになると、小さな土地をあちこちで耕すよりも、できるだけ合体させたほうが効率がいい。ソ連のレーニンは「トラクターを武器にして農業を変えていこう」と訴え、後を継いだスターリンはコルホーズ(共同経営の集団農場)、ソフホーズ(国営農場)を作りました。実際は政府が掲げたほどには普及しませんでしたが、トラクターが少なくともロシア革命の理想を支えていたことは間違いありません。アメリカもトラクターのおかげで飛躍的に生産量を伸ばした。そう考えると、トラクターが歴史を動かしてきたとさえ、言うことができます。
農民たちの反応はさまざまで、トラクターを大規模農業が可能になる夢の機械だと評する人もいれば、牛や馬の延長と捉える人、自分を土地から追いやるものだと考える人、宗教心を壊す「アンチキリスト」だと言い張る人もいました。農業の道具の変化は、農村を生きる人々に心の変化ももたらしたのです。 さらに、トラクターの存在は戦車開発のヒントにもなっています。こうした民生技術の軍事転用例はほかにもあって、例えば農薬は毒ガスから生まれたものですし、化学肥料の生産過程は火薬とそれとほぼ同じです。農業の技術面から道具を見ていくと、どんどん世界が広がっていくおもしろさがあります。
――専門知識のない理系分野で研究する難しさはありませんか?
藤原准教授 確かにあります。やはり、その分野の「土地勘」がないですよね。トラクターにしても、自分はエンジニアではないので構造を見ても分からないところがあるし、設計図を引くこともできません。(著書の)『ナチスのキッチン』では台所の設計について書きましたが、図面が引けないので、専門家に相談したり、専門書を読んだりしてフォローしようと努力しました。
しかし、20紀初頭から日本が稲の品種改良に莫大な予算をつぎ込み、植民地での増産を推進したことについて書いた『稲の大東亜共栄圏』という本は、読んでくださった農学研究の先生から「おもしろかった」と反響があってうれしかったですね。
――どういう点で評価を受けたのでしょう
藤原准教授 稲の育種を研究されている先生は、歴史を知ろうとするとき、1万年、1000年という単位で考えるのが普通です。私の研究は現代のわずか50年程度のことなのでとてもかなわないのですが、その先生がおっしゃるには、「自然科学の研究者が一番苦手とするのが現代なんだ」、と。現代は、史料が残っているので、政治や経済の状況の複雑な絡み合いがくっきり浮かび上がる。そうした歴史の背景をよく理解できる本だったと評価くださいました。
――理系分野でも、歴史を学ぶことは重要なんですね
藤原准教授 例えば。携帯電話を研究するとしたら、消費者がいつどこで、誰とどんなふうに携帯電話を利用しているかを調査してまとめると思います。でも、それは歴史研究者から見ると、非常に物足りない。携帯電話を本気で知りたいのであれば、手紙や電報、電話、さらに飛脚制度や郵便制度といった古くからのコミュニケーションツールを調べる必要があるでしょう。「手紙を語らずして携帯電話を語るな」という思想史研究者もいます。歴史研究者ってしつこいし理屈っぽいんです(笑)。でも、歴史を学ぶと、今起こっている問題がどんな経過をたどってきて、今後どういった軌道を描くのか、未来像を想像しやすくなりますから、どうか忌避しないでください(笑)。
また、医学や工学、農学などの研究は、ともすると近視眼的になってしまう危険性がありますが、歴史を学べば、自分がやっていることを客体化することができます。
具体的な例を挙げるとすると、ナチス時代の人体実験です。当時、優秀な医師が人体実験を行い、ナチスの犯罪に加担していました。生きている人間を実験材料にしてさまざまな研究をした。本人たちはただ、純粋に、今まで分からなかったことを知りたいというモチベーションで研究にのめり込んでしまい、自分のしていることを客観視できない状況に陥っていました。あなたは今何をしているんですか? どんな社会的な影響があるんですか? そんな根本的な問いを自分と社会に投げかける学問が「歴史」なんです。だから、どんな分野でも歴史を学ぶことが必要だと考えています。
私は、講義の最初で、よく学生たちに、私が職場の先輩から教えてもらったことを話すことがあります。それは「たとえあなたがこの世から消えても、世界は何も変わらず動き続ける。しかし、あなたはこの世に一人しかいないかけがえのない人間で、あなたの死はこの世にたった一回きりの死である。この二つを知ることが文系の学問です」。この二つの見方が文系にも理系にも必要だと思うんです。
食べることを共同で行う「公衆食堂」をつくるべき
――今、日本には「食」にかかわる問題がたくさんありますが、最も気になっていることは何でしょうか?
