永田紅 生理化学研究ユニット 特任助教
健康を維持する上で気になるコレステロールは、体にとって欠かせない成分でもあります。京都大学物質―細胞統合システム拠点(iCeMS=アイセムス)は、動脈硬化を予防する善玉コレステロールが作られる初期段階の可視化に成功。その成果は、動脈硬化の予防や治療法の開発につながると期待されています。iCeMSでこの研究に携わり、歌人としても活躍するのが、生理化学研究ユニットの永田紅特任助教。研究の成果や現在の取り組みのほか、歌人としての活動についても伺いました。
永田紅
生理化学研究ユニット 特任助教
善玉コレステロールが作られる仕組みの一端を解明
―― iCeMSは文科省の世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)にも採択されていますね。どんな研究をしているところなんですか
永田特任助教 細胞を制御する物質や生命現象にヒントを得た材料を創り出すことで、生命の謎を探究したり、環境や病気などに関する社会的な問題への新しい解決策を提案したりすることを目的とする拠点です。 ここでは、細胞生物学、化学、物理学の研究者が集まって学際融合研究を行っています。分野が異なるので、初めはお互いになかなか理解が難しいところがありましたね。話を聞いてもよくわからなくて、ポカーンとしてしまうことも(笑)。でも、共同研究を始めると、成果が出ておもしろいですね。2013年3月には、動脈硬化の予防に関係がある善玉コレステロール(HDL)が作られる仕組みの一端を解明し、発表することができました。
―― コレステロールは体に悪いものというイメージですが
永田特任助教 コレステロールは細胞膜を構成する重要な成分で、ホルモンの材料でもあります。ですが、細胞内に過剰に蓄積すると動脈硬化の原因となってしまいます。
―― 食事のコレステロールを気にしている人は多いですよね
永田特任助教 そうですよね。でも、実は血中コレステロールのうち、食事から摂取されるコレステロールは20~30%程度で、70~80%は肝臓で作られているんです。食事からのコレステロールの摂取量が多ければ体内で作る量が減り、摂取量が少なければ体内で作られる量が増える。ですから、健康であれば食事の影響は少ないのですが、体内のコレステロールの恒常性を維持することは重要です。
―― 余分なコレステロールを排出する方法はないんですか
永田特任助教 全身の細胞でコレステロールが過剰になると、細胞膜上で働くABCA1という膜タンパク質が細胞膜を動き回って余分なコレステロールを集めて、細胞の外にあるアポリポタンパク質へと受け渡します。そうやって出来たものがHDLです。
―― ABCA1という膜タンパク質が重要なんですね
永田特任助教 日本人の死因の約25%は、血管疾患(心疾患、脳血管疾患)と言われています。HDLをうまくコントロールすることが課題なんですが、ABCA1がどうやってHDLを作るのか、まだよくわかっていないことが多いんです。
ヒトのABCタンパク質は48種類あります。たとえば、耳垢が乾いているか湿っているかも、ABCタンパク質が関わっているんですよ。本来、耳垢は湿っているものですが、ABCC11が変異して働けなくなると、何らかの物質が運べなくなり、耳垢が湿らなくなります。
そんなふうにABCタンパク質は体質や遺伝病と関わるものも多いので、ABCA1だけではなく、ほかのABCタンパク質を調べることで、いろいろな病気の研究につながる可能性があるわけです。
―― ABCA1はどうやってコレステロールを運び出すのでしょうか
永田特任助教 ABCA1を1分子レベルで観察してみたんです。ABCA1には色がないので、観察できるようにGFPという緑色蛍光タンパク質をくっつけました。ちなみに、GFPは2008年にノーベル化学賞を受賞された下村脩先生が、オワンクラゲから発見したものです。
