久野秀二 経済学研究科 教授
今世紀に入り、科学技術は日進月歩で発展を続ける一方、人類は未曾有の災害や戦争、環境問題など、さまざまな不確定性に直面しています。久野秀二教授は、政治経済学と食農社会学を足場としてヨーロッパの食農システムを研究するなかで、そうした不確定性に向き合う人びとの実践に着目し、来るべき市民社会のありようを模索しています。そんな日々の格闘から生まれた社会科学にかける思いを中心に、学生時代のこと、転機としての在外研究の経験、昨今の日本の大学が抱える課題についてお話を伺いました。
久野秀二
経済学研究科 教授
地域の食問題から世界を見渡す
――どんな研究をされているのか教えてください。
久野教授 現在はヨーロッパの諸都市をフィールドに「フードポリシー・カウンシル」の研究をしています。フードポリシー・カウンシルとは、地域の食農政策を、食料の生産や供給だけでなく、それを環境や教育、健康と栄養、廃棄と循環、地域経済と雇用、貧困対策や社会包摂など、都市が直面するさまざまな政策課題と結びつけて考えようとする試みで、「食政策協議会」という日本語を当てることもあります。
異なる立場や意見を持った多様な市民・ステークホルダーが議論を重ねて政策形成にコミットするためのプラットフォームであり、最終的には自治体と議会を巻き込むことになりますが、何よりも消費者市民や都市農業者、社会起業家、地域事業者らのイニシアチブに根ざしたガバナンスの仕組みである、という点が重要です。自治体も市民・ステークホルダーとの協働を通じて、縦割り行政の壁を乗り越えながら、総合的な地域食政策の形成と実施のための手続きを制度化していくことが期待されています。最近ではヨーロッパを中心に世界中でどんどん活発になってきています。
――ヨーロッパのなかでも特に注目されている国はありますか。
久野教授 ヨーロッパ全域に広がっていますが、私はもともとつながりのあったオランダとベルギーを中心に、さらに南欧(イタリア)や北欧(デンマーク、ノルウェー)の動きにも注目しています。現地調査では、自治体関係者はもちろん、市民活動家や、それに応えようとする都市農業者や食関連事業者など、フードポリシー・カウンシルの関係者へのインタビューを中心に据えています。
多様な関係主体が参加して合意形成を図るというガバナンスの過程は無色透明ではありえず、歴史的・制度的な背景や政治的・イデオロギー的な利害関係の影響を免れないので、その国や地域の歴史や文化、行政構造や政治状況を理解するためにも、事前の文献調査や事後の言説分析も欠かせません。
農業経済学との出合い
――そうした分野に関心を持たれるようになったきっかけは。
久野教授 私はもともと環境問題に関心がありました。地球環境というよりは、むしろ都市環境・都市計画の分野ですね。1970~80年代の東京・多摩地域で多感な時期を過ごしたので、スタジオジブリの『平成狸合戦ぽんぽこ』ではないですが、都市周辺に残されていた自然が開発で失われていくのを目の当たりにしたのも、そうした分野に関心を持つようになったきっかけの一つです。
ただ、高校生の頃に地理や地学は好きでしたが、物理で失敗してしまって。それで、中学生の頃から本多勝一や犬養道子、森本哲郎といった、海外の生活や文化、人々の考え方や社会のあり方を描いたエッセイや紀行文を読み漁っていましたし、高校でも比較文化論などを中心にさまざまな本を読んで関心がそちらに移っていたこともあって、文系を選択することになりました。当時は国際関係論、今でいえばグローバル・スタディーズのような分野にも関心はありましたが、やはり環境や公害、都市開発を文系学部で勉強できる大学はないかなと思っていたときに、経済地理学という分野を見つけたんです。
――それはどのようにして見つけられたのですか。
久野教授 私の場合は東京出身(生まれは大阪ですが)で、一橋大学の経済学部に経済地理学を扱っている先生を見つけたのですが、東京を離れて下宿したかったこともあり、結局は京都大学の経済学部を選択しました。今思えば、京大で経済学部を選んだ理由は明確ではありませんでした。経済地理という科目もありませんでしたし。記憶は定かではありませんが、当時はまだ影響力があったマルクス経済学(経済原論)の文字が目にとまったような気もします。