藤原准教授 たくさんあります。一つ挙げるとすれば、子どもの貧困と食の問題ですね。今、子どもの6人に1人が貧困状態にあり、満足に食べることができない人が増えていると言われています。学校給食が唯一の栄養源だという子もいる。貧困によって「食」が脅かされ、生きることにまで関わってきているという状況が、今の日本でもっとも危機的であると感じます。
――飽食の時代なのに、食べることに困っている人がいるのはなぜでしょう
藤原准教授 先日、シングルマザーの子どもが、食べものがなくてティッシュを噛んで空腹をまぎらわせていた、という新聞記事を読みました。これだけ食があふれている一方で、十分な食事が摂れない子どもがたくさんいる。これは日本の食料生産が足りないのではなく、届くところには届き、届かないところには届かないという偏りがあるためです。食べものは店にたくさんあるのに、お金という壁が立ちはだかっている。日本ほどシングルの父母に対する政府の援助が弱いところはありません。また、手を差し伸べてくれる家族や近所や友だちとつながっていないという壁がある。食べることに困るのは、そもそも現代社会の競争が激しくなりすぎて、人々の関係性がないがしろにされていることもあります。それが日本の「食」の大きな問題です。
ただ、最近は地域の人が子どもに無料または低価格で食事を提供する「こども食堂」が各地で誕生しています。こうした「家族」という枠を超えた新しい食のあり方は、子どもの貧困という問題を解決するひとつの有力な手段になると私は考えています。
――先生は「公衆食堂」を作るべきだと提案していますね
藤原准教授 子どもがひとりでごはんを食べる孤食、栄養バランスの問題など、子どもの食の問題は母親のせいにされがちです。しかし、「食べるあり方」は家庭だけでなく、もっといろいろあってもいいのではないでしょうか。そこで、こども食堂がこれほど普及する前から、ショッピングモールのフードコートみたいに、共同のオープンスペースで食べる場があったら、もっとゆとりが持てるのでは、と提案してきました。
これは学者の理想論のようなところもあったんですが、実は私の説をまともに受け取った人がいたんですよ。静岡県の南伊豆で麻のアクセサリーを作って売っている麻太朗さんという方が、2年前に商店街の空物件を利用して「大衆処いときち」を開いた。とても安い値段で食事を提供しているんですが、そこには農家のおばちゃんが余った野菜をもってきてくれたり、小学生が遊びに来たりしている。いろんな人が集う地域拠点になっているんです。
――食べるだけではなく、人が出会ったり話をしたりする「場」でもあるんですね
藤原准教授 食事だけでなく、ワークショップとか、フリーマーケットとか、手作り作品の展示販売会とか、いろんなことをやっていろんな人たちがつながっているようです。 考えてみたら、日本の都市計画ってかなりひどいんですよね。みんなが集う場所が少なすぎる。食べてもいい、仕事してもいい、休んでもいい。そんな開かれた空間があれば、人と人のつながりが無理なく生まれ、社会が楽しい方向へ進むことができるのではないかと思います。「食」と「空間」を考える、食べ物の空間学のようなことを、今後の研究で手掛けていきたいと考えています。
藤原准教授にとっての「京大の研究力」とは?
京大の研究力の理想形は「突拍子もないアイデアが温存される」ことだと思っています。いつ役立つかわからない発見、くだらない発想、思いっきり偏った研究スタイル、そういうものが許される、おもしろがってもらえる度量がある、それが京大の研究力の源だと思います。そうした自由こそが研究の命、と私は信じています。しかし最近は、京大の研究力が弱まっているような気がしますね。世の中の流れなのか、研究者にも「早く結果を出すこと」「世の中に役立つこと」が強く求められるようになってきました。でも、一見、意味のないように思えることこそが、豊かな視点を与えてくれることが本当に多いのです。研究者が純粋に楽しんだり、寄り道したりして、「これだ!」というテーマに出会ってこそ研究は深まり、さまざまな価値を生み出すことにつながるのではないでしょうか。