一般的な膜タンパク質は細胞膜上を動き回っているんですが、おもしろいことに、ABCA1はコレステロールを集めると、二量体になって静止していることがわかりました。そしてアポリポタンパク質にコレステロールを受け渡すと、単量体に戻って動きはじめる。おもしろいですよね。 ABCA1がどのようにしてコレステロールを集めるのか、なぜ二量体になって静止するのか、まだわかっていないことがたくさんあります。ABCA1の働きを明らかにすることで、動脈硬化の予防や治療につなげられたらと、引き続き研究に取り組んでいます。
「科学をひとつの文化として育ててほしい」
―― 子どものころから研究好きだったそうですね
永田特任助教 生き物がどうなっているのかを調べるのが好きでしたね。焼き魚の内臓を分解してみたり、アサリのみそ汁で貝の構造を確かめたり。母親にひんしゅくを買ってましたけど(笑)。
夏休みの自由研究も、キノコ採集や廃油を利用したせっけん作り、紙漉きにあこがれて和紙作りもやりました。和紙の材料になるコウゾやトロロアオイが手に入らないので、植物に詳しい母に相談したり、自分で調べたりして代用品を探して、カジノキとオクラの根を使いました。オクラの根にかぶれて、目が腫れてしまって大変でしたが(笑)。頭で考えるだけじゃなくて、実際に手を動かしてやってみるのが楽しかったですね。
―― そうした楽しさが研究者の道へとつながったのでしょうか
永田特任助教 そうかもしれませんね。今でも仮説を立てて、検証していく過程が楽しいです。ひとつのことを考えはじめると、世の中が全部それに見えてきてしまいます。なかなかうまく発現してくれないGFP(緑色蛍光タンパク質)融合タンパク質を観察しているときなんか、ラボの行き帰りに青信号を見ただけで「私のGFPもこのくらいきれいに光ればいいのに」とか考えてしまいます。
―― ほかの研究者と意見交換したりもするんですか
永田特任助教 もちろんです。自分ひとりで考えることも大事だと思いますが、いろいろな方面からの検討も必要なので、意見を伺うことは多いですね。自分の考えを話して、相手が「オモロイやん」ってノってきてくれたら、どんどん盛り上がっておもしろい仮説が出てくるんですよ。ディスカッションすることで、研究が膨らんでいく感じですね。
ただ、やはりディスカッションして話がどんどんおもしろい方向へ膨らむ相手と、ネガティブな反応ばかりで話がしぼんでしまう相手があるので、おもしろいディスカッション相手を探せることも、能力のひとつかもしれません。
―― ワクワクしながら研究されてるんですね
永田特任助教 特に顕微鏡を見るのが好きですね。顕微鏡で何かを見て、「わっ!なんか変なものが見えた!」というところから始まって、こうじゃないか、ああじゃないかと考える。最近、あるABCタンパク質を観察していたら、細胞膜がすごく変な形になるのを見つけたんです。なんでだろ?と、その理由を知りたくて、おもしろがって実験しています。そんな構造があるということは、生物的に意味があるということ。どういう必要があってそんな形状をとっているのか、その意味がわかったら、遠回りかもしれないけど、病気の予防や治療に役に立つこともあるかもしれないですしね。
―― 気の遠くなるような作業にも思えるのですが
永田特任助教 確かに、すぐに何かに役立つ成果が出せるわけではありません。でも、サイエンスは次々と疑問が出てきてそれを解決していくのがおもしろいんです。だから、わからなくても、がっかりしたり徒労感が残ったりすることはないですね。
先日、ノーベル生理学・医学賞を受賞された大隅良典教授が「すぐに役に立つかどうかではなく、将来を見据えて、科学をひとつの文化として認めてくれるような社会にならないかなと願っている」とおっしゃっていました。文化って数値化できないし、何の役に立つのかわからない。でも、長い時間をかけて探究することは、きっと人間を豊かにしてくれると思うんです。だから大隅先生のおっしゃる「科学を文化に」という言葉が心に響きます。
歌人でもある研究者が三十一文字で表現する世界とは?