大学に入ったときには、環境問題や社会のさまざまな矛盾だとか、戦争や原爆の問題などを知る機会があり、もっとそうした現実を見なければいけないと思いました。勉強サークルに入ってカール・マルクスの『資本論』を読んだりもしましたね。今のこの矛盾した社会の支配体制を批判的に捉え、その下で苦しんでいる人たちに目を向けること――環境問題や公害問題というのはその一つの現れなので、たぶん中学生の頃からの関心とつながっていると思うのですが。
ただ、ゼミ選択では、環境経済学ではなくて農業経済学の先生を選びました。そちらの方が、政治経済学の視点で勉強できると思ったからです。それが農業経済学を専門とするようになったきっかけです。対象が環境と都市から農業と農村に移りはしましたが、問題意識の中心は、当時から今に至るまで、農業や農村を扱う本丸の農業経済学からは少し距離を置いたところにあったように自覚しています。何よりも、都市環境や都市計画にも関連する現在の研究課題は、私の初心に少しばかり立ち返ったようなものとも言えそうです。
――大学院ではどのようなテーマに取り組まれたのでしょうか。
久野教授 表面的には現在の研究課題と何ら接点がないように見えるかもしれませんが、環境問題やそれに関わる「生産力のあり方」への問題意識から、修士論文では文献研究をベースにアメリカの種子産業を歴史的に捉え、農業バイオテクノロジーがどういうプロセスで今あるかたち(巨大産業)になってきたのかを研究しました。
当時はまだ遺伝子組み換え作物の商品化前で、研究開発をめぐる熾烈な企業間競争がM&Aを伴って展開していた頃です。作物種子はもともと、農民が自家採種や種苗交換を通じて育成と改良を続けてきたコモンズ(公共財)でした。それがどのような歴史的・制度的変遷をたどり、どのように経済的・技術的・イデオロギー的な作用を受けながら「種子(遺伝情報)を制する者は世界を制する」と言われるような戦略的商品となるに至ったのか。
もともと自然科学と農業技術の素養があったわけではなく、作物育種やバイオテクノロジーの入門書を入手して多少勉強はしましたが、私の研究の主眼は、農業バイオテクノロジーの産業化における政治経済学、つまり、たんなる研究開発の産物ではなく、さまざまな経済主体や政治主体の絡み合いのなかで作り出されてきた社会的産物として、この技術とその商品化のプロセスを整理することでした。その包括的な研究が博士論文の課題となりましたが、修士論文ではその前史として、種子産業発展史を整理しました。
オランダでの経験から社会科学を問い直す
――先生は一時期、オランダで在外研究もなさっています。やはり農業といえばオランダですか。
久野教授 オランダは今でこそ農業最先進国としてもてはやされていますが、当時はまだ先端産業化への政策転換の過渡期にあり、徐々に注目され始めていた、という程度の時期だったと思います。2000年代の初めですね。オランダを選択した直接的なきっかけは、ワーヘニンゲン大学が当時牽引していた研究潮流が気になっていたことにあります。
農村社会学や食農社会学の分野では「ワーヘニンゲン学派」と呼ばれることもありましたが、それは、1990年代頃まで続いていたマルクス経済学の影響――社会学だけでなく地理学や人類学、政治学などの社会科学諸領域における批判的潮流のなかで共通に見られた構造主義的なアプローチ、つまり階級関係や権力関係をマクロ的、歴史的・構造的に一つの法則として捉えるというもの――から脱して、それまで見過ごされてきた「行為主体」の役割を重視するものです。
ただ、もともとマルクス自身は構造と主体の関係を弁証法的に捉えていました。主体が構造によって常に、不可避的に影響されるわけではないと。そもそも社会は人が作るものですから。今あるこの社会、その構造的枠組みは人々の営為によって歴史的に作られてきたのだけれど、今ある我々自身はこの社会構造によって影響を受けざるを得ない。その構造的綻び、社会的矛盾のなかにこそ社会構造を作りかえる主体的なチャンスが生まれるのだ、といった理解です。
