中尾世治 アジア・アフリカ地域研究研究科 助教
中尾 世治
アジア・アフリカ地域研究研究科 助教
資料の偏在をこえて、西アフリカの近代化の全貌へ
中尾先生の研究キャリアは、決して一直線に始まったわけではなかった。東京外国語大学での学部時代はアラビア語を学ぶも、南山大学での博士前期課程では西アフリカのマリでの発掘調査に参加し、主として考古資料を用いて修士論文を執筆。博士後期課程に入ると、現在の土器づくりの調査をもとに考古遺物を解釈する民族考古学に移った。しかし、折しもマリ北部紛争(2012)が勃発して調査が行えなくなったため、隣接するブルキナファソ地域での研究に転換。さらに研究のあり方に悩むなかで、歴史人類学へと転換したという。
このような紆余曲折が、むしろ中尾先生の研究のスケールをより広く、根源的なものに向かわせたのだろう。中尾先生は、西アフリカでは史資料(文字の史料、口頭伝承や遺物などの資料)が一部の地域と時代に集中している「史資料の偏在」という状態にあること、しかし従来の研究がこの「史資料の偏在」という問題を自覚したうえで、考察の前提としていないことに着目した。そこを乗り越えるべく、文献史料と聞き取りなどの資料を横断的に利用する方法論を組み立て、博士論文をまとめ上げた。博士論文にもとづく出版『西アフリカ内陸の近代:国家をもたない社会と国家の歴史人類学』により、アフリカ学会第33回研究奨励賞を受賞している。
サニテーションプロジェクトに参加
博士号を取得した中尾先生は、2017年4月、総合地球環境学研究所にプロジェクト研究員として雇用された。総合地球環境学研究所(地球研)は大学共同利用機関法人 人間文化研究機構の一角をなし、地球環境問題の解決に向け人文学・社会科学・自然科学を融合させ、社会と連携・共同した研究を行う研究所である。
地球研で中尾先生が参加した研究プロジェクトは、「サニテーション価値連鎖の提案-地域のヒトによりそうサニテーションのデザインー」だった。サニテーションとは、ヒトのし尿を人間にとって害のないものへと処理する設備やサービスを指す。2015年の時点では世界人口の3分の1が基本的なトイレを持っていないという調査もあるため、同年に国連で採択されたSDGsの目標6にも、2030年までに安全な水とトイレを世界中に普及することが掲げられている。そしてサニテーションの普及のためには、衛生工学などによる技術的問題の解決だけではなく、し尿処理そのものを社会の中で価値づける、文化的社会的問題の解決も必要になる。中尾先生は、ブルキナファソを専門とする人類学者としてプロジェクトに加わり現地調査に参加。プロジェクトの論集『総論 サニテーション学の構築』でも「サニテーション学の提案」の章を担当するなど、人文学からの理論の形成に貢献した。
メタ研究というブレイクスルー
しかし中尾先生によると、人類学者としてサニテーションプロジェクトに貢献する道は、平坦ではなかったという。人類学の素養を積んだ中尾先生と、プロジェクトチームの中心となった衛生工学者たちとは、学術的ディシプリンや思考法、いわば研究者としての文化が異なっていた。異文化の世界に突如放り込まれることになった中尾先生は、いかに衛生工学者と対話し、人類学的視点からサニテーションにアプローチするかに苦悩した。当初は、ブルキナファソのサイト(現地)での調整役に徹していたものの、それは「開発コンサルタントのまねごとでしかないのでは」と自問したという。
「そこでブレイクスルーになったのは、オートエスノグラフィーだった」と、中尾先生は回想する。オートエスノグラフィーとは、自らが経験した事柄や感情を内省して書き記し、分析する研究手法である。いわば人類学者が特定の集団をフィールドワークし、そこで観察した事柄を書き出すエスノグラフィーを、自らに対して行うものである。中尾先生は、研究文化の異なる研究者が共同研究する場そのものが調査対象たりうる、と気づいた。そこで自らがプロジェクト内で感じた葛藤や発見についてオートエスノグラフィーを作成した。このオートエスノグラフィーの原稿がチーム内で回覧されたところ、それが異なった研究文化をバックグラウンドとする研究者にとってコミュニケーション手段となることがわかった。そこでサニテーションプロジェクトの会議の様子をすべてビデオ録画し、会話を分析するメタ研究(研究プロジェクトの研究)を立ち上げたという。このような取り組みの結果、人間に普遍的なサニテーションとは何かを、工学者と議論することができるまでになったという。オートエスノグラフィーなどを用いたメタ研究が、根源的な分野融合のきっかけとなりうる可能性を、中尾先生は探求している。
人文学の可能性
中尾先生によれば、オートエスノグラフィーによる学術コミュニケーションは、人類学という研究方法に限られたものではないという。自己と身の回りを振り返り、意味づけ、語り、コミュニケーションすることは、むしろ人文学に一般的な特質であり、人間に本質的な行為であるという考えだ。
現代において、人文学が既存の学問分野の枠組みにとらわれず、いかに社会課題に向かうかが強く問われている。中尾先生のオートエスノグラフィーは、人文系の学知の本質を、研究プロジェクトの実現という現実的課題にそのまま活かすという点で、新たな道を切り開く可能性を感じた。
(構成:一色 大悟)
中尾 世治
アジア・アフリカ地域研究研究科 助教
東京外国語大学外国語学部アラビア語専攻卒業、南山大学大学院人間文化研究科人類学専攻博士前期課程、同後期課程修了。「西アフリカ内陸における近代とは何か:ムフン川湾曲部における政治・経済・イスラームの歴史人類学」により、2017年に博士(人類学、南山大学)。
博士課程修了後2017年より総合地球環境学研究所におけるサニテーションプロジェクトに、ブルキナファソ・人類学の専門家として参加。当該プロジェクトにおいて、プロジェクト研究員、上席研究員、特任助教を歴任した。2021年より、京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科助教として、フランス語圏西アフリカの宗教、政治、経済、思想の歴史について教育・研究を行うほか、歴史研究・フランス人類学の理論と人類学史にも関心を持ち、異分野との共同研究とそれに対するメタ研究を行っている。
博士論文にもとづく主著『西アフリカ内陸の近代:国家をもたない社会と国家の歴史人類学』(風響社、2020)のほか、単著・共著多数。
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