―― 永田さんは歌人としても活躍されていますが、短歌を作るのはどういうときですか
永田特任助教 日常生活の中でフレーズが浮かぶことはありますが、いざ一首にしようとするなら、子どもを寝かしつけて、夜中にパソコンの前に座って短歌モードになったときです。いろいろ締め切りが迫ってきて作る、という感じです。よく「短歌は感性だ」なんて言われますけど、それよりも締め切りの強制力です(笑)。自分にプレッシャーをかけて、集中して作り出す、という感じですよ。
―― 二足のわらじ、ですね
永田特任助教 ぜんぜんできてないですね。ふたつのことをしているというと、かっこよく聞こえるかもしれませんが、実際はヘロヘロです(笑)。でも、研究も短歌もおもしろいんですよね。不十分なところもいっぱいあるんですけど、できるうちは続けたいと思っています。どちらか片方を辞めたからといって、もう片方に全力を傾けられるかというと、それはわからないですね。
―― 研究と短歌、相乗効果はあるんでしょうか
永田特任助教 分けて考えたことがないので、どうですかねぇ。ただ、ふたつの世界を持っているということで、世の中が広くなるというか、物事を見るときに何か余裕が持てるような気がします。
精神科医だった斎藤茂吉という歌人がいます。彼の作品に「屈まりて脳の切片を染めながら通草(あけび)のはなをおもふなりけり」という歌があるんですよ。脳の切片を染色液で染めて顕微鏡をのぞきこんだとき、紫色になったそれを見て、アケビの花に思いが飛んだんでしょうね。こういう柔軟性って、何の役にも立たないかもしれないけど、物事をいろいろな角度から見られる楽しさがありますよね。 私も顕微鏡を見ながら茂吉の歌を思い出して、「この小胞体はカラスウリの花みたいだな」なんて思ったりします。世の中をいろいろな目で見られることは純粋に楽しいと思うんです。
―― 永田さんの短歌には「DNA」とか「細胞」などの言葉が登場しますよね
永田特任助教 研究に関することが、歌の題材になることはあります。実験でよく使われている有名なHeLa(ヒーラ)細胞は、1951年に亡くなった米国の黒人女性のがん細胞が現在まで培養され続けたもので、うちのラボにもあります。細胞は誰のものなのか?という生命倫理の問題をはらんでいるので、テーマ性を持って一連で短歌を何首か作りました。そういった事柄を詠むこともありますね。
―― 細胞生物学の研究と短歌は異分野のように見えますが、そうでもないんですね
永田特任助教 日本って理数系が得意だから理系、というように、文系と理系を分けすぎな気がしますね。本来、人間ってそんなに単純に分けられなくて、両方の要素を持っているものだと思います。
―― お母さまの河野裕子さん、お父さまの永田和宏さん(京大名誉教授)、お兄さまの永田淳さんも歌人ですね
永田特任助教 昔から家族でお互いの作品を読んで、感想を言い合ったりしていました。母は2010年に亡くなりましたが、書いたものが残るってすごいことだなと、今さらながら思います。母が亡くなった後に母の短歌を読んだら、どんなに悲しいだろうと心配していましたが、実際そうなるとまったく逆でした。歌が残ってくれているからこそ、母の存在を近く感じます。
お茶碗を洗っているところとか、ごちゃごちゃした家の中とか、そういう日常を撮った写真ってないんですけど、母の歌集を開くとそのときどきの日常があるんですよね。母が生きているときは、「なんだ、いつも鍋釜の歌ばかりだな」って思っていたんです。でも、今思うとそれが大事だったと改めて気づきました。歌は時間に「錘(おもり)」をつけてくれるんですね。
永田紅特任助教にとっての「京大の研究力」とは?
どんな研究であってもおもしろがって取り組める環境、おもしろがってくれる仲間がいることが、京大の研究力の基盤だと思います。山極総長がおっしゃるように、オモロイことを、一緒に面白がる。iCeMSは、異分野の研究者が集まっていますので、視点の異なるさまざまな研究者と出会い、ディスカッションすることができます。外国人の研究者も多いですが、同じ研究の言葉で議論ができる。海外で発表された論文が、どこか遠い世界のことではなく、自分たちの研究と地続きなんだと実感できるんです。
また、京大には世界的に有名な研究者がよくセミナーに来てくれるので、直に話を聞いたり質問したりできる貴重な機会が多いです。そういった刺激を受けることは、研究者にとって大事なこと。仮にそのときには全てを理解できなくても、その先生の話を直接聞いた、姿を見た、ということは、将来的に大きな財産になると思います。そういう恵まれた環境があることが京大の研究力を生みだしているのではないでしょうか。
永田紅
京都大学生理化学研究ユニット特任助教
日本学術振興会特別研究員(RPD)
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