ところが、1960~80年代、構造主義の影響もあり、批判的社会諸科学の研究者が構造にあまりにも注目しすぎて、主体の役割と、その多様性や能動性が見過ごされてしまった。その反動から、主体をもっと見ようというポスト構造主義的な動きが農村社会学・食農社会学のなかでも強まりました。ワーヘニンゲン大学はまさにその最前線に位置していたのです。
――それは大きな転回ですね。先生の分野ではどういった影響がありましたか。
久野教授 実は日本でも同じような議論がありました。例えば農業問題でいうと、昔は資本主義化が進むとともに小農(自給的・半自給的な零細農民)は衰退し消えゆく存在であると考えられ、農業全体が資本主義的・工業的な発展を達成し、大規模農業・企業的農業が支配的になっていくという将来展望が描かれていました。それは資本主義的発展を批判する立場の研究者にも――ディストピアとしてではあれ――共有されました。
でも、ふたを開けてみれば、今でも農業生産は小農(小規模家族経営)によって担われているし、彼らは消えるどころか、むしろ食料生産や農村社会、農業資源保全の担い手として再評価されるようになってきた。ただ、日本では運動論や政策論として小農を中心とする農業生産主体や農村生活主体が重視されることはあっても、それをどう理論的に説明するのかという点では、ワーヘニンゲン学派をはじめとする国際的な研究潮流が参照されることは稀でした。
主体形成が社会の発展法則の重要な構成要素であるとすれば、小農の役割も大局的に見たら一つの法則性に基づいているのだと言えますが、それですべてが客観的に説明できるわけではない。むしろ、一人ひとりの主体の多様な姿、国や地域の違いに基づく農業生産主体や農村生活主体の多様性をそのものとして積極的に評価することが重要です。その点では、(地域的)多様性の学である地理学が先行していたのかもしれませんが、ともかく多様性を発見し、それをきちんと評価し、そのうえで、その可能性や今直面している課題と今後の展望をどう見出していくのか――現在ではこうしたことが、社会科学の大きな課題になっていると考えています。
もちろん、それは構造の作用や社会の発展法則を否定するものではありません。現場で生起する問題、社会や経済の矛盾の皺寄せを受けながらも、創意工夫を凝らし、時に抵抗しながら必死にもがく多様な主体へのまなざしは、必然的に、そうしたさまざまな矛盾を生み出す構造的問題を浮かび上がらせ、その根本的解決、ひいては社会の構造的転換へと私たちの意識を向かわせます。その積み重ねの歴史(過去)と展望(未来)が社会の発展法則なのだと言えます。このような意味で、主体と構造、多様性と法則性のどちらもが社会科学には必要な視点だと、私は考えています。
研究の学際化はいかに可能か
――日本の研究現場では学際化の面で課題が山積しています。
久野教授 そもそも、日本では人文・社会科学が研究領域としては軽視されすぎています。教養教育、学部教育だけであればまだしも、大学院教育や研究活動を十全に進めるには、あまりに教員の数が足りない。カバーできる分野が限られているというだけでなく、カバーされている分野でも教員が一人しかいなければ、大学院教育や研究活動には限界があります。
そのうえさらに、経済学部、法学部、文学部などの小さな部局に分割されるため、例えば、経済学、社会学、地理学、政治学などの近接社会科学諸領域がバラバラにされている。京大の場合、政治学は法学部に、社会学や地理学は文学部に含まれます。政治経済学や社会経済学、政治社会学や経済社会学、経済地理学など社会科学内での学際領域は今に始まった話ではありませんが、その重要性はますます高まっています。部局を跨いだ共同研究は個別の教員の努力で可能ですが、それ以上のことをするにはハードルが高すぎます。
海外のトップレベル大学では、仮に学部が細分化されていたとしても、それぞれの規模は遥かに大きく、各分野で研究グループを構成し、有給のポスドクを含めればプロジェクトチームを複数立ち上げることだってできる状況です。テーマ性のある大きな研究課題を設定できるので、研究チームは自ずと学際的になります。そのための予算にはもちろん競争的外部資金も含まれますが、多くの場合、それで雇用するのは教員ではなく博士学生とポスドクです。そもそもの教育研究基盤が大きく違う。
そのうえで、例えばEUの研究イノベーション財政支援政策(枠組みプログラム)、現在は第9次に当たる「Horizon Europe」が進められていますが、かなり以前から国際性(複数国の大学・研究機関による研究プロジェクトであること)、学際性(複数分野、理工系や医系のプロジェクトでもELSI、つまり倫理的・法的・社会的な側面にも配慮した研究プロジェクトであること)、社会実装(教育研究機関だけでなく、民間事業者や自治体等の政府機関、市民社会組織なども巻き込んだ研究プロジェクトであること)などが求められるようになっています。
そういう研究環境のなかで、大学の教員・研究者が鍛えられ、ポスドク・院生など次世代研究者が育てられるだけでなく、政府機関や市民社会組織の研究遂行能力・政策立案能力・実践評価能力も引き上げられています。都市を起点とした総合的地域食農政策に関連したEU助成研究プロジェクトも数多くありますが、自治体や市民社会組織の関係者が対等な研究パートナーとして参加し、国境とセクターと専門性を跨いだ交流が盛んに行われています。
ただ、学際性というのは、言うは易く行うは難し、です。学際性と日本語で表現されるものには、個々人が専門性の幅を広げて学際的になっていくinter-disciplinarity、異なる領域の専門性を持った諸個人が集団として学際的な環境をつくるmulti-disciplinarity、個人であれ集団であれ、複数の専門性を融合して新しい学際的専門分野をつくり出そうとするtrans-disciplinarityなど複数の次元が含まれます。
既存の学問領域にもそれぞれに存在理由があるわけですから、みなが一つ目の意味での学際性を追求する必要はありませんが、研究課題によっては異分野の研究者の共同が不可欠です。そのときに相互コミュニケーションを可能にし、共通言語は違っても問題意識を共有できる程度の緩やかな学際性は、各々に今後ますます求められてくると思います。そのためのトレーニングは、やはり学生時代から行う必要があります。全学共通科目のレベルだけでなく、本学では大学院レベルでも横断教育科目群なども設定されていますが、おそらく履修者は多くないと思います。私自身、協力はできていませんが。
――京都大学には自然科学から人文・社会科学に至るまで、多様な分野に跨がる共通点としてフィールド研究の伝統が存在しています。例えばそれを一つの媒介として、何か考えられないでしょうか。
久野教授 フィールド調査を合同で、それも系統的なものではなくて、単に1回限りの訪問でもいいのですが、そういう複数の分野の教員と学生が同じところに行って同じ人にインタビューをする、というのはいいかもしれませんね。同じ人に話を聞くにしても、分野が違えば異なる問題意識からインタビューにのぞむわけで、そうした互いの「言語」の違いを目の当たりにするのは学際性を考えるうえでも重要なことだと思います。
そのような科目も横断教育科目群に含まれているようですし、おそらく、アジア・アフリカ地域研究研究科(ASAFAS)のような地域研究の分野では、対象地域を共有する学際的な教育研究環境の構築が目指されているのだと思いますが、そうしたことから一歩ずつ取り組んでいくことが大事なのではないでしょうか。
(構成:水野良美)
久野 秀二(ひさの しゅうじ)
経済学研究科 教授
- 久野 秀二 │ 京都大学 教育研究活動データベース
関連リンク
- 京都大学 大学院経済学研究科・経済学部
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